タンザニア

タンザニア
Tanzania (タンザニア) (スワヒリ語)
Tanzania (タンザニーア) (英語)

Flag_of_Tanzania.png

東アフリカのタンザニアは、国土の大半を占める大陸部のタンガニーカと、インド洋に浮かぶザンジバルという2地域が1964年に連合を組むことで成立した国です。タンガニーカは1885年にドイツの植民地となり、第一次大戦を経てイギリスに割譲された後、タンガニーカ・アフリカ民族同盟(TANU)の指導下で1961年に独立を達成しました。一方のザンジバルは、中世からオマーンのアラブ人による支配を受けていましたが、1890年にイギリスの保護国となり、1963年末にザンジバル王国として改めてアラブ人王朝のもとで独立。しかし住民の大半を占める黒人は少数派のアラブ人が支配層を形成する不公平な制度に反発し、アフロ・シラジ党(ASP)が中心となって1964年初めにクーデターを実施。アラブ人を追放、あるいは虐殺しながら実権を掌握し、新たにザンジバル人民共和国を成立させました。しかしその後も混乱が続いたため、ザンジバルはタンガニーカに治安回復のための派兵を要請し、これを機に両国は一気に統合への道を突き進みます。そして1964年4月、両国はタンガニーカ・ザンジバル連合共和国として正式に合併し、同年12月には両地名を合わせたタンザニア連合共和国と改称しました。ちなみに連合結成後も両地で支配政党として君臨していたTANUとASPは、1977年に統合し、新たに革命党(CCM)を結成して、現在に至るまでタンザニアの政治を牛耳っています(1992年に複数政党制は導入したものの、CCMの支配を崩せるような強力な野党は存在しません)。

全く別の歴史をたどってきた2ヶ国がこのような経緯で連合したため、統合後もタンガニーカとザンジバルの間には簡易ながら出入国手続きが存在し、ザンジバルには外交、国防、通貨政策など連合全体に関わる事項を除いた幅広い内政自治権が残されています(タンガニーカは国土の大半を占める「本土」に相当するため、連合政府の直轄統治下に置かれていますが)。両国の統合は、当時のアフリカ諸国で盛んに叫ばれていたアフリカ統一国家の樹立、およびその手本・先駆けとして注目を集め、とかく部族意識や宗教の対立が国家の発展を妨げがちな同大陸においては珍しく、国語かつ公用語であるスワヒリ語のもとで1つの国民意識の形成に成功した国として知られます。また、ルワンダ内戦などアフリカ各地の紛争における和平調停役として巧みな外交を見せ、アフリカの平和に幾度と無く貢献してきた功績から、貧しい農業国ではあるものの一定の国際的地位を確立しています。外国人にとっては見どころも多く、アフリカ最高峰であるキリマンジャロ山(標高5895m)のほか、多様な動植物が生育する豊かな生態系と、それを生かしたサファリツアー、そしてアラブ時代の伝統が息づくザンジバルの旧市街といった名所を抱えており、観光業は金などの鉱物や、コーヒー豆と茶を中心とした農産物の輸出と並んで、有力な外貨獲得源となっています。

タンザニアの国旗は、1964年の連合結成に伴い制定されました。この旗は旧タンガニーカ共和国の国旗と、旧ザンジバル人民共和国の国旗を組み合わせたもので、両国が共通して用いていた緑は豊かな土壌と農産物を、黒は国民のほとんどを占めるアフリカ系黒人を象徴します。他方、黄はタンガニーカの国旗、青はザンジバルの旗に見られた特有のもので、黄は金や宝石(特にこの地が原産地であるタンザナイト)といった鉱産資源を、青は国内を潤す幾多の河川・湖沼と広大なインド洋を象徴します。それぞれの特色がよく反映されたうえ、旗章学的な決まりからの逸脱も見られないため、デザインに関しては専門家の間でもなかなか好評のようです。ちなみに現在のザンジバル自治政府は、旧ザンジバル国旗のカントン部にタンザニア国旗を配した旗を、地域旗として用いています。

縦横比:2対3


タンザニア連合共和国
Jamhuri ya Muungano wa Tanzania
(ジャムフリ・ヤ・ムーンガノ・ワ・タンザニア)

United Republic of Tanzania
(ユナイテッド・リパブリック・オブ・タンザニーア)


Map_of_Tanzania.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:アフリカ
面積:約94.7万km² (日本の約2.5倍)
人口:約5229万人
都市人口率:31.6%
首都:ドドマ (Dodoma, 注1)
最大都市:ダルエスサラーム (Dar es Salaam)
主要民族:黒人諸部族がほとんど。スクマ族とニャムウェジ族を筆頭に、
       大半をバントゥー系諸民族が占める。ナイル系のマサイ族、
       ルオ族なども一部に存在。民族数は120以上にのぼる。
       ザンジバルではアラブ人と黒人の混血(シラジ人)も多い。
       他に少数のインド系、ヨーロッパ系白人、中国系など。
主要言語:スワヒリ語と英語が公用語。両言語の地位は対等だが、
       スワヒリ語は各民族をまたぐ土着の共通語であり、商売
       やマスメディアなど日常的にも広く用いられる一方、外来
       言語である英語は高等教育を受けたエリート層や、観光
       業者の言語と認識されている。他にスクマ語など各部族
       の固有言語が100以上存在し、多くの国民は部族語を母
       語としつつ、スワヒリ語と英語を必要に応じて習得する。
       ザンジバルではアラビア語も広く通用する。
主要宗教:キリスト教61%
        ローマ・カトリック教会30%
        プロテスタント諸派(主に福音派、聖公会、ペンテコステ派)27%
        他にアフリカ独自の土着教会、正教会など。
       イスラム教35%
        スンナ派14%
        シーア派7%
        特定の宗派に属さない7%
        アフマディーヤ教団6%
        スーフィズムも小規模ながら信仰されている。
       伝統宗教(各部族の土着の精霊信仰)2%
       少数のバハーイー教、ヒンドゥー教など。
       ※ザンジバルではスンナ派イスラム教がほとんど。

[政治・軍事]
独立:1961年12月9日(タンガニーカ)、1963年12月10日(ザンジバル)
連合結成:1964年4月26日
国連加盟:1961年12月14日 (注2)
政治体制:共和制、大統領制、連邦国家
元首:大統領
    直接選挙制、任期5年、3選禁止。
政府:内閣
    首相と閣僚は大統領が任命。
議会:一院制の国民議会
    357議席。239議席は直接選挙(小選挙区制)で選出。102議席は
    直接選挙の結果に基づき、大統領が各党に配分する女性議員枠。
    5議席はザンジバル自治議会の議員代表枠。10議席は有識者の
    中から大統領が任命。残る1議席は司法長官の議席。任期5年。
政党制:革命党による一党優位制
     (形式上は多党制)
国政選挙権:18歳以上の国民全て
兵役制度:志願制
国防費:5億8500万米ドル
軍組織:タンザニア人民防衛軍
     陸軍2万3000人
     海軍1000人
     空軍3000人

[経済・通信・その他]
中央銀行:タンザニア銀行
通貨:タンザニア・シリング (shilling, TZS)
国内総生産(GDP):456億3000万米ドル
1人当たりGDP:873米ドル
GDP構成比:農林水産業25.6%
        鉱工業26.5%
        サービス業47.4%
労働人口:2611万人
失業率:10.3%
輸出額:57億1000万米ドル
輸出品:金、ナッツ類、宝石の原石、豆類、葉タバコ、コーヒー豆、魚介類、野菜
輸出先:インド21%、中国8%、日本5%、ケニア5%、ベルギー4%
輸入額:98億4300万米ドル
輸入品:精製石油、機械類、医薬品、自動車、鉄鋼、パーム油、小麦、衣類
輸入元:中国35%、インド14%、南アフリカ5%、UAE4%、ケニア4%
固定電話回線数:14万3000回線
携帯電話回線数:3966万6000回線
国別電話番号:255
ccTLD:.tz
インターネット利用者数:約290万人
車両通行:左側通行
平均寿命:62.2歳 (男性60.8歳、女性63.6歳)

[日本との関係]
国交樹立:1961年12月9日 (旧タンガニーカとの国交を継承)
相手公館:大使館 (東京)
駐日相手国人数:498人 (永住者110人)
相手輸出額:2億9100万米ドル
相手輸出品:宝石の原石、銅鉱、胡麻、コーヒー豆、葉タバコ、魚介類
日本公館:大使館 (ダルエスサラーム)
在留日本人数:357人 (永住者無し)
日本輸出額:3億8100万米ドル
日本輸出品:自動車と部品、鉄鋼、機械類、ゴム製品、化学繊維、化学薬品
現行条約:1966年 青年海外協力隊派遣取極
       2004年 技術協力協定

(注1)
1973年にインド洋岸の最大都市ダルエスサラームから、内陸のドドマへの遷都が行われたものの、国会議事堂以外の政府機関や各国の大使館はダルエスサラームに残留したまま。よって形式的な首都はドドマだが、事実上の首都はダルエスサラームといえる。

(注2)
1961年12月14日にタンガニーカ、1963年12月16日にザンジバルが個別に加盟。両国の統合により、先に加盟したタンガニーカの加盟資格を継承。


《国歌「神よ、アフリカを祝福したまえ」》
制定:1961年
作曲:イーノック・ソントンガ
作詞:不明
備考:ザンビアおよび南アフリカの国歌と同じメロディーだが、これは両国
    がアフリカ統合の先駆者たるタンザニアの国歌を黒人解放の象徴
    として重視し、共通のメロディーとして採用したため。
    (ただし歌詞は異なる)

神よ、アフリカを祝福したまえ。
その指導者たちを祝福し、統一と平和に向けた知恵を、
アフリカと、その民たちの盾たらしめんことを。

アフリカに祝福を、アフリカに祝福を。
アフリカの子たる我らに祝福を。

《国名の由来》
連合共和国を構成する大陸部のタンガニーカ(Tanganyika)と島嶼部のザンジバル(Zanzibar)を複合し、英語で地名を表す際に用いられる接尾語-iaを合わせた国名。最後のiaについては、かつてアフリカ南部で栄えたアザニア(Azania)文化からきていると解説する資料もある。

タンガニーカという地名は国の東部に位置するタンガニーカ湖に由来する。1858年にイギリスの探検家リチャード・バートンが内陸に湖を発見した際、現地人に「水の集まる地」を表すTou Tanganyka(トウ・タンガニーカ)と紹介されたからという説があるが、一方で同じく探検家のヘンリー・スタンリーが1871年に現地語で「平らな島」を表すTonga hika(トンガ・ヒーカ)からきているとして異議を唱えた。現在でもどちらの説が正しいのかははっきりしていない。

ザンジバルは「黒人」を意味するزنكي(ザンジ)と、「海岸」を意味するبرر(バール)から。共にアラビア語由来の言葉だが、これはザンジバルが17世紀よりオマーンを本拠地とするアラブ人の支配を受けていため。

旧国名
1964 タンガニーカ・ザンジバル連合共和国
(ス)Jamhuri ya Muungano wa
   Tanganyika na Zanzibar
  (ジャムフリ・ヤ・ムーンガノ・ワ・タンガニーカ・ナ・ザンズィバル)

(英)United Republic of Tanganyika and Zanzibar
  (ユナイテッド・リパブリック・オブ・タンガニーカ・エンド・ザンズィバー)

コメント

非公開コメント

プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

ツイッターやってます。基本的に更新情報はここでつぶやいてます。

カテゴリ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

外部リンク
QRコード
QRコード
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
Flag counter