エリトリア

エリトリア
ኤርትራ (エルトラー) (ティグリニャ語、※)
إرتريا (イリトリーヤ) (アラビア語)
Eritrea (エリトゥレア) (英語)

Flag_of_Eritrea.png
※ゲエズ文字フォントが無いと文字化けします。こちらへどうぞ。

アフリカ北東部に位置するエリトリアは、1993年にエチオピアから独立した国です。国土は全体的に乾燥しており、農耕には適しませんが、地中海とインド洋を結ぶ紅海に面するため、古くから交通の要衝として様々な民族の支配を受けました。16世紀頃からはエチオピアの勢力下に置かれたものの、1869年にエジプトでスエズ運河が開通するとこの地の重要性が格段に上がり、ヨーロッパ列強も領有を狙います。特にイタリアが積極的に進出を進め、1889年にエチオピアとウッチャリ条約を締結し、エチオピアにこの地域の割譲を認めさせました。更に翌年、イタリアの入植者によりラテン語由来のエリトリアという名が付けられ、これが現在まで国名として使用されています。第二次大戦中の1941年、当時イタリアの敵国だったイギリスがエリトリアを占領したため、50年近くに及んだイタリアによる支配は終焉。その後、暫定的にイギリスの保護領となり、1952年には国連決議に基づきエチオピアと対等な関係で連邦を結成しました。

連邦時代のエリトリアには、皇帝が支配するエチオピア中央政府とは別に、独自の政府と議会が置かれ、広範な自治権が認められていました。しかし、エチオピアは貴重な海洋への出口であるこの国の港湾を自由に使いたいという野望から、次第に自治権を縮小。これに反発したエリトリア議会も、1962年にエチオピア軍の包囲に屈して解散し、同年のうちに連邦制は廃止。エリトリアはエチオピアを構成する州の1つとして併合されてしまいました。この頃から、エリトリアの独立を目指す武装組織が次々と設立され、エチオピアに対する反政府闘争を開始。1970年代後半より闘争の主導権を握ったエリトリア人民解放戦線(EPLF)は、帝政崩壊後の独裁政権に反発していたエチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)と共闘し、1991年にはEPLFがエリトリアの首都アスマラを、EPRDFがエチオピアの首都アディスアベバをそれぞれ制圧。その後、EPRDFが樹立したエチオピア暫定政権は、EPLFがエリトリアを管理下に置くことを認め、将来的な独立も約束。2年後の1993年に住民投票を経てエリトリア国として正式に独立し、約30年間続いた独立戦争はようやく終わりました。

このような建国の背景を持つエリトリアの国旗には、独立戦争を主導したEPLFの組織旗をモチーフとした旗が採用されました。緑は農産物の恵みとそれをもたらす国土、赤は独立のために流された血、青はエリトリアが面する紅海を表します。赤はホイスト側からフライ側にかけて徐々に細くなっていきますが、これには流血がいずれなくなってほしいという願いが込められています。赤の部分にあるオリーブの標章は、かつてエチオピアと連邦を組んでいた時代に使われた地域旗からとられたものであり、独立の獲得と未来への展望を表します。1993年の制定当時の縦横比は2対3でしたが、1995年に1対2へと変更されました。ちなみにEPLFの組織旗は、オリーブの標章が黄色い五芒星になったものです。EPLFは1994年に民主正義人民戦線(PFDJ)と改称して政党となり、今も一党制のもとでエリトリアを統治しています。

縦横比:1対2

【旧国旗】
Eritrea (1952-1962)
1952年にエチオピアと連邦を組んだ際に定められたエリトリア国旗です。この連邦は国連の決議により結成されたものであるため、エリトリアは国連旗に似た旗を採用しました。この時点で既にオリーブの標章が使われています。

しかし次第にエチオピアに自治権を奪われ、連邦制は形骸化。1962年には正式に連邦制が廃止され、エリトリアはエチオピアの1州として併合されます。ここから、30年近くにわたるエリトリア独立戦争が始まりました。この旗は独立軍のシンボルとしてしばらく掲げられましたが、やがてEPLFが台頭し、その党旗が新たなシンボルとなったことで、エリトリアの旗としての歴史的役割を終えました。


エリトリア国
ሃገረ ኤርትራ (ハゲレ・エルトラー)
دولة إرتريا (ダウラット・イリトリーヤ)
State of Eritrea (ステイト・オブ・エリトゥレア)

Map_of_Eritrea.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:アフリカ
面積:約11.8万km² (本州のおよそ半分)
人口:約674万人
都市人口率:22.6%
首都・最大都市:アスマラ (テ:ኣስመራ ア:أسمرة 英:Asmara)
主要民族:黒人諸民族99%以上
        ティグリニャ人55%
        ティグレ人30%
        サホ人4%
        クナマ人2%
        ビレン人2%
        ラシャイダ人2%など。
主要言語:憲法(未施行)ではエリトリアに存在する全ての言語の平等が
       謳われており、公用語は定められていない。しかしながら、事
       実上は最大民族の言語であるティグリニャ語が国家を代表す
       る言語として扱われる。ほかに政府機関やビジネスの場では
       英語が共通語として話され、貿易等で関係が深いアラブ諸国
       との交流言語であるアラビア語を習得している国民も多い。
       大多数の国民は自らの属する民族の固有言語を母語としてい
       るが、エリトリアの実質的な公用語は上記の3言語であり、住
       民は必要に応じて民族語に加えてこれらの言語を習得する。
主要宗教:キリスト教63%
        エリトリア正教会58%
        ローマ・カトリック教会4~5%
        極少数のプロテスタント諸派
       イスラム教36%
        スンナ派35%以上
       伝統宗教(各部族固有の精霊信仰)1%

[政治・軍事]
独立:1991年5月24日(事実上)
    1993年5月24日(国際法上)
国連加盟:1993年5月28日
政治体制:共和制、大統領制、暫定政権(憲法はあるが未施行)
元首:大統領
    憲法上は議会により選出され、任期5年、3選禁止。実際には暫定
    統治期間の無期限延長により、初代大統領が独立以来、一貫して
    政権を握り続けている。
政府:国家評議会(内閣に相当、首相職なし)
    閣僚は大統領が任命。
議会:一院制の国民議会
    憲法上は直接選挙制、任期5年。しかし総選挙は無期限の延期状
    態にあり、実際には大統領と与党幹部により議員が選任され、国政
    選挙は建国以来一度も行われていない。
政党制:民主正義人民戦線による一党独裁。
国政選挙権:法律上は18歳以上の国民全てに選挙権が与えられる。た
        だし独立以来、2017年現在まで一度も国政選挙を実施した
        ことがないため、有名無実化している。
兵役制度:徴兵制
国防費:不明 (2~4億米ドルと推計される)
軍組織:エリトリア国防軍
     陸軍20万人
     海軍1400人
     空軍400人

[経済・通信・その他]
中央銀行:エリトリア銀行
通貨:ナクファ (Nakfa, ERN)
国内総生産(GDP):46億6600万米ドル
1人当たりGDP:692米ドル
GDP構成比:農林水産業12.3%
        鉱工業29.4%
        サービス業58.3%
労働人口:326万人
失業率:不明(10%前後と推計される)
輸出額:4億1500万米ドル
輸出品:銅鉱石、宝石の原石、香辛料、昆虫標本、再輸出品
輸出先:中国41%、インド38%、ブルガリア9%、カナダ3%、韓国3%
輸入額:10億2400万米ドル
輸入品:機械類、自動車、医薬品、有機化合物、穀物、鉄鋼、ゴム製品、砂糖
輸入元:中国39%、エジプト14%、イタリア5%、南アフリカ5%、トルコ4%
固定電話回線数:6万6000回線
携帯電話回線数:47万5000回線
国別電話番号:291
ccTLD:.er
インターネット利用者数:約5.7万人
車両通行:右側通行
平均寿命:65.0歳 (男性62.4歳、女性67.5歳)

[日本との関係]
国交樹立:1993年9月1日
相手公館:大使館 (東京)
駐日相手国人数:30人 (永住者9人)
相手輸出額:3万米ドル
相手輸出品:再輸出品、切手
日本公館:無し (駐ケニア大使館が兼轄)
在留日本人数:1人 (永住者無し)
日本輸出額:84万米ドル
日本輸出品:機械類、自動車、ゴム製品、化学薬品
現行条約:2005年 技術協力協定


《国歌「エリトリア、エリトリア、エリトリア」》
制定:1993年
作曲:イサック・アブラハム・メハレジ/アロン・テクレ・テスファツィオン
作詞:ソロモン・ツェハレ・ベラキ

エリトリア、エリトリア、エリトリア。
そなたの敵は屈辱的な敗走を喫し、
そなたの犠牲は解放と引き換えに報われた。

確固たる目標は忍耐力の証明。
エリトリア。その名は挑戦者、奇跡の名。
虐げられし民の誇りは、真実が報われることの証明。

エリトリア、エリトリア。
そなたは世界の中で遂に独立国となった。

解放をもたらした献身は、
祖国を緑豊かに変えるだろう。
我らは祖国の進歩を称えよう。
我らには祖国を飾る言葉がある。

エリトリア、エリトリア。
そなたは世界の中で遂に独立国となった。

《国名の由来》
ティグリニャ語ではኤርትራ(エルトラー)、アラビア語ではإرتريا(イリトリーヤ)と表記される。

由来はラテン語で「紅海」を意味するMare Erythraeum(マレ・エリュトゥラエウム)からで、エリュトゥラエウム単体だと「赤い」を表す。エリトリアは1889年のウッチャリ条約でエチオピアからイタリアに割譲され、翌1890年にイタリアの植民者がEritrea(エリトレア。英語発音もこれに近い)と命名した。エリトリアという表記はそれが日本語に転化したもの。

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

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