(東) ドイツ

東ドイツ
Ostdeutschland (DDR) (ドイツ語)
East Germany (GDR) (英語)

Flag_of_the_German_Democratic_Republic_(East_Germany).png

第二次大戦に敗北したドイツは米英仏ソ4ヶ国による占領を経て、1949年に西部の米英仏の占領地がドイツ連邦共和国(西ドイツ)、ソ連の占領地がドイツ民主共和国(東ドイツ)として独立。以後、ドイツは冷戦下の東西陣営の最前線として、2つの国家がにらみ合う地となりました。東ドイツは他の社会主義国と同様、建国から再統一直前の1989年に民主化するまでドイツ社会主義統一党(SED)による事実上の一党独裁体制のもとにあり、冷戦期のいわゆる「東側陣営」の中でも特に盟主ソ連に極めて忠実な衛星国として、西側諸国と対峙していました。1961年に完成したベルリンの壁は、東西分断の象徴として有名でしたね。

当然経済的にも東ドイツは東側陣営の一角として、土地や生産手段の公有化といった社会主義路線を推し進めましたが、ドイツ人は戦前より工業化社会の最先端として世界に名を馳せた経歴を持っており、その優れた技術と生産性を生かして東側随一の経済大国に成長しました。特にベルリンの壁建造後は、豊かな西ドイツへ逃れようとする国民を国内に封じ込めることに成功したため、1960年代より顕著な成長が見られるようになり、「社会主義の優等生」ともてはやされた事もあったそうです。しかし同時に、柔軟性に乏しい硬直した社会主義体制のもとでは技術革新の遅れが目立ち、自由市場経済下の西との差は年々拡大。1970年代からはオイルショックの影響もあって停滞の時代が続き、上がらない生活水準と東西の格差に国民も不満を募らせていきます。1980年代後半に入ると盟主ソ連のペレストロイカの影響で冷戦構造そのものが終結に向けて動き出し、程なくして東側陣営そのものが動揺・解体。ドイツでも東西再統一の機運が高まり、経済面で圧倒的優位に立つ西ドイツの主導で、1990年に西が東を吸収・併合する形で41年ぶりに再統一が実現しました。

東西ドイツは分離後も同じ黒、赤、黄(金色とも)の横三色旗を使い続けていましたが、建国10周年の1959年、東ドイツは西ドイツ国旗との差別化を図り、それまでの国旗の中央に国章を配しました。国章では労働者を象徴する槌、知識階級を表すコンパスが組み合わされ、その周りを農民の象徴である麦の穂が囲っています。また国章内部の地色である赤は、一党独裁を担ったSEDのシンボルカラーであり、社会主義を象徴する色です。再統一が実現した1990年まで用いられました。


ドイツ民主共和国 (1949-1990年)
Deutsche Demokratische Republik
German Democratic Republic


Map_of_East_Germany.png

現在の領域:ベルリン市東部
        ブランデンブルク州
        ザクセン=アンハルト州
        ザクセン州
        チューリンゲン州
        メクレンブルク=フォアポンメルン州
首都:東ベルリン (East Berlin, 現在はベルリン市として統合)
公用語:ドイツ語

《国歌「廃墟からの復活」》
制定:1949年
作曲:ハンス・アイスラー
作詞:ヨハネス・ベッヒャー
備考:1973年より歌唱が禁止され、音楽のみの演奏となった。
    その前年に東西ドイツ基本条約が結ばれ、お互いを
    主権国家として認め合う関係になったため、歌詞中の
    「1つの祖国」が実情にそぐわなくなったのが原因。

廃墟から立ち上がり、未来を見つめよう。
そなたの幸福のために力を尽くそう。
ドイツ、我らが1つの祖国よ。
過去の苦難に打ち勝つため、我らは団結する。
我らの成功は間違いないのだから。
麗しく輝く太陽は、
ドイツを明るく照らすだろう。
ドイツを明るく照らすだろう。

《国名の由来》
ドイツ語ではOstdeutschland(オストドイッチュラント)、もしくは単にOst(オスト、東)と呼ばれる。また、公式国名を略したDDR(デー・デー・エル)という表記もよく見られる。文字通り、ドイツの国土の東部を統治する国だったことが由来。詳細はドイツの記事を参照のこと。

西ドイツは「ドイツは1つ(我々のみ)」としての立場を崩さず、東ドイツという国家は存在しないと主張していた。西ドイツ政府はこの地を原則としてソ連軍の「占領地域(Zone, ツォーネ)」と呼び、いずれ自国に返還されるものと見なしていたため、そこに別の国家が樹立されるという事態を認めるわけにはいかなかったのである。故にDDRという呼称の使用はタブー視され、文脈上どうしても必要な場合に限り、DDRの前に「いわゆる」や「自称」を意味するsogenannte(ゾーゲナンテ)という単語を付して使われることがある程度だった。

この状況は1949年の東西分裂以来長らく維持され、西ドイツは「東ドイツと国交を樹立した国とは、国交を断絶する(ただしソ連は除く)」というハルシュタイン原則に基づき、東ドイツと諸外国の結び付きを断とうとした。しかし1972年に東西ドイツ基本条約が結ばれ、双方が相手側を「主権国家」として承認し、「ドイツは2つ」という現状を追認することで幾分緩和し、1990年のドイツ再統一まで公式の場ではDDR、非公式の場ではOstと呼ぶことが定着したという。

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

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