ナウル

ナウル
Naoero (ナォエロ) (ナウル語)
Nauru (ナウルー) (英語)

Flag_of_Nauru.png

太平洋南西部のミクロネシア地域にポツンと浮かぶナウル島は、1968年よりナウル共和国として独立国家を形成しています。国土面積はバチカン、モナコに次いで世界で3番目に小さく、人口も1万人程度と極めて小さな国ですが、この国は20世紀後半の一時期、世界トップクラスの豊かな国として大きな発言権を持っていた時期がありました。意外なことに、それを可能としたのは、古くからこの島に飛来するアホウドリが落としていく糞やその死骸。これが長い時間をかけて化石になる過程で、近代農業に欠かせない肥料の元となるリンが生成され、島の表土に堆積していたのです。これはグアノ(guano)、いわゆるリン鉱石として島の最大の生産物となり、独立後のナウルはこれを大量に輸出して巨万の富を築いていたのです。しかし資源はいずれ枯渇するもの。1980年代より徐々に採掘量に陰りが見え始め、焦燥感に駆られたナウル政府はばら撒きに近い経済的奇策を展開。そのいずれも失敗に終わり、手をこまねいているうちに最大の資金源を喪失。現在、下層のリン鉱石の再採掘によってなんとか経済を維持しているものの、財政は援助無しではとても成り立たない状況になっており、国家として今後も存続していけるのかどうかは微妙な情勢となっています。このナウルの問題については、当ブログでもこちらに詳しく書いていますので、是非ご覧下さい。

そんなナウルの歴史は紀元前1000年頃までさかのぼることができ、この頃に現在のミクロネシア系諸民族の先祖となる人々が太平洋南西部に移住したと考えられています。ナウル島ではこれらの人々が時間と共に12の部族に集約され、それぞれが農業と漁業を軸とした伝統的な生活を送っていました。転機が訪れたのは18世紀末、イギリス人がこの島を「発見」したことから始まり、後に太平洋の島々が欧州列強の植民地となっていく中、島のリン鉱石事業の可能性にいち早く気付いたドイツが、1888年にナウル島の領有を宣言しました。しかし第一次大戦後、敗戦国ドイツは全ての植民地を放棄させられたため、この島はイギリス、オーストラリア、ニュージーランドの共同統治下に入り、以後リン鉱石事業もイギリスが代表して継続してきました。第二次大戦後は島に眠る宝の山を島民の手に取り戻そうと、島の有力者ハマー・デロバート(後の初代大統領)を中心に独立運動を展開。これに手を焼いたイギリスも1968年、遂に正式な独立を承認し、1970年にはリン鉱石事業もナウル政府によって国営化されました。こうしてようやく島の資源と、そこから得られる富が島民に行きわたるようになったわけですが、その後の展開は前述の通りで、未だ国家再建の道筋は不透明なままです。

ナウルの国旗は1968年の独立と同時に制定されたもので、全体でナウルの地勢を表現したものとなっています。青は太平洋を、黄色い線は赤道を表し、その下に置かれた白い星は、赤道のすぐ南に位置するナウル島の位置を表します。また、青が黄色の線で二分されているのは、ナウル人の祖先が赤道を挟んで南北様々な土地からこの地へ移住した経緯を、白い星が12本の光で構成されているのは前述の12部族を、白そのものはナウル人の富の源泉たるグアノ(リン鉱石)を象徴します。旧宗主国のイギリス、オーストラリア、ニュージーランドの国旗の影響からか、縦横比もそれらと同じ1対2が採用されており、未だナウルがこの3ヶ国と強い紐帯を維持していることがうかがえます。通貨も近隣で最も影響力の強い地域大国オーストラリアと同じですしね。

縦横比:1対2


ナウル共和国
Repubrikin Naoero (レプブリキン・ナォエロ)
Republic of Nauru (リパブリック・オブ・ナウルー)

Map_of_Nauru.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:オセアニア
面積:約21km² (小笠原諸島の父島よりわずかに大きい)
人口:約1万人
首都・最大都市:無し (注1)
都市人口率:都市は存在しない (注1)
主要民族:ミクロネシア系ナウル人58%
       他の太平洋系諸民族(主にキリバス人とツバル人)26%
       中国系8%
       ヨーロッパ系白人8%
主要言語:ナウル語と英語が公用語。土着のミクロネシア系言語
       であるナウル語が島の母語であり、ほとんどの国民が
       日常的に使用する。しかし島の外ではほぼ通用しない
       ことから、政府機関や商業の場では英語が優先される
       傾向が強い。
主要宗教:キリスト教79%
        ナウル会衆派教会36%
        ローマ・カトリック教会33%
        セブンズデー・アドヴェンティスト教会8%など。
       バハーイー教10%
       仏教9%
       イスラム教2%

[政治・軍事]
独立:1968年1月31日
国連加盟:1999年9月14日
政治体制:共和制、大統領制
元首:大統領
    議会による間接選挙制、再選制限なし、任期3年。
政府:内閣(首相職なし)
    閣僚は大統領が任命。
議会:一院制の国会
    19議席。直接選挙制(大選挙区制)。任期3年。
政党制:多党制だが、政党の活動は低調。
    (政党政治の文化が根付いていない)
国政選挙権:20歳以上の国民全て
兵役制度:なし (正規軍なし)
備考:小規模な警察隊を除き、軍事力を持たない。
    国防に関してはオーストラリアが責任を持つ。

[経済・通信・その他]
中央銀行:無し
通貨:オーストラリア・ドル (dollar, AUD)
国内総生産(GDP):1億8200万米ドル
1人当たりGDP:1万8469米ドル
GDP構成比:農林水産業5~10%
        鉱工業30~35%
        サービス業60~65% (2015年推計)
労働人口:不明 (5000人前後と推計される)
失業率:不明 (30%前後と推計される)
輸出額:2740万米ドル
輸出品:リン鉱石が6割、他はほぼ再輸出品
輸出先:豪州35%、インド34%、日本14%、フランス4%、米国2%
輸入額:7180万米ドル
輸入品:精製石油、機械類、自動車、肉類、穀物、タバコ製品、飲料水、酒類
輸入元:豪州48%、フィジー27%、台湾9%、中国7%、ロシア4%
固定電話回線数:2000回線
携帯電話回線数:7000回線
国別電話番号:674
ccTLD:.nr
インターネット利用者数:不明 (500~1000人と推計される)
車両通行:左側通行
平均寿命:66.7歳 (男性63.0歳、女性70.5歳)

[日本との関係]
国交樹立:1968年2月
相手公館:無し (日本を兼轄する他国駐在公館も無し)
       ※1971年に東京にナウル大使館が開設されたが、
        1989年に閉鎖。以来、日本に駐在するナウルの
        公館は存在しない。
駐日相手国人数:7人 (永住者1人)
相手輸出額:389万米ドル
相手輸出品:ほぼリン鉱石のみ
日本公館:無し (駐フィジー大使館が兼轄)
在留日本人数:0人
日本輸出額:13万3000米ドル
日本輸出品:自動車、機械類、二輪車
現行条約:特に無し

(注1)
ナウルの地方行政制度は、国の直下に14の「地区」があるだけの構造。地区内に市町村は存在せず、厳密な意味での「都市」は無い。ただし行政機関や国会議事堂は南西部のヤレン地区(Yaren District)に置かれており、この地区を実質的に首都として扱う場合が多い。なお、島の中央部はリン鉱石の採掘場として大規模に掘り返された結果、居住が極めて難しくなっている(一部は車両通行すら不可能)ことから、ナウルの人口のほとんどは沿岸部に集中している。


《国歌「ナウル、我が祖国」》
制定:1968年
作曲:ローレンス・ヒックス
作詞:マーガレット・ヘンドリー

ナウル、我が祖国。我らの敬愛なる地。
我らはそなたのために祈り、その名を称賛する。
我らが偉大なる祖先の、長きにわたる故郷にして、
来たる世代の故郷とならん。
我らは皆共に、その旗を敬い、集い、
喜びの声をあげるだろう。
ナウルよ、永遠なれ!と

《国名の由来》
現地のナウル語ではNaoero(ナォエロ)と表記され、Nauru(ナウルー)は英語表記。ナウル語で「私は浜へ行く」を意味するAnáoero(アナォエロ)を、かつてこの島を支配していたドイツ人入植者たちが地名と勘違いしてNawodo(ナヴォド)、もしくはOnawero(オナヴェロ)と呼んだことが由来とされる。

一方、ポリネシア系の言語で「滝のようなスコール」を意味する言葉と紹介する文献もある。

コメント

非公開コメント

プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

ツイッターやってます。基本的に更新情報はここでつぶやいてます。

カテゴリ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

外部リンク
QRコード
QRコード
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
Flag counter