トルコ

トルコ
Türkiye (テュルキイェ) (トルコ語)
Turkey (ターキー) (英語)

National_Flag_of_Turkey.png

トルコは西アジア北西部(アナトリア半島)とヨーロッパ南東部にまたがる国土を持つ共和国です。域内有数の地域大国として知られ、特に最大都市イスタンブールはアジアとヨーロッパを結ぶ交通の要衝として発展してきた歴史を持つ古都です。アナトリアの大地は肥沃な土壌を持つことから、1万年ほど前から既に人の定住が見られ、後にヒッタイト、フリギア、リュディアといった先進技術を持った諸王朝が、古代オリエント世界で興亡を繰り返してきました。また、西隣のギリシャやローマからも、沿岸部を中心に多くの移住民が現れ、かつての地中海文化圏の一部を構成していたようです。紀元前7世紀頃にはアジアとヨーロッパの境界となるボスポラス海峡に、ギリシャ人によって植民都市ビザンティウムが建設され、その地理的・軍事的な重要性から紀元後330年にはローマ帝国の首都(コンスタンティノポリスに改称、英語ではコンスタンティノープル)に、395年の東西分裂後は東ローマ帝国の首都として飛躍的に発展していきました。東ローマ帝国が俗に「ビザンツ帝国」と呼ばれるのも、コンスタンティノポリスの古名であるビザンティウムに由来し、以後1000年近くにわたって、国の主要民族であるギリシャ人の中核都市として、固有の文化を花開かせていったのです。

一方、アジア方面からは西南アジアに起源をもつトルコ系セルジューク朝が進出し、ビザンツ帝国と地域の覇権を競っていました。セルジューク朝自身は13世紀のモンゴル帝国による東進で崩壊しましたが、1299年にアナトリアで建国されたオスマン帝国が次第に勢力圏を拡大し、アラビア・北アフリカ方面を征服してイスラム世界の盟主となるかたわら、1453年には遂にコンスタンティノポリスを陥落(そしてイスタンブールに改称)させ、宿敵であるビザンツ帝国を滅亡に追い込むことに成功。その後はトルコ人を支配層の頂点としながらも、アラブ人やギリシャ人など様々な民族を内包する広大な多民族帝国として東欧・西アジア両地域に君臨し、地中海東部の覇者となったのです。しかし18世紀後半頃から徐々に国力の衰退と西洋諸国に対する技術水準の遅れが目立つようになり、度重なる戦争で領土は徐々に縮小。危機感を募らせた青年将校たちの手によって1908年に革命が起こされ、近代憲法の制定や殖産興業が推進されるようになったものの、1914年に始まった第一次大戦でドイツを中心とする同盟国側に付いたため、戦後は敗戦国としてより多くの領土を割譲せねばならなくなりました。結果、オスマン帝国の領土はアナトリアとイスタンブール周辺のトルコ人居住地域に限られるようになり、帝国の統治機構は瓦解。1923年には有名無実となった帝政を正式に廃止し、戦後の混迷期に国土保全のため多大な努力を払って国民的英雄となったムスタファ・ケマルを初代大統領とするトルコ共和国が成立。多民族帝国からトルコ人による国民国家へと転換することとなりました。ケマルはアタテュルク(トルコの父)という称号を与えられ、イスラム世界の盟主を自認していた帝政時代には決して実現できなかった政教分離や、硬直した官僚制に阻まれていた産業の育成、更にはトルコ語を表記する上での文字の転換(アラビア文字からローマ字へ)といった近代化政策を矢継ぎ早に実施し、国力を増強させつつ、外交面では国際社会への復帰を実現させていきました。結果、トルコは西アジア並びにヨーロッパ南東部における地域大国として確固たる地位を築き、ケマルの政策は彼の死後もケマリズム(政教分離、共和制、トルコ民族主義が三本柱)として体系化され、現在まで国是として受け継がれています。その影響か、トルコはイスラム教徒が国民のほとんどを占める国でありながら、飲酒や女性の社会進出が幅広く認められており、ケマルも愛飲したという「ラク」という蒸留酒が国家を代表する酒として知られるほか、1993年にはタンス・チルレル氏が初の女性首相に就任するなど、他のイスラム諸国とは一線を画した開放的な文化が根付いています。

トルコの国旗は新月(三日月)と星というイスラム教のシンボルを配したデザインとなっており、「新月旗(Ay Yıldız、アイ・ユルドゥズ)」と呼ばれます。古くはトルコ共和国の前身であるオスマン帝国によりイスラム世界の象徴として広く流布されてきました。そのような歴史的経緯もあって、現在では多くのイスラム教国が月と星を自国のシンボルに取り入れています。また、赤は18世紀末期から使われているトルコの国民色です。しかし月と星の起源はというと、この地がオスマン帝国によってイスラム化される前から既にビザンツ帝国で用いられていた、はたまたビザンツ帝国を滅ぼす直前に皇帝メフメト2世が月と星の浮かぶ夜空を見た、など諸説が混在しており、詳しいことはわかっていません。いずれにせよ、イスラム世界の盟主であるオスマン帝国が月と星を国家的なシンボルにしたことが、月と星にイスラム教の象徴という役割を与えたと言えましょう。1923年のトルコ共和国成立を受けても、長年慣れ親しまれてきたこの旗は変更されず、現在まで使われ続けています。

縦横比:2対3


トルコ共和国
Türkiye Cumhuriyeti (テュルキイェ・ジュムフリイェティ)
Republic of Turkey (リパブリック・オブ・ターキー)

Map_of_Turkey.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:アジア(95%)、ヨーロッパ(5%)
面積:約78.4万km² (日本の約2.1倍)
人口:約7669万人
首都:アンカラ (土・英:Ankara)
最大都市:イスタンブール (土:İstanbul 英:Istanbul)
都市人口率:73.4%
主要民族:トルコ人70~75%
       クルド人(南東部に集中)15~20%
       北カフカス系(チェルケス人、アディゲ人など)3%
       ボシュニャク人2%
       他にアルバニア人、グルジア人、アラブ人など。
主要言語:トルコ語が公用語で、国民の約8割半が母語としているほか、
       各民族をまたぐ共通の国家言語として広く用いられる。クルド
       語も南東部を中核としたクルド人居住区で用いられ、1割強が
       母語としている。他にアラビア語、ザザキ語など各民族語。
主要宗教:イスラム教98%
        スンナ派73%
        シーア派系諸派(アレヴィー派が大半)25%
       他に極少数のキリスト教、ユダヤ教など。

[政治・軍事]
建国:1299年(オスマン帝国)、1923年10月29日(トルコ共和国)
国連加盟:1945年10月24日(原加盟国)
政治体制:共和制、議院内閣制
元首:大統領
    直接選挙制、任期5年、3選禁止。
政府:閣僚評議会(内閣に相当)
    大統領が議会最大会派の指導者を首相に任命。
    他の閣僚は首相の指名に基づき、大統領が任命。
    いずれの任命権行使にも議会の承認が必要である。
議会:一院制のトルコ大国民議会
    550議席。直接選挙制(比例代表制)。任期4年。
政党制:多党制だが、公正発展党と共和人民党による
      緩やかな二大政党制と見なす資料もある。
国政選挙権:18歳以上の国民全て
兵役制度:徴兵制
国防費:176億6900万米ドル
軍組織:トルコ軍 (注1。米軍の核兵器共有国)
     陸軍31万5000人
     海軍4万8600人
     空軍6万人
     国家憲兵隊(ジャンダルマ)27万6000人
     沿岸警備隊5300人

[経済・通信・その他]
中央銀行:トルコ共和国中央銀行
通貨:トルコ・リラ (lira, TRY)
国内総生産(GDP):7182億2100万米ドル
1人当たりGDP:9130米ドル
GDP構成比:農林水産業8.7%
        鉱工業27.0%
        サービス業64.3%
労働人口:2967万人
失業率:10.3%
輸出額:1520億米ドル
輸出品:衣類、自動車、機械類、鉄鋼、金、宝石、絨毯、ナッツ類、果物、小麦
輸出先:ドイツ9%、英国7%、イラク6%、イタリア5%、米国5%
輸入額:2001億米ドル
輸入品:機械類、鉄鋼、精錬アルミ、自動車、精製石油、化学薬品、繊維原料
輸入元:中国12%、ドイツ10%、ロシア10%、米国5%、イタリア5%
固定電話回線数:1149万3000回線
携帯電話回線数:7363万9000回線
国別電話番号:90
ccTLD:.tr
インターネット利用者数:約4620万人
車両通行:右側通行
平均寿命:74.9歳 (男性72.5歳、女性77.3歳)

[日本との関係]
国交樹立:1924年8月6日
相手公館:大使館 (東京)
駐日相手国人数:4723人 (永住者859人)
相手輸出額:5億4700万米ドル
相手輸出品:タバコ製品、魚介類、衣類、絨毯、自動車と部品、ナッツ類、果物
日本公館:大使館 (アンカラ)
       総領事館 (イスタンブール)
在留日本人数:2208人 (永住者579人)
日本輸出額:30億2000万米ドル
日本輸出品:機械類、自動車と部品、鉄鋼、ゴム製品、精密機器、船舶、薬品
現行条約:1934年 通商航海条約
       1958年 査証(ビザ)相互免除取極
       1989年 航空協定
       1993年 投資促進保護協定
       1994年 租税条約
       2014年 原子力協定
       2015年 トルコにおける原発及び原子力産業開発協力協定

(注1)
正規軍(陸海空の三軍)は国防省の管轄下にあるが、国家憲兵隊(ジャンダルマ)と沿岸警備隊は平時には内務省が管轄しており、"準"軍隊と呼ぶべき存在である。ただし戦時にはジャンダルマは陸軍の、沿岸警備隊は海軍の指揮下に入り、共同で軍務を遂行すると定められている。


《国歌「独立行進曲」》
制定:1921年 (1930年、曲を変更)
作曲:ゼキ・ウンギョル
作詞:メフメト・アーキフ・エルソイ
備考:1921年に制定された当初はアリー・ルファト・チャアタイの曲で
    演奏されていたが、1930年にはウンギョルの曲に変更された。

恐れるな! 暁に翻る紅き旗は、決して消えることはない。
我が祖国にて赤々と燃え盛る炉辺の炎は、消えはしない。
それは民の星となりて、永遠に輝き続けるだろう。
それは我がもの、我が民族だけのものだ。

我は乞う。顔をあげたまえ、汝、穢れなき我が新月よ。
何を激し、何に怒るというのか? 英雄たる我が民族に微笑みたまえ。
さもなくば、我らがそなたのために流した血は無駄になるだろう。
神を崇拝せし我が民族にこそ、
自由を手にする絶対的な権利があるのだから。

《国名の由来》
トルコ語ではTürkiye(トゥルキエ)と表記され、「力強い人」を表す。これが転訛して英語のTurkey(ターキー)となった。

オスマン帝国は俗にトルコ帝国やオスマン・トルコと呼ばれるが、同帝国は西アジアから北アフリカ、東ヨーロッパまでを包括する多民族国家であり、国名に「トルコ」を意味する言葉を入れたことは一度もなかった。そもそも「トルコ」とは西洋諸国からの他称だったのである。トルコを国名に採用したのは、多民族・多地域の帝国から、トルコ民族による国民国家として改組されたトルコ共和国(1923年成立)が初めてである。

トルコ人の祖先は遊牧民(テュルク)であり、もともと現在の中央アジアに分布していた。現在でも同地域5ヶ国の主要民族はタジク人を除いてトルコ系であり、地名としてもトルクメニスタンにその名残を留めている。

旧国名
1299-
1922
 オスマン帝国
(土)Osmanlı İmparatorluğu (オスマンリ・インパラトールー)
(英)Ottoman Empire (オットマン・エンパイア)

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

ツイッターやってます。基本的に更新情報はここでつぶやいてます。

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