ドミニカ

ドミニカ
Dominica (ドミニーカ) (英語)

Flag_of_Dominica.png

ドミニカ国は中米、カリブ海の西インド諸島に浮かぶ島国で、1978年にイギリスから独立した小さな共和制国家です。同じカリブ海のイスパニョーラ島東部を領土とするドミニカ共和国とは固有名詞部分が同じですが、通常は「ドミニカ」と単体で呼ぶ際はこちらの国を表します。この国の領土のほぼ全てを占めるドミニカ島は、欧米諸国民向けの観光地として開発が進められているカリブ海の島々の中では例外的に、自然が最も野生に近い形で保全されていることで知られ、島の最高峰である北部のディアブロティン山(1447m)を中核とする険しい山々と、そこに息づいた豊かな生態系から、「The Nature Island (自然の島)」という別名を持ちます。そのような島ですから、必然的に人の居住区域は限られており、首都ロゾーをはじめ、街らしい街はカリブ海に面した沿岸部に集中しています。主要産業はバナナや柑橘類、香料といった輸出向け産品を主軸とした農業、近年成長が著しい天然香料を用いた石鹸の生産、並びに保養地を求めてやってくる人々を対象とした観光業ですが、他の島のようなリゾート地としての開発事業には基本的に手を出さず、島の植生や動物、地形の紹介をメインコンテンツとしたエコツーリングを推進しており、リゾート地での豪奢な休暇を楽しみたい顧客層とはまた別の、静かなひと時を提供できる島として、一定の需要を確保しています。

ドミニカ島は他の島と同様、アラワク(タイノ)族と呼ばれるインディオが伝統的に居住圏の1つとして利用していましたが、14世紀頃に同じ黄色人種ながら、南米から移住した別の集団によって放逐されました。この集団は他島にも進出して権勢を誇り、大航海時代を迎えたヨーロッパ人と対面すると「カリブ族」と総称されるようになりましたが、他島では徐々に強制労働や疾病によって姿を消していったのに対し、ドミニカ島では従属的な関係を求める白人への激しい抵抗運動が絶えず繰り広げられたため、支配をもくろんだ白人の手に余る状態が続いた結果、例外的に現在まで生き残ることが出来ています。ただそれでも、苛烈かつ強圧的な植民地支配によって膨大な人口を失ったことは間違いなく、17世紀からのフランスによる支配、続いて18世紀のイギリスへの支配権の交代という欧州諸国の領土紛争の中で、労働力としてアフリカから移住させられた黒人奴隷が徐々に島の人口の多数派を占めるようになりました。イギリスも残されたカリブ族を従わせるのは困難と判断し、島の北東部に自治権を持った居留地を与え、便宜を図りましたが、大勢を覆すことは出来ず、黒人奴隷の解放後はカリブ族と黒人の混血も時代を経て進んだため、今では生粋のカリブ族は島の人口の2~3%ほどにまで減少しています。そんな難しい民族問題を抱えた中でも、ドミニカ島そのものの独立を求める声は次第に大きくなっていき、第二次大戦後にイギリスが世界各地の植民地を維持する能力を喪失すると、カリブ海のイギリス領の島々は1958年に西インド連邦という自治国を結成して、将来的にはこの枠組みのまま独立することも予定されていました。ドミニカ島も一旦はこの枠組みに組み込まれたものの、連邦は域内で圧倒的な人口を抱えるジャマイカとトリニダード・トバゴの主導権争いで1962年には早くも瓦解。改めて単独の地域としてイギリスの直轄植民地に戻ったドミニカ島は、1967年に内政自治権を獲得し、自治政府を運営する中で現地人が政治経験を積んでいった結果、1978年にはドミニカ国として、ようやく正式な独立を達成するに至りました。独立後の主導権は多数派となった黒人が基本的に担っているものの、カリブ族は現在も前述の居留地内で一定の自治権を持っており、国内政治に少なからず影響を与えるなど、カリブ海に残された最後の「カリブ族の意思」を現在まで伝えています。

ドミニカ国の国旗は、当時島内随一の劇作家、文化活動家として知られたアーウィン・ブリーが制作したもので、1978年の独立と同時に国旗として正式に制定されました。ただ、当時の意匠から3度にわたって細かな変更が施されており、現在のデザインに落ち着いたのは1990年になってからのことです。三色の十字線は、国内でほとんどの人が信仰するキリスト教の三位一体説を表すと同時に、黄が太陽の光と主要農産物(柑橘類とバナナ)、そして黄色人種である先住民(カリブ族)を、黒は肥沃な国土と国民の大半を占める黒人を、白はドミニカの清らかな川と純潔をそれぞれ象徴します。中央の赤い円は正義を表し、その周囲にある10個の緑の星はドミニカに10ある行政区を示すと同時に、それらが等間隔かつ同じ大きさで並ぶことで、全ての行政区が平等であることを象徴しています。その中に配された鳥は、ドミニカ国にのみ生息し、全体でも約300羽しか存在しない希少な固有種の鳥であるミカドボウシインコで、ドミニカが大志の完遂に向けて高く飛び立つことを表します。

【旧国旗】
Former_Dominica.png

1978年の独立時に制定された最初の国旗です。三色の十字の配色と、ミカドボウシインコの向きが現在と異なります。1981年に白と黒の順番が入れ替えられ、星の周りに黄色の縁を配す変更が行われた後、1988年にはミカドボウシインコの向きが左向きとなり、1990年に旗章学的見地から星の周りの黄色の縁が再度外され、現在の国旗となりました。


ドミニカ国
Commonwealth of Dominica (コモンウェルス・オブ・ドミニーカ)

Map_of_Dominica.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:北アメリカ (カリブ海)
面積:約751km² (対馬より少し大きい)
人口:約7.3万人
都市人口率:69.5%
首都・最大都市:ロゾー (英:Roseau)
主要民族:アフリカ系黒人87%
       ムラート(白人と黒人の混血)9%
       先住民(インディオ系カリブ族)2%
       ヨーロッパ系白人1%
主要言語:英語が公用語であり、国民の大半が理解できるが、
       日常ではパトワと呼ばれるフランス語系のクレオー
       ル言語も広く使用される。
主要宗教:キリスト教91%
        ローマ・カトリック教会80%
        プロテスタント諸派11%
       無宗教6%
       他に少数のイスラム教、バハーイー教など。

[政治・軍事]
独立:1978年11月3日
国連加盟:1978年12月18日
政治体制:共和制、議院内閣制
元首:大統領
    議会による間接選挙制、任期5年。
    再選制限は無いが、慣例的に2期まで。
政府:内閣
    大統領が議会最大会派の指導者を首相に任命。
    他の閣僚は首相の指名に基づき、大統領が任命。
議会:一院制の会議院(単に国会とも)
    32議席。21議席は直接選挙(小選挙区制)で選出。9議席は
    総選挙後、最初の会議で大統領による任命か議員による選出
    かを選択し、任命の場合は5議席は与党代表者である首相の、
    4議席は最大野党の党首の指名に基づいて任命されなければ
    ならない。残る2議席は議長と議会書記の議席であり、投票権
    を持たない。任期5年。
政党制:ドミニカ労働党と統一労働者党による二大政党制
国政選挙権:18歳以上の国民全て
兵役制度:なし (正規軍なし)
備考:小規模な警察隊を除き、軍事力を持たない。

[経済・通信・その他]
中央銀行:東カリブ中央銀行 (注1)
通貨:東カリブ・ドル (dollar, XCD, 注1)
国内総生産(GDP):5億2400万米ドル
1人当たりGDP:7312米ドル
GDP構成比:農林水産業16.5%
        鉱工業15.5%
        サービス業68.0%
労働人口:3万人
失業率:不明 (10~15%と推計される)
輸出額:3520万米ドル
輸出品:再輸出品、バナナ、柑橘類、石鹸、香料、飲料
輸出先:日本38%、ジャマイカ19%、アンティグア・バーブーダ10%、
     トリニダード・トバゴ6%、セントルシア5%
輸入額:1億8300万米ドル
輸入品:機械類、鉄鋼、アルミ製品、プラスチック製品、化学薬品、自動車、肉類
輸入元:日本42%、トリニダード・トバゴ17%、米国12%、中国6%、ベトナム5%
固定電話回線数:1万5000回線
携帯電話回線数:7万7000回線
国別電話番号:1-767
ccTLD:.dm
インターネット利用者数:約4.8万人
車両通行:左側通行
平均寿命:77.1歳 (男性74.0歳、女性80.1歳)

[日本との関係]
国交樹立:1978年12月11日
相手公館:無し (本国常駐の大使のみ存在)
駐日相手国人数:14人 (永住者6人)
相手輸出額:1330万米ドル
相手輸出品:ほぼ再輸出品のみ
日本公館:無し (駐トリニダード・トバゴ大使館が兼轄)
在留日本人数:0人
日本輸出額:7690万米ドル
日本輸出品:自動車と部品、機械類、ゴム製品、二輪車、鉄鋼、繊維原料
現行条約:2001年 青年海外協力隊派遣取極

(注1)
カリブ海に浮かぶ小島嶼のうち、6つの独立国とイギリス領の3地域は、東カリブ諸国機構(OECS)という地域統合組織を結成し、東カリブ・ドル(ECドル)という共通通貨を使用している。これはセントキッツ・ネイビスの首都バセテールに本店が置かれる東カリブ中央銀行によって発行され、通貨価値は1米ドル=2.7ECドルに固定されている。


《国名の由来》
クリストファー・コロンブスがこの島を発見したのが、1493年11月3日の日曜日だったことから。日曜日はキリスト教で「安息日」とされており、これを中世ラテン語ではDies Dominica(ディエス・ドミニカ)と表記する。

ドミニカ共和国(Dominican Republic)との混同がしばしば見られるため、ドミニカ国(Commonwealth of Dominica)と公式国名で言及されることも多い。

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

ツイッターやってます。基本的に更新情報はここでつぶやいてます。

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