エチオピア

エチオピア
ኢትዮጵያ (イーティオピア) (アムハラ語、※)
Ethiopia (イーティオーピア) (英語)

Flag_of_Ethiopia.png
※ゲエズ文字フォントが無いと文字化けします。こちらへどうぞ。

エチオピアは東アフリカに位置する内陸国です。東部の砂漠地帯以外は国土の大半が冷涼な高原となっており、河川や湖といった多くの水源を抱えることから、古くより農耕と畜産を中心とする独特な文化が育まれてきました。そのため国家の誕生も早く、近代に入りアフリカ各地が次々とヨーロッパ列強に植民地化されていく中でも、一時を除いて独立を保っていました。こうした経緯により、エチオピアをアフリカ最古の独立国と呼ぶことも多いそうです。また、サハラ以南のアフリカにおいては唯一、植民地化以前からキリスト教が伝播していた国で、イスラム教徒が多いこの地域においては異質な存在と言えます。この国で信仰されているのは西洋のキリスト教各派とは異なる独自の発展を遂げたエチオピア正教会で、エチオピアの神話や皇室と密接に関わりながら、1975年の帝政崩壊まで国教に指定されていました。

現在も基本的には農業と畜産が主要産業なのは変わっておらず、特に輸出用作物としてコーヒーが著名です。イエメンの記事でも紹介しましたが、エチオピアはコーヒーの原産国と言われ、その名の由来も南西部のカッファ地方とされます。その独特な苦味と覚醒作用から、古くは宗教儀礼で使う秘薬として、今では国民的飲料として重宝されています。この他に胡麻や生花、金も重要な輸出品であり、これらの産品は鉄道で北東の隣国ジブチの港へと運ばれ、世界中に輸出されています。また、人口300万を超える首都アディスアベバはこの地域有数の大都市であり、アフリカ連合(AU)や国連アフリカ経済委員会(UNECA)の本部が置かれるなど、アフリカにおける外交拠点の1つとなっています。

エチオピアの国旗は帝政時代の1897年に初めて制定されて以来、中央の紋章はたびたび変更されてきたものの、緑、黄、赤の横三色旗という基本デザインは受け継いでいます。後にヨーロッパ諸国から独立を獲得していったアフリカ諸国の多くがこれを手本に自国の国旗を作成したため、この三色は汎アフリカ色と呼ばれます。色の意味合いは国によって異なりますが、原型であるこの国では緑は肥沃な国土、黄は平和と希望、そして天然資源、赤は強さと愛国心の象徴とされます。またキリスト教国エチオピアらしく、三位一体(注1)と解釈される場合もあります。一方、中央に置かれた紋章は現憲法施行翌年の1996年に追加されたもので、旧皇室の祖とされる古代イスラエル王ソロモンが作成したという星を、澄んだ空を示す青い円で囲っています。この星は国の輝かしい未来を表し、そこから放たれる光は、所属民族、性別、信仰する宗教に関わらず、全てのエチオピア国民が平等であるという理念を意味します。

縦横比:1対2

【旧国旗】
Empire_of_Ethiopia.png
エチオピアの歴史は古く、伝承によれば紀元前10世紀に古代イスラエル王ソロモンと、南アラビアのシバ王国の女王マケダの息子を称するメネリク1世によりダモトと呼ばれる初期王権が築かれたのが起源とされています。この伝承そのものには史実的・科学的根拠は無いものの、ダモト以降にエチオピアを統治したアクスム王国やザグウェ朝といった諸王朝も、自らをメネリク1世、すなわちソロモンの血統を受け継ぐ存在と規定してきました。1270年に皇帝の座に就き新王朝を樹立したイクノ・アムラクも、その国名をソロモン朝エチオピア帝国と定め、よりソロモンの後継としての位置付けを強調しています。14世紀には、ソロモン朝のもとで日本の『古事記』のエチオピア版ともいうべき『ケブラ・ナガスト』という歴史書の編纂事業が行われ、メネリク1世以降の血統の連続性(史実上は数度断絶しているものとされる)を伝える数々の神話をまとめあげ、正式な国史として体系化すると共に、民衆に皇帝が「由緒あるソロモンの血統の後継者」であることを流布し、支配体制を正当化するために用いられました。なお、この伝説を民衆に定着させる上で大きな役割を果たしたのが、支配層を成すアムハラ人を中心に信仰され、1975年の帝政崩壊まで国教として扱われていたエチオピア正教会であり、皇帝を頂点とした独自の教義のもとで、実質的に支配機構の一部として特権的な地位を保ってきました。

ソロモン朝は一時の中断を経ながらも長期間にわたって伝統的な体制を維持してきましたが、19世紀よりヨーロッパ列強によるアフリカ分割が始まると危機感を覚え、近代化路線に転換。その甲斐もあって、エリトリアやソマリア南部といった周辺地域がイタリアにより植民地化されていく中、エチオピアは1889年と1896年の二度にわたってイタリア軍による侵攻を食い止め、独立を守りました。その後もイタリアはエチオピアを狙い続け、1936年には遂に併合を実現しますが、わずか5年後の1941年には第二次大戦で敵国となっていたイギリス軍に敗北し、再び独立を回復しています。その後のエチオピアは、1963年に皇帝ハイレ・セラシエ1世の主導でアフリカ統一機構(OAU、2002年よりアフリカ連合)が設立されるなど、外交面では一定の功績を収めていました。しかし内政に関しては皇帝による専制政治下で貧困と汚職がはびこり、国民の間には不満が蓄積され、次第に軍部も政権から離反していきます。1973年には東部のオガデン地方でソマリアとの統合を求めるソマリ人反政府勢力が蜂起し、更にはオイルショックによる物価の高騰、干ばつによる10万人規模の餓死者という事態がエチオピアを襲いました。ここにきて遂に軍部はクーデターを起こし、1974年にハイレ・セラシエ1世を廃位。翌1975年には彼を処刑し、正式に帝政も廃止しました。ここに、日本の天皇家と並んで世界最古の皇室と呼ばれた「ソロモンの血統」はその地位を失い、以後エチオピアは軍事政権下で社会主義路線を歩むことになります。

帝政時代の国旗は1897年、近代化政策の一環として当時の皇帝メネリク2世により導入されたものです。中央に皇帝の権威の象徴である王冠をかぶった獅子が描かれていますが、エチオピアのみならず、世界の多くの地域で「百獣の王」である獅子は権力者の権威を具現化する存在と見なされてきました。またエチオピアの場合、この獅子は「ユダ族の獅子」と呼ばれ、ソロモンが王を務めた古代イスラエルの氏族の1つユダ族のシンボルとされています。1975年廃止。

Ethiopia_1975-1987_and_1991-1996.png
帝政廃止後のエチオピアを統治したのは、公用語であるアムハラ語で「委員会」や「評議会」を意味するデルグという軍事政権でした。軍事政権は国名を社会主義エチオピアと改め、内紛を収めて1977年に実権を握ったメンギスツ・ハイレ・マリアム議長のもとで社会主義圏に接近。反対勢力への粛清で国内の権力基盤を固め、恐怖政治を敷きました。

この頃の国旗は、帝政時代の国旗から皇帝の象徴である獅子が取り除かれた意匠であり、シンプルな横三色旗となっていました。稀に、中央にデルグの表章が付加される場合もあったといいますが、それが国旗として扱われていたかどうかは定かではありません。1987年の新憲法制定に伴い一旦廃止されたものの、メンギスツ政権が終了した1991年に暫定国旗として復活。最終的に現国旗が制定される1996年まで用いられました。

Ethiopia_PDR_1987–1991
軍事政権を率いて独裁権力を欲しいままにしたメンギスツは、1987年にデルグを廃止。新憲法を制定し、国名をエチオピア人民民主共和国と改め、形式的な民政移管を果たしました。しかし大統領職にはメンギスツが就任し、政党も彼が率いるエチオピア労働者党以外は非合法とされるなど、メンギスツに権力が集中する体制は変わらなかったのです。

結局、エチオピアの民主化を求める反政府勢力の連合体エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)と、北部のエリトリア(旧イタリア領。1952年にエチオピアと連邦を組み、1962年には自治権を剥奪され併合された)の独立を求めるエリトリア人民解放戦線(EPLF)が共闘して1991年にメンギスツ政権を打倒し、人民民主共和国は成立からわずか4年で崩壊。その後、エリトリアは1993年に独立を達成し、エチオピアもEPRDF率いる暫定政権の統治を経て、1995年に現在の連邦共和制国体制に移行しています。

人民民主共和国時代の国旗には、農民を表す緑の葉、労働者を意味する歯車、古代アクスム王国時代に造られたオベリスク(記念碑)、社会主義革命の象徴である星などが描かれた国章が配されています。オベリスク以外は他の社会主義圏の国章に類似したデザインであり、その上部にはアムハラ語でエチオピア人民民主共和国と書かれています。1991年のメンギスツ政権崩壊に伴い廃止され、暫定的に紋章の入らないシンプルな三色旗に移行。1996年に現国旗制定。


エチオピア連邦民主共和国
የኢትዮጵያ ፌዴራላዊ ዲሞክራሲያዊ ሪፐብሊክ
(イェ・イーティオピア・フェデララウィ・デモクラシヤウィ・リペブリク)

Federal Democratic Republic of Ethiopia
(フェデラル・デモクラティック・リパブリック・オブ・イーティオーピア)


Map_of_Ethiopia_.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:アフリカ
面積:約110.4万km² (日本の約3倍)
人口:約9894万人
都市人口率:19.5%
首都・最大都市:アディスアベバ (ア:አዲስ አበባ 英:Addis Ababa)
主要民族:黒人諸民族がほとんど。80以上の民族に分けられるが、
       大半は以下の2系統に分類される。
       ●アフロ・アジア系(88%)
        オロモ人35%
        アムハラ人27%
        ソマリ人6%
        ティグレ人6%
        シダマ人4%
        グラゲ人3%
        アファール人2%
        ハディヤ人、ゲデオ人、シルテ人など。
       ●オモ系(オモティック、9%)
        ウェライタ人2%
        ガモ人1.5%
        カフィチョ人1%
        ダウロ人、ゴッファ人、ベンチ人など。
      他にベルタ人などのナイル系や、系統不明の小部族も点在
      している(約2%)。外国人は大半が周辺の東アフリカ諸国籍
      だが、総人口の1%以下に過ぎない。
主要言語:連邦政府の公用語はアムハラ語で、政府機関やメディアな
       どの公共性の高い場では優先して用いられる。しかし各州
       はオロモ語、ソマリ語、ティグレ語など様々な現地語を州の
       公用語に定めており、都市部以外ではアムハラ語を話せな
       い住民も多い。なお、中等教育以上の教授言語は英語であ
       り、ある程度の教育を受けられる層は民族語の他に英語も
       習得している。ただし中等教育以上に進める国民の数は多
       くはないため、国民全体としてみれば英語の普及率は低く、
       限られた階層が用いるエリート言語と見なされている。
主要宗教:キリスト教63%
        エチオピア正教会44%
        ペンタイ(福音派プロテスタント)18%
        ローマ・カトリック教会1%
       イスラム教34%
        スンナ派33%以上
        極少数のスーフィズムなど。
       伝統宗教(二大宗教に属さない小部族固有の信仰)2%
       少数のユダヤ教、バハーイー教など。

[政治・軍事]
建国:紀元前10世紀頃(伝承上の初期国家ダモトの成立)
    2世紀初め頃(アクスム王国、実在が確実な最初の王朝)
    900年頃(ザグウェ朝エチオピア帝国、1137年建国説あり)
    1270年(ソロモン朝エチオピア帝国、1936-1941年はイタリア領)
    1975年3月21日(帝政廃止)
国連加盟:1945年11月13日(原加盟国)
政治体制:共和制、議院内閣制、連邦国家
元首:大統領
    上下両院の合同会議で選出。任期6年。3選禁止。
政府:閣僚評議会(内閣に相当)
    首相は下院が指名し、大統領が任命。
    他の閣僚は首相が任命するが、下院の承認が必要。
議会:二院制の国会
    ●連邦院(上院)
     112議席。国家を構成する9州と、単独で州と同格の地位を持つ
     首都アディスアベバ市、第二の都市ディレダワ市を合わせた計11
     の地方議会が選出。任期5年。各州の利害と連邦政府の政策の
     擦り合わせや、連邦憲法の諸問題のみを扱う。
    ●代議院(下院)
     547議席。直接選挙制(小選挙区制)、任期5年。
     通常の立法権はこちらが行使する。
政党制:エチオピア人民革命民主戦線による一党優位制
     (形式上は多党制)
国政選挙権:18歳以上の国民全て
兵役制度:志願制
国防費:3億3000万米ドル
軍組織:エチオピア国防軍
     陸軍18万人
     空軍3000人

[経済・通信・その他]
中央銀行:エチオピア国立銀行
通貨:ブル (birr, ETB。ビルとは発音しない)
国内総生産(GDP):615億3700万米ドル
1人当たりGDP:619米ドル
GDP構成比:農林水産業41.4%
        鉱工業15.6%
        サービス業43.0%
労働人口:4927万人
失業率:16.8%
輸出額:29億3500万米ドル
輸出品:コーヒー豆、精製石油、切り花、野菜、金、豆類、胡麻、家畜と皮革
輸出先:スイス14%、中国12%、米国10%、オランダ9%、サウジアラビア6%
輸入額:158億7000万米ドル
輸入品:機械類、精製石油、自動車、鉄鋼、医薬品、有機化合物、パーム油
輸入元:中国20%、米国9%、サウジアラビア7%、インド5%、クウェート4%
固定電話回線数:89万1000回線
携帯電話回線数:4231万2000回線
国別電話番号:251
ccTLD:.et
インターネット利用者数:約429万人
車両通行:右側通行
平均寿命:62.3歳 (男性59.8歳、女性64.7歳)

[日本との関係]
国交樹立:1927年6月27日
相手公館:大使館 (東京)
駐日相手国人数:484人 (永住者78人)
相手輸出額:1億200万米ドル
相手輸出品:コーヒー豆が8割半、他に胡麻、切り花、皮革
日本公館:大使館 (アディスアベバ)
在留日本人数:248人 (永住者無し)
日本輸出額:1億4800万米ドル
日本輸出品:自動車と部品、機械類、鉄鋼、ゴム製品、精密機器
現行条約:1930年 修好通商条約
       1957年 友好通商条約
       1968年 貿易協定
       1971年 青年海外協力隊派遣取極
       1997年 航空協定
       2011年 技術協力協定

(注1)
「さんみいったい」と読む。イエス・キリストと聖霊と神は同一であるという教義で、キリスト教の大多数の宗派が共通して持っている認識。


《国歌「前進せよ、親愛なる母エチオピア」》
制定:1992年
作曲:ソロモン・ルル・ミティク
作詞:デレジェ・メラク・メンゲシャ

我らがエチオピアにおいて強固な市民権への敬意。
国民の誇りは国のいたる所で輝く。
平和のため、正義のため、民の自由のため、
平等と愛の中で我らは共に立ち上がる。

堅固な礎のもと、人道に反することなく、
我らは国民として、たゆまず働く。
この素晴らしき国は、
伝統の舞台であり、誇り高き遺産の女主人であり、
自然の恩恵であり、勇敢なる者たちの母である。
我らはそなたを護る。それが我らの義務である。

我らがエチオピアよ、生きよ!
そして我らはそれを誇ろうではないか!

《国名の由来》
アムハラ語ではኢትዮጵያ(イーティオピア)と表記される。ギリシャ語で「日に焼けた顔」を意味するΑἰθίοψ(アイティオプス)に、地名を表す接尾語ίαが付いてΑἰθιοπία(アイティオピア)となり、漠然とサハラ砂漠以南のアフリカを指す名詞として使われていた。それが後にこの国の国名として定着したもの。

古くは西洋社会を中心にアビシニア(Abyssinia)とも呼ばれたが、これは古代アクスム人の自称ሐበሻ (ハバシャ)もしくはአበሻ (アバシャ)という言葉がアラブ世界に入ってالحبشة(アル=ハバーシャ)へと転訛したものが、西洋諸言語で更に転訛したもの。あくまで他称であり、歴代のエチオピア政権には用いられることはなく、現在ではもっぱら歴史的文脈上必要な場合のみ使われるが、猫の品種の1つであるアビシニアンにその名を留めている。

旧国名
1270-
1974
 エチオピア帝国 (1936-1941年はイタリアが併合)
(ア)መንግሥተ ኢትዮጵያ (マンゲスタ・イーティオピア)
(英)Ethiopian Empire(イーティオーピアン・エンパイア)
1974-
1987
 社会主義エチオピア
(ア)የኅብረተሰብአዊት ኢትዮጵያ (イェ・ヘブラタサブァウィト・イーティオピア)
(英)Socialist Ethiopia (ソーシャリスト・イーティオーピア)
1987-
1991
 エチオピア人民民主共和国
(ア)የኢትዮጵያ ሕዝባዊ ዲሞክራሲያዊ ሪፐብሊክ
  (イェ・イーティオピア・ヘズバーウィ・デモクラシヤウィ・リペブリク)

(英)People's Democratic Republic of Ethiopia
  (ピーポゥズ・デモクラティック・リパブリック・オブ・イーティオーピア)
1991-
1995
 エチオピア
(ア)ኢትዮጵያ (イーティオピア)
(英)Ethiopia (イーティオーピア)

コメント

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No title

コーヒーの原産地はエチオピアとイエメンが争ってるみたいですよ。どっちもモカコーヒー作ってますねe-454

国旗の解説をするブログは珍しい(?)ですね。国章もあったらいいなぁe-327

Re: No title

>カルマさん

情報ありがとうございます。確かにモカコーヒーのモカって、イエメンの街の名前ですねぇ。調べたところ、原産地はエチオピアだけど、それを持ち帰って世界中に広めたのはイエメンのアラブ商人、ということらしいです。いわば「原産エチオピア、発祥イエメン」といったところでしょうか。

国章に関してはごめんなさい。国旗に関しては多少なり自信はあるんですが、国章の知識はかなり怪しいものがあります。誤った情報を載せたくはないので、掲載の予定はありません。ご了承ください。
プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

ツイッターやってます。基本的に更新情報はここでつぶやいてます。

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