スーダン

スーダン
السودان (アッ=スーダーン) (アラビア語)
Sudan (スーダーン) (英語)

Flag_of_Sudan.png

スーダンはアフリカ大陸北東部のアラブ圏に属し、エジプトの南方に位置する国です。かつてはアフリカで最も大きな国でしたが、2011年に南スーダンが独立したため縮小し、今ではその座をアルジェリアに譲っています。しかしそれでも面積は日本の5倍近くと広大で、北方のエジプトとの国境に近づくほど砂漠化し、逆に南部に進むと湿潤な熱帯性気候が現れるなど、その大きさ故に多様な風土が見られる地です。また、国土のやや中央東寄りには古代エジプト文明を育んだナイル川が縦貫していますが、その源流はウガンダのヴィクトリア湖を水源とする白ナイル川とエチオピアから流れる青ナイル川で、その2つの合流地点には首都ハルツームがあります。南部に湿潤地帯があるとはいえ、全体的に見れば国土の大半が砂漠地帯なスーダンでは、ナイル川流域で採れる作物や水産物が国を支える生命線となっており、南スーダンの独立で減少した石油収入を補うため、近年は大規模な農業振興策が採られています。特にアラビアガム(これがないとガムやコーラが作れません)と綿花(スーダン産は高級綿として有名)は、この国が世界に誇る最重要作物と位置付けられています。

この地の北部は古くからヌビアと呼ばれ、エジプト文明の影響を受けながらも土着の黒人たちが独自の文化を発展させてきました。しかし16世紀に入るとアラブ人の進出でイスラム化し、1821年には北部をエジプトのムハンマド・アリー朝が征服。その後もイギリス軍と合同で徐々にエジプト軍は南進を続け、1899年にはアングロ=エジプト・スーダンの名で両国の共同統治下に入ります。といっても1952年までエジプトはイギリスの保護国状態だったため、実質的にはイギリス領でしたが。この時代、イギリスは全国規模の反乱が起こるのを防ぐため、アラブ=イスラム圏に属する北部と、伝統宗教とキリスト教が主体の黒人圏である南部を分割統治する政策をとり、「スーダン人」という1つの国民意識の形成を阻みました。これが独立後の南北内戦に繋がるのですが、ともあれ第二次大戦後よりスーダンでも独立運動が活発化し、1956年元旦にひとまず南北揃っての独立を達成しました。しかし新政府の主導権は北部人が握り、南部の反発はすぐさま内戦へと発展。その後は内政の混乱、相次ぐクーデター、短い休戦、そして内戦の再開を経て1989年にイスラム原理主義政権が成立し、その首班であるオマル・アル=バシールが現在まで大統領として国家のイスラム化を掲げながら長期政権を担っています。こうした性格の政府ですから、当然南部との内戦は継続され、結局2005年まで和平協定はずれ込みました。2011年に南スーダンが独立した後も、南北間には未確定の国境問題や石油利権をめぐる争いなど、分断直後から多くの課題が残されており、2012年には両国軍が実際に武力衝突を起こしています。

現国旗は1969年、ムハンマド・アン=ヌメイリ率いる軍事クーデターでアラブ民族主義政権が成立したのに伴い、翌1970年に制定されたものです。非常にアラブ色の強い国旗で、赤、白、黒、緑の配色は汎アラブ色と言われます。赤はイスラム教徒の聖戦(ジハード)とそれに伴う殉教者の血を、白は平和と将来の希望を、黒はアフリカ大陸の連帯を、緑はイスラム教とナイル川流域で盛んな農業を象徴します。また黒はスーダンにとって特別な色です。19世紀に反英・反エジプト闘争を繰り広げ、一時的にマフディー(イスラム教の救世主)国家を打ち立てたムハンマド・アフマドが掲げていた旗の色が黒だったとされています。ヌメイリ政権は1985年に倒れましたが、少なくとも北部のアラブ人にとってはこの国旗は好評だったようで、現在に至るまで引き続き用いられています。

縦横比:1対2

【旧国旗】
Flag_of_Sudan_(1956-1970).png
現国旗はアラブ人のシンボルを押し出したものですが、1956年の独立当時に制定された初代国旗は、スーダンの地理を表徴したものでした。すなわち、青は国内を南北に流れるナイル川を、黄は砂漠地帯を、緑はナイル川流域の肥沃な土地と農業を表します。1970年、前述のクーデターにより廃止。


スーダン共和国
جمهورية السودان (ジュムフーリーヤ・アッ=スーダーン)
Republic of the Sudan (リパブリック・オブ・ザ・スーダーン)

Map_of_Sudan__.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:アフリカ
面積:約188.6万km² (日本の約5倍)
人口:約3961万人
都市人口率:33.8%
首都:ハルツーム (ア:الخرطوم 英:Khartoum)
最大都市:オムドゥルマン (ア:أم درمان 英:Omdurman)
主要民族:アラブ系が約7割。ここでのアラブ系とはアラブ人のほかに、
       ヌビア人などのアラブ化した諸民族も含む。アラブ系以外は
       ほとんどがアフリカ系黒人で、フール人、ザガワ人、ヌバ人、
       マサリト人、ベジャ人などが存在する。しかしこれらの民族も
       部分的にアラブ化している場合が多い。
主要言語:アラビア語と英語が公用語。国民の大半はアラビア語を話し、
       他言語の話者も生活上の必要性に応じて第二言語としてア
       ラビア語を習得している。他にヌビア諸語や南部のディンカ語、
       紅海沿岸部のベジャ語など約70言語が存在する。英語はあ
       る程度の教育を受けられるエリート層の言語であり、政府もア
       ラビア語を優先する政策を採っているため、世間一般の理解
       率は低い。
主要宗教:イスラム教97%
        スンナ派94%以上
        少数のシーア派、スーフィズムなど。
       伝統宗教(各部族固有の精霊信仰)1~2%
       極少数のキリスト教など。

[政治・軍事]
独立:1956年1月1日
国連加盟:1956年11月12日
政治体制:共和制、大統領制
元首:大統領
    直接選挙制、任期5年、再選制限なし。
政府:閣僚評議会(内閣に相当)
    首相と閣僚は大統領が任命。
議会:二院制の国家立法府
    ●全州評議会(上院)
     50議席。国家を構成する全25州の州議会が2名ずつ選出。
     任期6年。
    ●国民議会(下院)
     426議席。直接選挙制(小選挙区比例代表併用制)。213議
     席は小選挙区制で、85議席は比例代表制に基づき選出する。
     残る128議席は、比例代表制のもとで選出される女性議員枠。
     任期6年。
政党制:国民会議党による一党優位制
     (形式上は多党制)
国政選挙権:17歳以上の国民全て
兵役制度:徴兵制
国防費:不明 (25~40億米ドルと推計される)
軍組織:スーダン軍
     陸軍24万人
     海軍1300人
     空軍3000人

[経済・通信・その他]
中央銀行:スーダン中央銀行
通貨:スーダン・ポンド (pound, SDG)
国内総生産(GDP):840億6700万米ドル
1人当たりGDP:2089米ドル
GDP構成比:農林水産業28.6%
        鉱工業20.5%
        サービス業50.9%
労働人口:不明 (1200~1500万人と推計される)
失業率:不明 (15%前後と推計される)
輸出額:31億6900万米ドル
輸出品:原油、家畜、油性種子(特に胡麻)、金、豆類、皮革、綿花
輸出先:UAE32%、中国16%、サウジアラビア16%、豪州5%、インド4%
輸入額:83億6800万米ドル
輸入品:機械類、航空機、自動車、医薬品、衣類、小麦、砂糖、鉄鋼、乳製品
輸入元:中国26%、UAE10%、インド9%、エジプト6%、トルコ5%
固定電話回線数:11万9000回線
携帯電話回線数:2793万9000回線
国別電話番号:249
ccTLD:.sd
インターネット利用者数:約1089万人
車両通行:右側通行
平均寿命:64.2歳 (男性62.0歳、女性66.3歳)

[日本との関係]
国交樹立:1956年1月6日
相手公館:大使館 (東京)
駐日相手国人数:310人 (永住者50人)
相手輸出額:1億9200万米ドル
相手輸出品:原油が9割半、他に昆虫標本、香水用植物、胡麻
日本公館:大使館 (ハルツーム)
在留日本人数:123人 (永住者3人)
日本輸出額:7030万米ドル
日本輸出品:自動車と部品、機械類、化学繊維、ゴム製品、医薬品、鉄鋼
現行条約:1988年 青年海外協力隊派遣取極


《国歌「共和国国歌:我ら、神と祖国の戦士なり」》
制定:1956年
作曲:アフマド・ムルジャン
作詞:アフマド・ムハンマド・サリフ

我ら、神(アッラー)と祖国の戦士なり。
我らは犠牲を求める声に決して背かない。
勇敢なる死も、苦難にも、痛みにも耐え、
我が命、栄光に捧げる。
この地は我らのものだ。
我らがスーダンの永からんことを。高からんことを。
諸国に道を示したまえ、その旗のように。
スーダンの息子たちの掟。
それは祖国を守る務めを担うことだ。

《国名の由来》
アラビア語ではالسودان(アッ=スーダーン)と表記される。同語で「黒人の地」を意味するالبلاد السودان(ビラード・アッ=スーダーン)を語源とし、スーダーン単独では「黒人」を意味する。他のアラブ世界と比べると、スーダンには黒人(特に南スーダンとの国境地域)が多く、アラブ系住民も一般的に他のアラブ人より肌の色が濃いことから。

古来、アフリカ大陸のうちサハラ砂漠周辺かつイスラム圏に属する地域は一括してスーダンと呼ばれてきた(西アフリカのマリも植民地時代の名称はフランス領スーダン)。本来は広い地域を漠然と指す言葉のため、英語においてこの国に限定する場合は通常、定冠詞theを付ける。もっとも、現在では伝統的な広義のスーダンを使うことは稀なため、theが省かれることも多い。

公式国名に方角は付かないが、2011年に分離独立した南スーダン共和国との混同を防ぐため、便宜的に北スーダン(North Sudan)と呼ばれることもある。

旧国名
1956-
1969
 スーダン共和国
(ア)جمهورية السودان
(英)Republic of the Sudan
1969-
1985
 スーダン民主共和国
(ア)جمهورية السودان الديمُقراطية
  (ジュムフーリーヤ・アッ=スーダーン・アル=ディームークラーティーヤ)

(英)Democratic Republic of the Sudan
  (デモクラティック・リパブリック・オブ・ザ・スーダーン)

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

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