シエラレオネ

シエラレオネ
Sierra Leone (スィエラ・リオーン) (英語)
Sa Lon (サ・ローン) (クリオ語)

Flag_of_Sierra_Leone.png

シエラレオネは西アフリカに位置し、大西洋に面する熱帯の国です。「ライオンの山々」を表す国名の通り、国土の多くは高原もしくは山岳地帯で、東部(内陸部)に向かうほど標高が高くなる傾向があります。この地には16世紀以来、ポルトガル、フランス、イギリスが進出し、主に黒人奴隷の供給地として扱われてきましたが、同時に支配権をめぐる争いも絶えず、この時点では特定の国による領有には至りませんでした。転機が訪れたのは、北中米地域で奴隷の身分から解放された黒人たちの新天地として入植がはじまった18世紀後半で、1792年には「自由の街」を意味するフリータウンが建設されました。この解放奴隷は主にカナダやジャマイカといった、当時イギリス領だった土地から移住したため、イギリスがこの地に及ぼす影響力が急速に拡大。先住民を内陸に追いやりながら支配権を確立していき、1808年にまずフリータウンを含む海岸地域を直轄領に、次いで1896年には内陸部の先住民地域を保護領化しました。以後、シエラレオネは解放奴隷(クリオ)とイギリスの白人が住む直轄領と、先住民が住む保護領の2地域で分割統治されることになりますが、教育や就業などあらゆる面で優遇された直轄領に比べ、開発が遅々として進まず、また白人はおろか同じ黒人であるはずのクリオからも差別されるようになった保護領の住民は不満を募らせ、後に独立運動の原動力となっていきました。その後、第二次大戦によってイギリスは世界各地の領土を維持する国力を失ったため、1953年にイギリスは将来的な独立を視野に入れた自治権をシエラレオネに付与。1961年には英連邦王国(独立国でありながらイギリス国王を自国の元首にしている国)として正式な独立を達成しました。

独立当初は豊富なダイヤモンド資源を有することから経済発展が期待され、クリオと先住民の融和に努めながらおおむね安定的な統治を享受していましたが、1967年に選挙結果に不満を持つ軍部が反乱を起こしてからは情勢が不安定化。翌1968年に首相に就任したシアカ・スティーヴンスは自身の権力強化によって不満を押さえつけようと、1971年に共和制への移行を発表し、自ら初代大統領に就任。1978年からは一党制を導入するなど、独裁者の様相を呈するようになりました。スティーヴンス自身は1985年に引退したものの、その後も独裁体制下で腐敗した政権が続いたことから、1992年に再び軍事クーデターが発生し、主導権争いにより中央政府は急速に弱体化。全土で混乱が広がる一方で、革命統一戦線(RUF)という反政府武装組織が内陸部で勢力を拡大させ、やがて政府軍との間で泥沼の内戦へと陥るなど、もはや国家としての体裁すら保てないほどの無秩序が住民を襲いました。2000年に政府とRUFは停戦合意に至りましたが、荒廃した国土の復興は困難を極めており、現在に至るまでシエラレオネは世界最貧国の1つとして困窮しています。ちなみに内戦期のRUFの支配地域では、戦費調達のためにダイヤモンドの採掘と密輸が行われていましたが、そのやり方は現地人を強制的に酷使する残虐極まりないもので、彼らの非人道的な支配体制はやがて国際問題となり、後に多くのRUF幹部が国際法廷で有罪判決を受けることとなりました。こうした手口で密輸されたダイヤモンドはやがて世界各地の市場に出回り、真相を知らない先進国の人々が購入することになったのですが、さすがにこのような組織の資金源となるのは重大な問題があるとして各国に規制運動が広がり、2000年に南アフリカのキンバリーで各国がダイヤモンドの国際取引に関する認証制度を承認しました。この枠組みはキンバリー・プロセスと呼ばれ、非正規ルートからのダイヤを市場から締め出すのに効果を発揮しています。2006年にはアメリカのエドワード・ズウィック監督が紛争地で産出されるダイヤモンドと、その背景を詳しく追った『ブラッド・ダイヤモンド(血塗られたダイヤモンド)』という映画を作成し、このような問題を各国の首脳だけでなく、一般市民にもより一層知らしめる機会を作り上げ、一躍有名となりました。

さて、このように非常に複雑な歴史を有し、困難な国情と向き合ってきたシエラレオネですが、国旗は1961年の独立と同時に制定されて以来、一度も変更されることなく用いられ続けています。国旗のデザインはシンプルな緑・白・青の横三色旗で、エチオピア国旗に範を取った緑・黄・赤の三色旗が多いアフリカ諸国の中では異例な配色と言えるでしょう。緑は国民の約半数が従事する農業と緑豊かな山々、そして天然資源を、白は正義と国家の統一を、青は大西洋と、首都であり国内最大の港湾都市であるフリータウンを軸にシエラレオネが国際的な海洋国家として発展していくことへの願い、そしていつか世界平和に貢献できる国として復興・繁栄することへの希望を象徴します。

縦横比:2対3


シエラレオネ共和国
Republic of Sierra Leone (リパブリック・オブ・スィエラ・リオーン)
Sa Lon Republik (サ・ローン・レプブリク)


Map_of_Sierra_Leone.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:アフリカ
面積:約7.2万km² (北海道の約92%)
人口:約632万人
都市人口率:39.9%
首都・最大都市:フリータウン (英:Freetown)
主要民族:アフリカ系黒人が90%を占め、うち北部のテムネ族が35%、
       南部のメンデ族が30%と、二大民族になっている。その他
       にリンバ族、ロコ族、フラニ族など約20の民族が存在する。
       また、解放奴隷の子孫であるクリオが約3%を占めている。
       外国人はリベリア人(内戦から逃れた難民が大半)が多数
       を占め、他に少数のレバノン人、イギリス人、南アジア系、
       中国人が住んでいる。
主要言語:英語が公用語だが、標準的な英語は政府機関やメディア、
       教育といった公共性の高い場で用いられる程度で、国民の
       多くは英語系のクレオール言語であるクリオ語を民族をまた
       ぐ共通語として使用する。ほとんどの国民は自らの属する部
       族の固有語を母語としており、テムネ語とメンデ語の使用率
       が高い。国内には約20の部族語が存在する。
主要宗教:イスラム教71%
        スンナ派69%
        シーア派、アフマディーヤ教団もわずかに存在。
       キリスト教27%
        プロテスタント諸派(メソディスト派と福音派が大半)22%
        ローマ・カトリック教会5%
       伝統宗教(各部族固有の精霊信仰)1~2%
       極少数のヒンドゥー教など。

[政治・軍事]
独立:1961年4月27日
国連加盟年:1961年9月27日
政治体制:共和制、大統領制
元首:大統領
    直接選挙制、任期5年、3選禁止。
政府:内閣(首相職なし)
    閣僚は大統領が任命するが、議会の承認が必要。
議会:一院制の国会(代議院とも)
    124議席。直接選挙制(小選挙区制)。任期5年。
政党制:全人民会議とシエラレオネ人民党による緩やかな二大政党制。
兵役制度:志願制
国政選挙権:18歳以上の国民全て
国防費:1800万米ドル
軍組織:シエラレオネ共和国軍
     総数1万1000人。他国のように陸・海・空軍などに組織を分けて
     いないが、大半は陸上戦力である。

[経済・通信・その他]
中央銀行:シエラレオネ銀行
通貨:レオネ (leone, SLL)
国内総生産(GDP):48億3800万米ドル
1人当たりGDP:694米ドル
GDP構成比:農林水産業66.8%
        鉱工業3.4%
        サービス業29.8%
労働人口:253万人
失業率:不明 (10%前後と推計される)
輸出額:5億6900万米ドル
輸出品:ダイヤ原石、鉄鉱石、チタン鉱、ボーキサイト、カカオ豆、魚介類、コーヒー豆
輸出先:中国31%、ベルギー28%、ルーマニア11%、米国7%、インド4%
輸入額:15億7500万米ドル
輸入品:精製石油、機械類、米、ナッツ類、自動車、船舶、鉄鋼、医薬品、衣類
輸入元:中国23%、インド8%、米国6%、オランダ5%、英国5%
固定電話回線数:1万7000回線
携帯電話回線数:565万7000回線
国別電話番号:232
ccTLD:.sl
インターネット利用者数:約16万人
車両通行:右側通行
平均寿命:58.3歳 (男性55.6歳、女性60.9歳)

[日本との関係]
国交樹立:1961年4月27日
相手公館:無し (駐中国大使館が兼轄)
駐日相手国人数:43人 (永住者22人)
相手輸出額:1070万米ドル
相手輸出品:チタン鉱がほぼ全て
日本公館:無し (駐ガーナ大使館が兼轄)
在留日本人数:15人 (永住者3人)
日本輸出額:1260万米ドル
日本輸出品:自動車、船舶、機械類、ゴム製品、二輪車と部品
現行条約:1991年 漁業協定


《国歌「我らは汝、自由の国を高く称えん」》
制定:1961年
作曲:ジョン・アカー
作詞:クリフォード・ファイル

我らは汝、自由の国を高く称えん。
偉大さとは、我らが汝に抱く愛のことなり。
我らは立ちあがり、堅固に結束する。
汝への賛歌を歌い、
おお祖国よと心震わせ、高らかに叫ぶ。
丘陵や渓谷は、我らの声を響かせるだろう。
祝福と平和が汝のもとにあらんことを。
我らが愛する土地、我らのシエラレオネよ。

《国名の由来》
英語ではSierra Leone(スィエラ・リオーン)と表記される。原義は「ライオン(獅子)の山々」で、大航海時代にこの海域を航行していたポルトガル人が、現在のフリータウン近郊の山々を見て「ライオンに似ている」としたことが始まり。当初はポルトガル語でSerra Leoa(セラ・レオン)といったが、後にスペイン語でSierra Leone(シエラ・レオーネ)となり、イギリスに植民地化された後も地名として残った。

民族をまたぐ国民言語として広く使われているクリオ語ではSa Lon(サ・ローン)と書かれる場合が多いが、公的な地位を持たない自然発生的な複合言語であるため、正書法も確立されておらず、Sa Lone(サ・ローネ)といった表記の揺れも存在する。

旧国名
1961-
1971
 シエラレオネ
(英)Sierra Leone (スィエラ・リオーン)
(ク)Sa Lon (サ・ローン)

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

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