ユーゴスラビア

ユーゴスラビア
Jугославиjа (セルボクロアチア語・キリル文字)
Jugoslavija (セルボクロアチア語・ラテン文字)
Yugoslavia (英語)

Socialist_Federal_Republic_of_Yugoslavia.png

ヨーロッパ南東部、バルカン半島にかつて存在したユーゴスラビアは、「南スラヴ人の国」を意味するその国名通り、半島内の南スラヴ系諸民族を統合した国です(ブルガリア人を除く)。もとは1918年にセルビアの王家を君主とする王国として成立しましたが、首都ベオグラードに権力が集中する中央集権的な支配体制はクロアチア人など他の民族の反発を招き、政情は安定しませんでした(1934年に第2代国王が暗殺されるなど)。そのため国力の伸びは緩く、国内の統合もままならないまま、第二次大戦でドイツとイタリアを中核とする枢軸国に分割占領されてしまいます。そんな危機的状況の中で現れたのがユーゴスラビア共産党(KPJ)を率いるヨシップ・ブロズ・チトーで、彼はKPJを中心とする左派ゲリラ組織パルチザンを組織し、自力で国土解放を実現。戦後、他の東方諸国が独立を回復するにあたってソ連軍の力を借りたためその衛星国となってしまったのに対し、ユーゴではチトーの指導の下、ソ連の影響力を排除した独自の国造りが展開されることになります。ちなみにKPJは1952年にユーゴスラビア共産主義者同盟(SKJ)と改称され、後述の連邦崩壊直前まで一党制のもとで国家を統治しました。

チトーの政策は自主管理社会主義と呼ばれるもので、連邦を構成する各共和国・自治州に大幅な自治権を認めて政治的な安定を確保し、労働者の発言権・意思決定権を尊重して意欲的な人材を育成し、更には当局が許容できる範囲内ながら市場経済の原理も採り入れるなど、硬直した計画経済の中で西側諸国に後れを取っていた他の社会主義国とは一線を画す画期的な政策でした。この時期のユーゴは経済成長と所得水準の向上、非同盟諸国内での地位確立、西側諸国との友好など、多くの面でソ連とは対照的な面を持つ社会主義国だったと言えます。しかし一方で、「一から七までの国(注1)」と呼ばれたこの多民族国家ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(旧ユーゴ)の発展と統合は、チトーのカリスマ性により維持されていたといっても過言ではなく、彼が1980年に死去すると、連邦構成体の各民族から一斉に不満が噴出していきます。もともと旧ユーゴでは、工業化が進み経済的に豊かな北部の共和国(スロベニア、クロアチア)が、貧しい中南部の共和国(特にボスニアとマケドニア)に富を分配することに反発しており、チトーという「重石」が消えた後は更なる自治権拡大、引いては独立まで要求するようになりました。チトーの死後、集団指導体制となった連邦政府はそれを抑えきることができず、分離運動は各地に拡散。結局、1991年にはスロベニアとクロアチアが、翌1992年にはボスニア・ヘルツェゴビナとマケドニアが独立を宣言。首都ベオグラードを抱え、連邦維持に固執するセルビアとの間でユーゴ内戦と呼ばれる事態に発展し、チトーが築き上げた旧ユーゴは解体されました。

ユーゴスラビアの国旗は1918年の独立以来、青、白、赤の汎スラヴ色を使った横三色旗でした。これは1848年に当時オーストリア領だったボヘミア(現チェコ)のプラハで開かれた汎スラヴ会議において、中東欧のスラヴ系諸民族が団結して異民族支配を打破し、自らの国家を築き上げるうえで、共通のシンボルになる旗として採用されたものです。個々の色はスラヴ国家の雄であるロシアの国旗を参照したものですが、ユーゴにおいては個別の意味が付されたわけではなく、三色全体でスラヴ系諸民族の連帯を象徴します。第二次大戦後にチトーが指導者となり、国家体制が君主制から社会主義共和制に移行した1945年には、社会主義の象徴である赤い星を金色で縁取った意匠が中央に配され、1992年の連邦解体まで用いられました。

【ユーゴスラビア連邦共和国、セルビア・モンテネグロ】
Federal_Republic_of_Yugoslavia_(Serbia_and_Montenegro).png
旧ユーゴを構成していた6共和国のうち、分離独立しなかったのは首都ベオグラードを抱えるセルビアと、セルビア人と民族的に極めて近いモンテネグロの2つのみで、両共和国は1992年に旧ユーゴに替わる新国家としてユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴ)を結成しました。しかし国際社会は新ユーゴを「大セルビア」と呼び、2000年まで旧ユーゴの継承国家とは認めませんでした。やがてモンテネグロも分離志向を強めたため、2003年に新ユーゴはより緩やかな国家連合セルビア・モンテネグロに改組。ここに、「ユーゴスラビア」を国名に冠する国は消滅しました。

この国家連合は外交・国防以外のほとんどの権限を構成国(セルビア、モンテネグロ)に与えたものであり、モンテネグロを繋ぎとめたいセルビアの苦肉の体制でした。しかしほとんどの事柄を構成国が自ら決定するこの体制は、かえってそれぞれを「別の国」として認識させることとなり、2006年にモンテネグロで独立を問う住民投票が行われ、独立賛成派が辛勝。同年のうちに両国は分離し、国家連合もわずか3年で消滅しました。新旧ユーゴや国家連合が持っていた国際的地位(国連の代表権、サッカーの代表戦績など)はセルビアが引き継いでいます。

新ユーゴの国旗は旧ユーゴの国旗から社会主義の象徴である赤い星を削除したもので、1992年に制定されました。2003年に国家連合に改組してからも連合全体の国旗として引き続き用いられましたが、この頃になると国民は自らが属する構成国が制定した独自の国旗を掲げるようになり、この旗が掲げられることは公的な場を除いてほとんどなかったそうです。


ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 (1963-1992年)
Социjалистичка Федеративна Република Jугославиjа
Socijalistička Federativna Republika Jugoslavija
Socialist Federal Republic of Yugoslavia


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現在の領域:セルビア
        クロアチア
         スロベニア
        ボスニア・ヘルツェゴビナ
        モンテネグロ
        マケドニア
        (コソボ)
首都:ベオグラード (Belgrade、セルビア)
公用語:セルボクロアチア語が公用語 (注2)

《国歌「おお、スラヴ人よ」》
使用期間:1945年-2006年 (公式制定は1977年)
作曲:不明
作詞:サモ・トマーシェク

おお、スラヴ人よ。汝は未だここにあり。
我らが祖父たちの言葉は、
この地の息子たちの心を震わせた。

スラヴの魂が永からんことを。幾世紀にわたって。
地獄の深淵も、猛威を振るう雷火も、
汝の熱意の前には無意味だ。

もし今、嵐が吹き荒れ、岩石を破壊し、
木々が痛めつけられ、地震が起こされようと、
我らは確固として立ち上がり、
水流豊かな渓谷の如く、
祖国の裏切る全てを打ち砕くのだ。

《国名の由来》
セルボクロアチア語のキリル文字表記ではJугославиjа、ラテン文字表記ではJugoslavijaと表記される(南スラヴ系言語でのJは、英語のYの発音)。「南」を意味するJugoとslavを合成し、地名を表す接尾語iaを付加した国名で、「南スラヴ人の国」を表す。

1918年の独立から1929年までは、国名はセルブ・クロアート・スロベーンだった。これはセルビア人、クロアチア人、スロベニア人という主要な3民族の名を形容詞化したものだが、この頃から既に俗称としてユーゴスラビアも使われており、オリンピックなどの国際スポーツ大会には実際にユーゴスラビアの名で参加していた。正式にユーゴスラビアが国名として採用されたのは1929年のことである。

歴代国名
1918-
1920
 セルブ・クロアート・スロベーン国
(セ・キリル)Држава Срба,
       Хрвата и Словенаца
(セ・ラテン)Država Srba, Hrvata i Slovenaca
(英)State of Serbs, Croats and Slovenes
1920-
1929
 セルブ・クロアート・スロベーン王国
(セ・キリル)Краљевина Срба
       Хрвата и Словенаца
(セ・ラテン)Kraljevina Srba, Hrvata i Slovenaca
(英)Kingdom of Serbs, Croats and Slovenes
1929-
1943
 ユーゴスラビア王国
(セ・キリル)Краљевина Jугославиjа
(セ・ラテン)Kraljevina Jugoslavija
(英)Kingdom of Yugoslavia
1943-
1945
 ユーゴスラビア民主連邦
(セ・キリル)Демократска Федеративна
       Jугославиjа
(セ・ラテン)Demokrativna Federativna Jugoslavija
(英)Democratic Federal Yugoslavia
1945-
1963
 ユーゴスラビア連邦人民共和国
(セ・キリル)Федеративна Народна
       Република Jугославиjа
(セ・ラテン)Federativna Narodna
       Republika Jugoslavija
(英)Federal People's Republic of Yugoslavia
1963-
1992
 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国
(セ・キリル)Социjалистичка Федеративна
       Република Jугославиjа
(セ・ラテン)Socijalistička Federativna
       Republika Jugoslavija
(英)Socialist Federal Republic of Yugoslavia
1992-
2003
 ユーゴスラビア連邦共和国
(セ・キリル)Савезна Република Jугославиjа
(セ・ラテン)Savezna Republika Jugoslavija
(英)Federal Republic of Yugoslavia
2003-
2006
 セルビア・モンテネグロ
(セ・キリル)Србиjа и Црна Гора
(セ・ラテン)Srbija i Crna Gora
(英)Serbia and Montenegro


(注1)
「七ヶ国と国境を接し、六つの共和国で構成され、五つの主要民族が暮らし、四つの言語が話され、三つの宗教を持ち、二つの文字を使う、一つの国家」の意味。ユーゴスラビアが多様性を内包しながら、一つの国家として統合されていることを示す言葉。

(注2)
旧ユーゴ時代はセルビア語とクロアチア語は同一言語(セルボクロアチア語)と見なされており、セルビア人はキリル文字、クロアチア人はラテン文字を使っていた。その後連邦崩壊の過程で、クロアチア人が自らのラテン文字の言語に存在する方言程度のわずかな差異を強調し、「クロアチア語」と位置付けて現在に至る。

現在セルビア語、モンテネグロ語、クロアチア語、ボスニア語と呼ばれる4言語は、いずれもこのセルボクロアチア語に存在する方言程度の差異を強調することで、政治目的(分離独立、別の民族であるという証明)を達成するのために付けられた名称であり、実際には相互に意志疎通が可能である。スロベニア語はイタリア語の、マケドニア語はブルガリア語の影響をそれぞれ強く受けているため、セルボクロアチア語由来のこれらの言語とは若干系統が異なる。

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嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

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