スペイン

スペイン
España (エスパーニャ) (スペイン語)
Spain (スペイン) (英語)

Flag_of_Spain.png

スペインはヨーロッパ南西部に突き出たイベリア半島の8割を占める王国です。国土は沿岸部と南部を除いて高原と山地で覆われており、かつては陸上での移動が困難だったことから文化的に隔絶された地域が多く、各地に独自の文化を持つ多数のキリスト教系諸王国が存在していました。しかし北アフリカを支配していたイスラム帝国ウマイヤ朝がジブラルタル海峡を経て8世紀初め頃から半島に侵入し、支配権を確立。同半ばにウマイヤ朝が倒されてアッバース朝が成立したものの、ウマイヤ朝の残党が南部のコルドバを首都とする後ウマイヤ朝を建国し、引き続きヨーロッパに食い込んだイスラム勢力圏の一部として統治され続けました。後ウマイヤ朝は1031年に内紛で滅びましたが、その後もイスラム豪族の群雄割拠の地となり、これを好機と見たキリスト教諸国が北部からじわじわと南進。カスティーリャ王国アラゴン王国がその中心としてイスラム勢力から支配地を奪還していき、1492年には遂に半島最後のイスラム国家であるナスル朝(首都はグラナダ)が滅亡。ここに、イスラム勢力からの領土回復運動(レコンキスタ)が完成し、イベリア半島は再びキリスト教圏へと復帰したのです。

現在のスペイン王国は、レコンキスタ運動末期の1469年にカスティーリャ女王イサベルとアラゴン国王フェルナンドが結婚したことでその原型が作られ、以後強力な絶対王政のもとで中南米を中心に広大な植民地帝国を作り上げました。16世紀に最盛期を迎え、「日の沈まない帝国」と呼ばれる黄金時代を実現しましたが、それ故に多くの国々に敵視され、戦争も相次ぎます。植民地からもたらされる富に甘んじて国力の増強をおろそかにした結果、19世紀には中南米の植民地のほとんどが独立してしまい、更に残った植民地も度重なる敗戦で割譲させられ、深刻な斜陽化と内政の混乱に直面。それに伴い国王の権威は失墜し、1873年には王政廃止に至りました(第一共和政)が、混乱の収束は成らず翌年王政復古。しかし1931年に再び国王アルフォンソ13世の亡命で第二共和政に移行し、1936年に人民戦線と称する社会主義政権が成立すると、王党派の軍部と内戦状態に突入しました。この内戦は1939年に軍部が勝利し、共和政は崩壊。自らを総統(カウディーリョ)と称するフランシスコ・フランコ将軍の独裁体制が確立し、将来的な王政復古を念頭に置いた特異な国家体制が築かれました。フランコ政権の統治はファシズムに基づいた強権支配ではありましたが、一方でスペイン国民が待ち望んだ内政の安定も実現し、1960年代より30年近く続いた高度経済成長の足掛かりも作っています。1975年のフランコ死去に伴いアルフォンソ13世の孫フアン・カルロス1世が国王に即位し、3年後の1978年には絶対王政でも軍事独裁でもなく、議会民主制に基づいた新憲法を制定。これによってようやく民主主義的なスペインが築かれ、現在に至ります。

1981年に制定され、通称Rojigualda(ロヒクアルダ血と金の旗の意)と呼ばれるスペインの国旗は、赤が国土防衛のために流された血、黄が肥沃な国土を表します。ホイスト部の国章には、スペインを結成した5つの地域(左上=カスティーリャ、右上=レオン、左下=アラゴン、右下=ナバラ、最下部=グラナダ)を表す5つの紋章、その中央には現王家(ブルボン家)の紋章である青地の百合が描かれています。それらの紋章で構成される盾は、ジブラルタル海峡の異名であるヘラクレスの柱で支えられ、柱に巻きついたリボンにはラテン語で「より彼方へ」と書かれています。民間では国章を省いた国旗もよく使われるようです。

縦横比:2対3

【旧国旗】
Flag_of_Spain_(1785-1873_and_1875-1931).png (★See below)
赤と黄の意匠は18世紀末期よりスペイン王国の伝統色として用いられていましたが、国章が現在と異なります。盾は円形で、その中に施された意匠もカスティーリャとレオンの象徴だけです。上部には王権を象徴する王冠が配されています。1873年から1874年、一時的にスペイン共和国(第一共和政)が成立した際は、王冠を廃した国旗が使用されました。王政復古翌年の1875年に復活し、1931年に第二共和政が成立するまで使用。

Flag_of_the_Spanish_Republic_(1931-1939).png
1931年、再びスペイン共和国(第二共和政)が成立し、王政時代の国旗は廃止。共和国旗は中央の国章が現在のものとほぼ同じになりましたが、赤と黄の二色旗は王党派の旗と見なされたため、下部に青藍(インディゴ・ブルー)を加えた三色旗に変更されました。

しかし左派系の共和国政府は右派系の軍部および王党派を率いるフランシスコ・フランコとの内戦により国土の支配権を失っていき、1939年に完全に崩壊。共和国旗は廃止となりました。

Flag_of_Spain_(1945-1977).png (★★See below)
1939年から1975年に死去するまで独裁的な権力を握ったフランコは、国名をスペイン国と改称し、王党派の色である赤と黄の二色旗を復活させ、ホイスト部に鷲をあしらった国章を制定しました。

鷲を使った国旗は2度のマイナーチェンジを経ながら1981年まで使用されましたが、上記の旗は最も長く(1945-1977年)用いられたもので、スペイン語で「一体、偉大、自由」と書かれたリボンが上部に配されています。鷲そのものは『新約聖書』に登場する福音書記者ヨハネが鷲の姿で言及されることが多い事実にちなんでおり、伝統的に王党派と見なされてきたキリスト教カトリック教会との関係をフランコが重視していたことを物語っています。


スペイン王国
Reino de España (レイノ・デ・エスパーニャ)
Kingdom of Spain (キングダム・オブ・スペイン)

Map_of_Spain.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:ヨーロッパ
面積:約50.5万km² (日本の約1.3倍)
人口:約4720万人
都市人口率:79.6%
首都・最大都市:マドリード (西・英:Madrid)
主要民族:スペイン国籍者が住民の90%を占め、その大半はラテン系の
       白人諸民族が占める。カスティーリャ人が最大で、他にカタル
       ーニャ人、バレンシア人、アラゴン人、ガリシア人などの多くの
       民族で構成される。北部には系統不明のバスク人も居住。
       住民の10%は外国籍者で、ルーマニア人とモロッコ人の規模
       が特に大きい。中南米のスペイン語圏からの移民も多い。他に
       アフリカ系黒人、中国人、EU諸国民など。
主要言語:スペイン語(カスティーリャ語)が公用語で、国家規模では唯一
       の公用語となっている。国家を構成する各州には言語自治権
       が広く認められており、カタルーニャ語、バスク語などの民族語
       も、それぞれが主体となる州ではスペイン語と並ぶ公用語とし
       て公認されている。
主要宗教:キリスト教71%
        ローマ・カトリック教会69%
        プロテスタント諸派2%
       無宗教27%
       イスラム教2%

[政治・軍事]
建国:1469年(カスティーリャとアラゴンの統合)
国連加盟:1955年12月14日
政治体制:立憲君主制、議院内閣制
元首:国王
    ブルボン(スペイン語ではボルボーン)家による世襲制。
    原則的に終身制だが、自発的な退位は可能。
政府:閣僚評議会(内閣に相当)
    国王が下院最大会派の指導者を首相に任命。
    他の閣僚は首相が任命。
議会:二院制の総会(国会とも)
    ●元老院(上院)
     265議席。208議席は直接選挙(大選挙区制)で選出。
     57議席は各州議会が選出。選出枠は各州の人口に
     応じて配分される。任期4年。
    ●代議院(下院)
     350議席。直接選挙制(比例代表制)。任期4年。
政党制:スペイン社会労働党と国民党による緩やかな二大政党制
国政選挙権:18歳以上の国民全て
兵役制度:志願制
国防費:66億3200万米ドル
軍組織:スペイン軍
     陸軍7万1000人
     海軍2万2000人
     空軍2万1000人
     危機対応部隊4000人
     王室近衛隊1900人

[経済・通信・その他]
中央銀行:スペイン銀行 (注1)
通貨:ユーロ (euro, EUR, 注1)
国内総生産(GDP):1兆1990億5700万米ドル
1人当たりGDP:2万5832米ドル
GDP構成比:農林水産業2.5%
        鉱工業22.6%
        サービス業74.9%
労働人口:2292万人
失業率:22.1%
輸出額:2779億米ドル
輸出品:自動車と部品、機械類、医薬品、鉄鋼、果物、ワイン、精製石油、肉類
輸出先:フランス16%、ドイツ11%、イタリア7%、英国7%、ポルトガル7%
輸入額:3026億米ドル
輸入品:原油、機械類、天然ガス、自動車と部品、化学薬品、衣類、鉄鋼
輸入元:ドイツ14%、フランス12%、中国7%、イタリア7%、オランダ5%
固定電話回線数:1917万9000回線
携帯電話回線数:5092万6000回線
国別電話番号:34
ccTLD:.es
インターネット利用者数:約3787万人
車両通行:右側通行
平均寿命:81.8歳 (男性78.7歳、女性84.9歳)

[日本との関係]
国交樹立:1868年11月12日
相手公館:大使館 (東京)
駐日相手国人数:4746人 (永住者644人、特別永住者3人)
相手輸出額:43億1000万米ドル
相手輸出品:医薬品、肉類、有機化合物、魚介類、オリーブ油、ワイン、自動車
日本公館:大使館 (マドリード)
       総領事館 (バルセロナ)
       他にアフリカ北西部に浮かぶスペイン領カナリア諸島最大の
       都市であるラス・パルマスに領事事務所が存在するが、独立
       した公館の地位は持たず、駐マドリード大使館の管轄下で領
       事事務のみを行う。
在留日本人数:7956人 (永住者2808人)
日本輸出額:27億8200万米ドル
日本輸出品:自動車と部品、機械類、化学薬品、精密機器、二輪車、鉄鋼
現行条約:1900年 特別通商条約
       1911年 修好交通条約
       1924年 司法共助条約
       1957年 請求権解決取極
       1965年 査証(ビザ)相互免除取極
       1974年 租税条約
       1980年 航空協定
       1982年 文化協定
       2008年 社会保障協定(発効は2010年)
       2011年 科学技術協力協定
       2013年 税関相互支援協定(発効は2015年)
       2014年 防衛協力と交流に関する覚書

(注1)
ヨーロッパ連合(EU)が統一通貨としてユーロを導入して以降、通貨発行権や金融政策の方針決定権はヨーロッパ中央銀行が担うようになり、ユーロ導入国が本来設置していた中央銀行はその傘下にある執行組織に改組された。ユーロ導入国の各中央銀行総裁はヨーロッパ中央銀行政策理事会の一員となり、連携してヨーロッパ中央銀行の政策を決定し、それに基づいて各国内での業務執行に当たることとされる。

なお、ユーロ導入前にスペイン銀行が発行していた通貨はスペイン・ペセタ(peseta, ESP)である。


《国歌「国王行進曲」》
制定:1770年 (共和制期は廃止)
作曲:不明
作詞:無し
備考:公式の歌詞は存在しない。

《国名の由来》
スペイン語ではEspaña(エスパーニャ)と表記される。紀元前の古代フェニキア人がこの地に多数のウサギがいるのを発見し、アフリカのハイラックス(和名:イワダヌキ)と呼ばれるウサギのような生き物と勘違いしてイベリア半島をÎ-Šəpānîm(イ=セパーニーム。「ハイラックスの島」の意)と呼んだことに由来する。

上記の言葉が転訛してラテン語でHispania(ヒスパニア)となり、ノルマン語でSpagne(スパーニャ)、英語でSpain(スペイン)と変化していったという。

旧国名
1556-
1873
 スペイン王国
(西)Reino de España
(英)Kingdom of Spain
1873-
1874
 スペイン共和国 (第一共和政)
(西)República Española (レプブリカ・エスパニョーラ)
(英)Spanish Republic (スパニッシュ・リパブリック)
1874-
1931
 スペイン王国 (復古王政)
(西)Reino de España
(英)Kingdom of Spain
1931-
1939
 スペイン共和国 (第二共和政)
(西)República Española
(英)Spanish Republic
1939-
1978
 スペイン国 (フランコ政権)
(西)Estado Español (エスタード・エスパニョール)
(英)Spanish State (スパニッシュ・ステイト)



★(c) 2009 HansenBCN SanchoPanzaXXI CC BY-SA 3.0
★★(c) 2007 SanchoPanzaXXI CC BY-SA 3.0 2.5 2.0 1.0

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嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

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