タジキスタン

タジキスタン
Тоҷикистон (トージーキストーン) (タジク語)
Таджикистан (タジーキスタン) (ロシア語)
Tajikistan (タジーキスターン) (英語)

Flag_of_Tajikistan.png

中央アジアに位置するタジキスタンは、1991年にソ連から独立した内陸の共和国です。北部のフェルガナ盆地を除いて国土は山岳地で、特に中国との国境に位置する東部には「世界の屋根」と呼ばれるパミール高原がそびえるなど、厳しい自然環境を抱えるため、人口の大半は比較的穏やかな気候を持つ西部に集中しています。一方で山岳から得られる恩恵もあり、高山や深い渓谷が作り出した起伏に富んだ地形と、豊富な雪解け水を使った水力発電が盛んで、膨大な電力を必要とするアルミニウム精錬業が国家最大の産業に発展しています。これと余剰電力、そしてソ連時代に栽培が進められた綿花がタジキスタンの3大輸出物であり、貧しいこの国にとっては貴重な外貨獲得源となっています。また文化的には、トルコ系民族が大半を占める中央アジアで唯一、ペルシア(イラン)系のタジク人を主体とする国であり、独立後はイランやアフガニスタンといったペルシア文化圏との結び付きを強めています。公用語のタジク語も実際はペルシア語に極めて近く、ほぼ方言程度の差しかありませんしね。ただし共通して信仰しているイスラム教においては、タジキスタンではソ連時代に強制された無神論の影響から、非常に戒律が緩いかたわら、イランは1979年の革命以降、イスラム法学者を国家の中枢に据えた厳格な神権政治を国是としているなど、信仰に対する意識や扱いは対照的で、宗派もペルシア人がシーア派なのに対し、タジク人はスンナ派を民族宗教とするなど、ペルシア人とは異なる独自の民族アイデンティティの構築に力を注いでいます(2009年にはタジキスタン政府がスンナ派を国教に定めました)。

古来、この地はアケメネス朝ペルシアの最東端の版図とされ、同帝国崩壊後も様々な民族が混住しながら、イスラム諸王朝によって独自の文化が花開かれてきました。19世紀に入ると北隣のウズベク人がブハラ・ハン国を樹立し、この地もその支配下に入りましたが、同時に南下政策を進めていたロシアも中央アジアへの進出を目論むようになり、20世紀に入るまでにハン国の統治は形骸化。1920年にはロシア革命の影響を受けて正式にハン国は廃止され、替わって社会主義政権が成立。1922年にはソ連の一部となりました。当初タジク人地域は、革命前の勢力差を考慮してウズベク・ソビエト社会主義共和国の自治区という地位に甘んじていましたが、混住地域では統治に不都合だったソ連共産党は民族居住地域の整理と強制移住を実施し、この一帯のタジク人比率を高めました。その結果、この地は1929年にウズベク人から分離し、改めてソ連構成共和国の1つに昇格。1991年にはソ連崩壊を受けてタジキスタン共和国として正式に独立しました。独立後のタジキスタンは旧ソ連諸国の中でもとりわけ変革が遅く、旧共産党で要職に就いていた人物が新政府の大統領や閣僚に横滑りし、改革による混乱よりも政情の安定を最優先した政策が採られていました。しかしイスラム信仰の復活と厳格化を掲げる反政府野党連合(隣国アフガニスタンの軍閥が支援していたとも)はこの体制に猛反発し、両者は程なくして内戦に突入。1997年の停戦までに最低でも5万人、最大で10万人とされる国民が死亡し、多数の優秀な人材が国外に脱出するなど、生まれたての国家は苦難の産声と共にスタートを切る形となりました。現在は1992年以来の長期政権を率いるエモマリ・ラフモン現大統領のもとで政情安定と経済成長を主軸とした国家建設が行われており、治安も一定程度は回復しています。

タジキスタンの国旗は独立翌年の1992年に制定されたもので、かつてのペルシア帝国の末裔であるイランの国旗と同様、赤、白、緑の三色旗が使われています。赤は国家の統一と勝利を、白は特産物の綿花と高原の雪を、緑は貴重な平地と農産物を象徴します。中央の紋章は王冠と星を組み合わせたもので、タジクという言葉が冠という言葉に由来するとも、国民の団結を表すとも、諸外国との友好を象徴するとも言われます。7つの星はタジク人にとって縁起の良い数字である7からとられています。

縦横比:1対2

【旧国旗】
Flag_of_Tajik_SSR.png    Flag_of_Tajikistan_1991-1992.png
ソ連を構成していた15共和国の1つ、タジク・ソビエト社会主義共和国の国旗です。1953年から1991年まで用いられました。ソ連時代の各共和国の国旗はソ連国旗にそれぞれの意匠を盛り込んだものでしたが、赤地に白と緑の帯を配した左の旗は、ペルシア系民族タジク人の伝統色に基づいています(白は主要産物である綿花、緑はその他の農産物とする説もあり)。

ソ連崩壊によって全ての構成国が独立を喜んだかといえばそうではなく、ソ連崩壊とそれに伴う独立は、構成国の中で最貧とされた脆弱なタジキスタン経済にとっては、必ずしも喜ばしいばかりのものではなかったといいます。というのも、当時のソ連では各共和国ごとに生産する物資を指定した分業体制が採られていたため、中央政府(更に言えばソ連共産党)がそれを買い付けてくれなければ、内陸国でアクセスが悪く割高なこの国の産品が売れなくなってしまう危険性があったのです。しかも特定の産品のみを集中して作っていたことで、多角的な産業の育成が進んでおらず、タジキスタンそのものが市場経済化とグローバリゼーションの中で「食い物」にされる可能性もありました。

当然、独立そのものが不測かつ望まぬ事態であり、正式なソ連崩壊までに新国旗の作成が間に合いませんでした。そのため1991年の独立から1992年に現国旗が制定されるまでは、この旗から鎌と槌の意匠を削除した右の旗が暫定的な国旗として用いられました。


タジキスタン共和国
Ҷумҳурии Тоҷикистон (ジュムフーリーィ・トージーキストーン)
Республика Таджикистан (リスプーブリカ・タジーキスタン)
Republic of Tajikistan (リパブリック・オブ・タジーキスターン)

Map_of_Tajikistan.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:アジア
面積:約14.3万km² (北海道の約1.7倍)
人口:約861万人
都市人口率:26.8%
首都・最大都市:ドゥシャンベ (タ・露:Душанбе 英:Dushanbe)
主要民族:タジク人(ペルシア系)80%
       ウズベク人(トルコ系)16%
       ロシア人(スラヴ系)1%
       キルギス人(トルコ系)1%
       他に少数のパシュトゥーン(アフガン)人など。
主要言語:タジク語(ペルシア語の東部方言)が公用語で、国民の8割が
       母語としている。旧ソ連時代の影響から、ロシア語が民族間の
       連結語として機能しているが、政府はタジク語の使用を推進す
       る政策を打ち出している。他にウズベク語などの各民族語。
主要宗教:イスラム教98%
        スンナ派(国教)88%
        特定の宗派に属さない7%
        シーア派3%
       キリスト教1%以上
       極少数のゾロアスター教など。

[政治・軍事]
独立:1991年9月9日
国連加盟:1992年3月2日
政治体制:共和制、大統領制
元首:大統領
    直接選挙制、任期7年、3選禁止 (注1)
政府:閣僚評議会(内閣に相当)
    首相と閣僚は大統領が任命
議会:二院制の最高会議
    ●国民議会(上院)
     33議席。25議席は各州議会が選出。8議席は大統領が任命。
     任期5年。
    ●代議院(下院)
     63議席。直接選挙制(小選挙区比例代表並立制)。任期5年。
     41議席は小選挙区によって、22議席は比例代表に基づき選出。
政党制:タジキスタン人民民主党による一党優位制
     (形式上は多党制)
国政選挙権:18歳以上の国民全て
兵役制度:徴兵制
国防費:1億400万米ドル
軍組織:タジキスタン軍
     陸軍7300人
     空軍1500人

[経済・通信・その他]
中央銀行:タジキスタン国立銀行
通貨:ソモニ (somoni, TJS)
国内総生産(GDP):92億4200万米ドル
1人当たりGDP:926米ドル
GDP構成比:農林水産業29.5%
        鉱工業21.2%
        サービス業49.3%
労働人口:240万人
失業率:不明 (5~10%と推計される)
輸出額:5億7200万米ドル
輸出品:精錬アルミ、金、鉛鉱、亜鉛鉱、電力、綿花、果物、銅鉱、野菜
輸出先:トルコ20%、カザフスタン18%、スイス14%、イラン9%、アフガニスタン8%
輸入額:28億2500万米ドル
輸入品:機械類、精製石油、衣類、小麦、鉄鋼、天然ガス、自動車、履物
輸入元:中国42%、ロシア18%、カザフスタン13%、イラン5%、トルコ5%
固定電話回線数:45万7000回線
携帯電話回線数:848万9000回線
国別電話番号:992
ccTLD:.tj
インターネット利用者数:約162万人
車両通行:右側通行
平均寿命:67.8歳 (男性64.6歳、女性71.0歳)

[日本との関係]
国交樹立:1992年2月2日
相手公館:大使館 (東京)
駐日相手国人数:124人 (永住者1人)
相手輸出額:223万米ドル
相手輸出品:野菜、アンチモン鉱、蜂蜜、果物
日本公館:大使館 (ドゥシャンベ)
在留日本人数:40人 (永住者無し)
日本輸出額:533万米ドル
日本輸出品:肉類、機械類、家具、ゴム製品、自動車と部品、化学薬品
現行条約:特に無し

(注1)
もともと大統領に再選制限は無かったが、2003年に新憲法が制定され、その中に3選禁止事項が盛り込まれた。ただし現エモマリ・ラフモン大統領のそれまでの任期は、再選回数にカウントされない(憲法改正後最初の大統領選となった2006年からの任期が「1期目」扱い)。


《国歌「タジキスタン共和国国歌」》
制定:1991年
作曲:スレイマン・ユダコフ
作詞:グルナザル・ケルディ
備考:曲そのものは旧ソ連時代の共和国国歌と同じで、
    歌詞のみ1991年に新調。

我らが最愛の祖国よ。
そなたの誇りこそ我らの幸福。
そなたの幸福と繁栄よ、永遠なれ。
我らは古(いにしえ)より来たるべきこの日まで、
そなたの旗のもとに立てり。
我が祖国の永からんことを、我が自由なるタジキスタン!

《国名の由来》
タジク語ではТоҷикистон(トージーキストーン)と表記される。タジク語(アフガニスタンのダリー語と同様、ペルシア語の方言と見なされる)はもともとアラビア文字で書かれていたが、タジキスタン国内ではソ連時代の影響もあり、現在はキリル文字で書かれる。

国名は「タジク人の国」の意味。タジクの語源について詳しくは分かっていないが、ペルシア語でタジとは「王冠」を意味し、タジクで「王冠の人」という意味になるという説が有力。国旗にも見られるように、王冠がタジク人のシンボルとして使われていることに関係があると見られる。また、スタンは周辺国と同様、ペルシア語で「○○の国、土地」を表す。

旧国名
1929-
1991
 タジク・ソビエト社会主義共和国
(タ)Республикаи Советии
   Социалистии Тоҷикистон
  (レスプーブリカーィ・ソヴェティイー・ソツィアリスティイー・
   トージーキストーン)

(露)Таджикская Советская
   Социалистическая Республика
  (タジークスカーヤ・サヴィエツカーヤ・
   サツィアリスチーチェスカーヤ・リスプーブリカ)

(英)Tajik Soviet Socialist Republic
  (タジーク・ソヴィエト・ソーシャリスト・リパブリック)

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

ツイッターやってます。基本的に更新情報はここでつぶやいてます。

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