ジンバブエ

ジンバブエ
Zimbabwe (ズィムバブウェ) (英語)
Zimbabwe (ズィムバブウェ) (ショナ語)

Flag_of_Zimbabwe.png

ジンバブエはアフリカ南部に位置する内陸国で、国土の大半を1000m級の平らな高原が占めます。そのため熱帯性の気候でありながら比較的涼しく、温帯のような穏やかな特徴も併せ持っており、概して過ごしやすい土地柄です。そのうえ土壌は肥沃で農業生産に適しているため、古くから多くの民族がこの地を拠点に独自の文化圏を築いてきました。よって旧来の風習を色濃く残した遺跡が多く、中でも9世紀頃から15世紀にかけて栄えたショナ族国家の遺構であるグレート・ジンバブエ遺跡は、独立に際して国名として採用されるほど住民にとって馴染み深い存在となっています(1986年には世界遺産に登録)。この他にもクロムやニッケル、プラチナといったレアメタルが多種多様に埋蔵され、先端技術に欠かせない資源供給国としての側面も持っており、内陸国という地理的な弱点を抱えながらもなお、その潜在的な国力は非常に高いと言えるでしょう。もっとも、こうした長所は1990年代後半から続く政治の混乱と経済的奇策、それに伴うハイパーインフレによってかき消され、今では自国通貨を放棄せざるを得ないほどの不振に陥っていますが。

上記のように優良な土地を持ち、幾多の文化を育んできたジンバブエの大地。しかしそれは同時に、常に外敵の侵入に悩まされることも意味します。当然、この地を帝国主義時代の西洋列強が見逃すはずもなく、17世紀からはポルトガル、18世紀にはイギリスが相次いで進出。両者の勢力争いの中で現地人の王国も弱体化と離合集散を繰り返し、地域は一時騒乱状態に陥りました。結局、国力で勝るイギリスが最終的にポルトガル軍を撤収させることに成功し、1890年には北のザンビアと共にローデシアの名でイギリス南アフリカ会社(BSAC)が接収しましたが、BSACは白人入植者の利益のみを追求し、現地人を徹底的に酷使。1923年には入植者が比較的多い南部で、白人のみの住民投票を経て自治政府が樹立され、更に翌年には各地域の入植者の比率を高めるためにローデシアを南北に分割。これによって成立した自治領南ローデシアは、以後も引き続き住民の大多数を占める黒人に政治的権利を認めない体制(アパルトヘイト)を維持し、少数の白人が寡占統治を続けます。ですがこうした体制は第二次大戦後より国際的な非難の的となり、宗主国であるはずのイギリス本国からすら見放され、反発を強めた南ローデシアの白人は1965年にローデシアの名で一方的な独立を宣言。当時同じくアパルトヘイト政策を敷いて国際的孤立を深めていた南アフリカと提携し、白人政権の延命を図ります(ここからジンバブエ独立までの歴史はローデシアの記事も参照して下さい)。しかし黒人解放組織とのゲリラ戦と各国からの制裁によって疲弊した白人政権は、1979年には遂に黒人も参画する政府の樹立を発表するところまで追い詰められ、同年中に一旦イギリス領に戻ることを承諾。その間に新憲法が起草され、翌1980年には黒人国家ジンバブエ共和国として改めて独立しました。

ジンバブエの国旗は1980年の独立と同時に制定されたもので、アフリカ最古の独立国と呼ばれるエチオピアの国旗に汎をとった汎アフリカ色と呼ばれる緑、黄、赤の三色を用いています。緑は国土と農産物、黄は豊富な鉱物資源、赤は独立のために流された血を象徴し、中央の黒線は多数派である黒人を、白い三角形は平和を表しています。ホイスト部には、ジンバブエが誇る世界遺産グレート・ジンバブエ遺跡の中でもとりわけ代表的な「チャプング」という鳥の彫像が配され、国家の栄光に満ちた歴史と国民の統合を表します。その背後に置かれた赤い星は、苦難の末に勝ち取った独立と、希望に満ちた将来を示しています。

縦横比:1対2


ジンバブエ共和国
Republic of Zimbabwe (リパブリック・オブ・ズィンバブウェ)
Nyika yeZimbabwe (ニィカ・イェズィムバブウェ)

Map_of_Zimbabwe.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:アフリカ
面積:約39.1万km² (日本より少し大きい)
人口:約1505万人
首都・最大都市:ハラレ (英・シ:Harare)
主要民族:黒人諸民族が98%を占め、そのほとんどがバントゥー系。
       うちショナ族が8割、北ンデベレ族が1割半ほどを占める。
       他に少数のヴェンダ族、ツォンガ族、ソト族など。
       黒人以外では白人(ほとんどがイギリス系)が約1%を占め
       るほか、インド系や中国系もわずかながら存在する。
主要言語:英語が公用語で、政府機関や教育、メディアなど公共性
       の高い分野では筆頭言語として用いられるほか、都市部
       においては民族をまたぐ共通語としても機能する。ただし
       国民の大半は自らが属する部族の固有言語を母語として
       おり、ショナ語、北ンデベレ語など15の部族語が政府によ
       って公認されている。一般に、都市部や観光地から離れる
       ほど英語の通用度が低くなると見られる。
主要宗教:キリスト教80%
        プロテスタント諸派(聖公会が主)63%
        ローマ・カトリック教会17%
       伝統宗教(各部族固有の精霊信仰)11%
       無宗教7%
       少数のイスラム教、ヒンドゥー教、バハーイー教など。

[政治・軍事]
独立:1980年4月18日
国連加盟:1980年8月25日
政治体制:共和制、半大統領制
元首:大統領
    直接選挙制、任期5年、3選禁止(注1)。
政府:内閣(首相職なし)
    閣僚は大統領が任命。
議会:二院制の国会
    ●元老院(上院)
     80議席。60議席は国家を構成する10州から6名ずつ直接選挙。
     18議席は伝統的な部族長の会議組織である「首長会議」が選
     出。残る2議席は障害者代表枠。任期5年。
    ●会議院(下院)
     270議席。直接選挙制(小選挙区比例代表並立制)。任期5年。
     210議席は性別に関わりなく小選挙区制に基づき選出。60議席
     は比例代表制で選出される女性専用枠。任期5年。
政党制:ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線(ZANU-PF)による
     一党優位制だが、有力野党である民主変革運動(MDC)を
     加えた二大政党制と見なす資料もある。
国政選挙権:18歳以上の国民全て
兵役制度:徴兵制
国防費:3億8300万米ドル
軍組織:ジンバブエ国防軍
     陸軍2万5000人
     空軍4000人

[経済・通信・その他]
中央銀行:ジンバブエ準備銀行
通貨:ジンバブエ・ドル (dollar, ZWD, 注2)
国内総生産(GDP):141億9700万米ドル
1人当たりGDP:891米ドル
GDP構成比:農林水産業13.2%
        鉱工業28.5%
        サービス業58.3%
労働人口:791万人
失業率:不明 (少なくとも70%前後と推計される)
輸出額:35億5100万米ドル
輸出品:金、葉タバコ、砂糖、ダイヤ、プラチナ、鉄鋼、ニッケル鉱と精錬品、電力
輸出先:中国28%、コンゴ民主14%、ボツワナ13%、南アフリカ8%、ベルギー5%
輸入額:60億1600万米ドル
輸入品:精製石油、機械類、穀物、医薬品、自動車、有機化合物、鉄鋼
輸入元:南アフリカ48%、中国12%、インド5%、ザンビア5%、英国3%
固定電話回線数:33万4000回線
携帯電話回線数:1275万7000回線
国別電話番号:263
ccTLD:.zw
インターネット利用者数:約336万人
車両通行:左側通行
平均寿命:58.0歳 (男性57.3歳、女性58.7歳)

[日本との関係]
国交樹立:1980年4月
相手公館:大使館 (東京)
駐日相手国人数:151人 (永住者15人)
相手輸出額:1700万米ドル
相手輸出品:葉タバコ、ミネラル鉱石、鉄鋼、銅くず、皮革、綿花、切り花
日本公館:大使館 (ハラレ)
在留日本人数:85人 (永住者3人)
日本輸入額:3870万米ドル
日本輸出品:自動車が9割以上、他に機械類、医薬品
現行条約:1988年 青年海外協力隊派遣取極

(注1)
もともと大統領に再選制限は無かったが、2013年に3選禁止事項が盛り込まれた。ただし現ロバート・ムガベ大統領のそれまでの任期は、再選回数にカウントされない。

(注2)
独立時から政権を握り続けているロバート・ムガベ大統領は、当初は多数派の黒人と少数派の白人の融和に努め、白人農家が持つ優良なノウハウを生かす政策を採用。これにより1980年代のジンバブエは順調な経済成長を続けた。しかし長期政権の中で徐々に権力への執着を強め、独裁志向を見せ始めたムガベ政権は、1990年代後半からジンバブエを襲った不況で政権批判が高まると、その原因を植民地主義の継続(白人農家による土地と企業の所有)と断定し、2000年頃から白人所有の土地を黒人農民へと強制的に移管し始めた。

これにより主要産業である農業のノウハウを持った白人が出国し、生産力が低迷。更に外資系企業に対する準国有化も強硬に進めた結果、外資の撤退と貿易の縮小が相次いだため、初歩的な製造業しか持たないジンバブエでは物資の不足が深刻化。同時に国際社会からの非難も受け、孤立を深めたことで投資不足にも陥り、2006年頃から継続的なハイパーインフレに見舞われた。

2006年8月の公定レートは1米ドル=250ジンバブエ・ドルだったが、実勢レートでは徐々に価値が下がり、2008年9月には1米ドル=2000ジンバブエ・ドルまで下落した。その後は下落幅が天文学的な数値となっていき、2009年2月には公定レートですら1米ドル=300兆ジンバブエ・ドルまで下落した。実勢レートでの価値は更に低く、2008年11月時点で既に1米ドル=66京1300兆ジンバブエ・ドルの最低値を記録している。その後は幾分回復したが、もはや実勢とかけ離れた公定レートは無意味な存在となり、時期による変動はあったものの、1米ドルとの交換には少なくとも3京~15京ジンバブエ・ドルを必要とした。この頃には中央銀行も100兆ジンバブエ・ドル札を発行するようになったが、それでも1枚の1米ドル札との交換に、最低でも30枚、最高で150枚もの100兆ジンバブエ・ドル札を持ち込まなければならない計算となる(なお、100兆ジンバブエ・ドル札の額面は、第二次大戦直後のハンパーインフレ時代のハンガリーが発行した1垓ペンゲー札に次ぐ世界歴代第2位である。1垓は1京の1000倍)。

ムガベ政権や中央銀行もデノミの実施などでインフレを抑え込もうとしたものの、ことごとく失敗し、ジンバブエ・ドルはわずか3年程度で通貨としての価値を完全に失い、2009年4月には遂に発行そのものが停止された。またこのような混乱から、中所得国並みにまで押し上げられていた所得水準は激減、国民の半数以上が中産層から貧困層へと脱落した。

以後、ジンバブエは外貨経済に移行し、政府は以下の9つの外国通貨の流通を認めている。ジンバブエ・ドルは形式的な法定通貨としての地位だけは辛うじて維持しているものの、実際には流通せず、為替取引なども一切行われていない。ただし、ハイパーインフレ期の高い額面の紙幣は外国人に人気があり、土産物として売られる場合はある(特に100兆ジンバブエ・ドル札の人気は高く、"品薄"状態だという)。
★米ドル (dollar, USD) - 最も広く流通
★英ポンド (pound, GBP)
★ユーロ (euro, EUR, ヨーロッパ連合の共通通貨)
★ランド (rand, ZAR, 南アフリカの通貨)
★プラ (pula, BWP, ボツワナの通貨)
★インド・ルピー (rupee, INR)
★豪ドル (dollar, AUD)
★日本円 (yen, JPY)
★人民元 (yuan, CNY, 中国の通貨)


《国歌「ジンバブエの大地に祝福を」》
制定:1994年
作曲:フレッド・チャングンデガ
作詞:ソロモン・ムツワイロ

おお、旗を高く掲げよ。ジンバブエの旗を。
勝利を宣する自由の象徴。
我らは英雄たちの犠牲を称え、
我らが大地を敵対者から守ることを誓う。
全能者の加護と大地への祝福があらんことを。

《国名の由来》
最大民族ショナ族の言葉で「石の家」を表すDzimba-dze-mabwe(ジンバ・ゼ・マブウェ)に由来し、後に彼らの遺跡をグレート・ジンバブエと呼ぶようになった。これが独立に際して国名にも採用された。ジンバが家、マブウェが石(どちらも複数形)である。

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

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