ボスニア・ヘルツェゴビナ

ボスニア・ヘルツェゴビナ
Bosna i Hercegovina (ボシュニャク語、クロアチア語)
Босна и Херцеговина (セルビア語)
Bosnia and Herzegovina (英語)

Flag_of_Bosnia_and_Herzegovina.png

1992年にユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナは、ヨーロッパ南東部のバルカン半島にあるボスニア地方(北中部)とヘルツェゴビナ地方(南部)を領土とする国です。ほぼ三角形の国土は山がちで、冬は大陸性の厳しい寒さに見舞われる土地ですが、国内を縦横無尽に流れる多くの河川によって土地は肥沃に保たれ、古くから農林業が盛んに行われてきました。ただ、現在は1990年代のユーゴ内戦とボスニア紛争の甚大な被害からの復興途上にあり、ヨーロッパの中でもとりわけ貧しい国となってしまっています。後述する「住み分け」政策により行政は円滑な運用を妨げられ、経済開発のスピードも遅く、脆弱な産業基盤は高い失業率に繋がり、国民の1割半以上が1日2米ドル相当の収入しか得られない貧困線か、それ以下の生活を強いられています。加えてほぼ内陸国(注1)という地理的な不利を抱えるため貿易の振興も難しく、国家経済の復興・発展は前途多難な状況にあります。

古代、この地はイリュリア人やローマ帝国の支配を受けていましたが、6世紀頃に現在の住民の祖先に当たるスラヴ系民族が移住。キリスト教を受容しながら初期国家を形成し、12世紀にはボスニア王国として独自の王権を確立しました。しかし15世紀に入ると南東から進出したオスマン帝国の支配下に入り、住民の多くがイスラム教に改宗。それに伴い、他のスラヴ系民族とは異なる独自の文化を持つようになり、ヨーロッパのキリスト教圏の中で異質な存在感を放つことになります。オスマン帝国はやがて国内政治の停滞と技術革新の遅れによって衰退し、隙を見た北方のオーストリア=ハンガリー帝国が1878年に施政権を獲得。1908年には正式に併合され、第一次大戦の発端となりました。大戦後、帝国の崩壊に伴い、この地は新たに成立したユーゴスラビアの一部となり、実質的にセルビア人の支配圏に入ったものの、国内にはイスラム教徒に改宗したスラヴ系民族(現在のボシュニャク人。当時は独自民族と見なされなかった)、正教会の信徒であるセルビア人、カトリック信者であるクロアチア人という複雑な民族事情を抱え、対立の前線となりました。それでも第二次大戦後に社会主義国となったユーゴを、自身のカリスマ性によって統合させてきたヨシップ・ブロズ・チトー大統領の巧みな政治手腕もあって、統一国家の維持と一定の平和が保障されてきましたが、1980年に彼が亡くなると、それまで抑え込まれてきた民族主義が噴出。ボスニアでも3大民族がそれぞれの利益を訴えて対立するようになり、1992年の独立後はボスニア紛争と呼ばれる大規模かつ凄惨な内戦に突入。1995年の終結までに死者20万人という多大な被害を出し、今も国家はその後禍に悩まされています(旧ユーゴ時代及び内戦時代のボスニア・ヘルツェゴビナに関しては、下記の旧国旗の欄を参照のこと)。

ボスニア・ヘルツェゴビナの現在の国旗は、1998年に制定されたものです。内戦後、かつて3大民族を率いて戦った各勢力は新たな国家体制造りを進め、その総仕上げとして国の象徴の最たる例である国旗も改められることになりました。青地と星というこの意匠は、ヨーロッパ連合(EU)の旗を参考にしたもので、各民族の数少ない共通目標であるEU加盟を視野に入れたデザインと言えます。ヨーロッパ諸国は国旗に星を採り入れることが少なく、かつて冷戦期にソ連を中核とする東欧社会主義圏の一部で見られた程度でしたが、ボスニア・ヘルツェゴビナでは敢えて最上部と最下部の星を半分に切ることで、旗の幅にとらわれず連綿と続く星の輝きを想起させ、未来への躍進を願う意匠として用いられています。また、黄色い三角形は国土の形を表すと同時に、3大民族の融和と、希望と太陽を象徴します。3大民族の象徴を1つも入れないことで、特定の民族が優遇されているという不満を国民に抱かせない工夫が施された意匠と言えますね。なお、この旗が国際社会で初めて披露されたのは同年開催された長野冬季五輪であり、国際平和を願う一大スポーツイベントに合わせて制定できるよう、それまで停滞していた議論を加速させて急ピッチで製作された国旗とのこと。

縦横比:1対2

【旧国旗】
Flag_of_the_socialist_Bosnia_and_Herzegovina.png
1945年、ユーゴスラビアはチトーの指導下で連邦制の社会主義国に改組され、ボスニア・ヘルツェゴビナも連邦を構成する6共和国の1つとして独自の共和国旗を掲げる権利を獲得しました。ただ、ボスニア・ヘルツェゴビナが抱える複雑な民族関係を反映してか、制定された共和国旗は社会主義を表す赤旗のカントン部に連邦旗を配した、極めて簡素な国旗となっています。1992年廃止。

この頃のボスニア・ヘルツェゴビナは、セルビアのもとで自治州となっていたコソボや、南部のマケドニアと共に、連邦内でもとりわけ開発が遅れた地域の1つでした。北部の先進工業地帯であるスロベニアやクロアチアにとって、自らの生み出した富が連邦への再分配という名目で奪われ、貧しい地域に振り分けられるというユーゴの経済システムは容認できるものではなく、積み重なった不満はやがて連邦崩壊へと繋がることになるのですが、チトーの存命時はなんとかこうした体制も上手く機能し、3大民族もバランスを保ちながら共生していたようです。1984年にはボスニアの首都サラエヴォで冬季五輪が開催されたほか、社会主義圏の中では珍しく西側諸国と友好関係を保ち、開放的な雰囲気が根付いていたユーゴにおいて、ボスニアは社会主義圏の中では「退廃的」として弾圧されたロックやポップス音楽の一大拠点となっていたとのこと。

ただその平和と安定も、チトー死去後の民族主義の発露によって崩壊し、1980年代以降のボスニアは泥沼の政争、内戦、そしてボスニア紛争へと歩を進めていくことになります。

Flag_of_Bosnia_and_Herzegovina_(1992-1998).png
1992年、ボスニア・ヘルツェゴビナの最大民族であるボシュニャク人は、既に崩壊状態にあったユーゴスラビアからの独立を宣言しました。それに伴い、中世のボスニア王国で領地拡大を実現した大王トブルトコ1世の青い盾と、特産の百合(フルール・ド・リス)が描かれた国旗を制定し、新国家の支配層がボシュニャク人であることを明確にしようと画策しました。縦の中に配された斜めの白線は、国土の中央部を流れるボスナ川を表し、盾の右上がボスニアを、左下がヘルツェゴビナを象徴していました。また、白地は平和と純潔を表すものとされます。1998年に国旗としては廃止されたものの、今でもボシュニャク人の間では民族の象徴として高い人気を誇り、現国旗を差し置いて掲げられることも少なくありません。

ボシュニャク人による一方的な決定に対し、連邦維持を図りたいセルビア人は反発し、独立自体には賛成ながら自らの勢力圏を確保したいクロアチア人も、ボシュニャク人主導の国家体制の改変を求めて激しく抗議。これはやがて武装闘争となり、周辺国を巻き込んだ大紛争へと発展していきました。ユーゴ連邦軍を称したセルビア人部隊は国土の北部と東部をスルプスカ共和国(セルビア人共和国)として支配下に置き、南部のヘルツェゴビナ地方に集中していたクロアチア人もヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国を樹立し、ボシュニャク人が率いる中央政府と対峙しましたが、戦線は一進一退の膠着状態が続き、1994年に中央政府は比較的主張が穏健なクロアチア人と手を組んでセルビア人の勢力伸長を阻止する路線に転換。結局、翌1995年のセルビア人による大攻勢をしのいだことで、3大民族がようやく揃って和平会談に応じるようになり、アメリカのオハイオ州デイトンにある空軍施設内で、国連の仲介により紛争終結を定めた合意(デイトン合意)が成されました。

この合意によれば、ボスニア・ヘルツェゴビナはボシュニャク人とクロアチア人が率いるボスニア・ヘルツェゴビナ連邦(ボスニア連邦)と、セルビア人のスルプスカ共和国という2つ共和国で構成される連邦国家となり、それぞれの共和国は大幅な自治権を持ち、互いにその権利を侵害しないことが定められました。また、再び凄惨な紛争が起こらないよう、合意内容の履行を監視する特別な機関が北大西洋条約機構(NATO)のもとに置かれ、ボスニア・ヘルツェゴビナの国家機関の上位に君臨し、いざとなれば武力を用いてでも強制的に紛争を停止させたり、直接立法を含む広範な権限を行使できるものとされました。こうした国際的な監視体制のもとで、ようやく国家は平穏を取り戻し、共和国ごとに各民族が住み分ける形で一定の平穏を維持することとなったのです。ただ、住み分けにより相互交流の場が限られ、結果として民族をまたいで共に暮らせるような「融和」ではなく、単に「併存」しているに過ぎない状況に置かれていることは変わらず、国際法上は1つの国でありながら、実質的には分割されているという複雑な事情が、ボスニア・ヘルツェゴビナの復興の足かせとなっています。教育の場でも異なる民族が机を並べるようなことはなく、生活圏は分離され、国家ごとの出場が原則となっている国際スポーツ大会の場など一部を除いて、国内統合は進んでいません(それだけに2014年のサッカー・ワールドカップでボスニア・ヘルツェゴビナが初出場を決めたことは、民族融和の象徴として大きな反響を呼んだようですが)。


ボスニア・ヘルツェゴビナ
Bosna i Hercegovina
Босна и Херцеговина
Bosnia and Herzegovina


Map_of_Bosnia_and_Herzegovina.gif

統計データは原則として2016年時点のもの。

[地理]
位置:ヨーロッパ
面積:約5.1万km² (九州の約1.4倍)
人口:386万人
都市人口率:40.1%
首都・最大都市:サラエヴォ (ボ・ク・英:Sarajevo)
              (セ:Сарајево)
民族:ボシュニャク人50%
   セルビア人31%
   クロアチア人15%
   極少数のロマ人、モンテネグロ人、アルバニア人など。
言語:ボスニア語、セルビア語、クロアチア語の3公用語。それぞ
   れの話者数は民族分布に比例するが、相互の理解性が極めて
   高く、国内における意志疎通に大きな問題は無い。他に少数
   のロマ語など。
宗教:イスラム教51%
    スンナ派29%
    特定の宗派に属さない22%
   キリスト教46%
    正教会31%
    ローマ・カトリック教会15%
   無宗教2%

[政治・軍事]
独立:1992年3月1日
国連加盟:1992年5月22日
政治体制:共和制、半大統領制、連邦国家
元首:大統領評議会(幹部会とも)
   4年に一度、3大民族から1名ずつ大統領評議会議員が選出さ
   れ、3名は8ヶ月ごとに輪番制で議長を務める。議長が単独で
   元首の権限を行使するわけではなく、大統領評議会全体で元
   首として行動する。3選禁止。
政府:閣僚評議会(内閣に相当)
   大統領評議会が下院最大会派の指導者を首相に任命。他の閣
   僚は首相が任命。ただしいずれの任命権行使にも下院の承認
   が必要。
議会:二院制の国会
   ●民族院(上院)
    15議席。国家を構成する2共和国の議会による間接選挙で
    選出。10議席はボスニア連邦から、5議席はスルプスカ共
    和国から選出され、3大民族に5議席ずつ割り当てられるよ
    う選出枠を調整する。任期4年。
   ●代議院(下院)
    42議席。直接選挙制(比例代表制)。うち28議席はボスニア
    連邦、14議席はスルプスカ共和国から選出。任期4年。
政党制:多党制。小党乱立の傾向が強い。
国政選挙権:18歳以上の国民全て。ただし就労者であれば16歳から
      投票が認められる。
兵役制度:志願制
国防費:1億6600万米ドル
軍組織:ボスニア・ヘルツェゴビナ軍
    陸軍9200人
    空軍1400人

[経済・エネルギー]
中央銀行:ボスニア・ヘルツェゴビナ中央銀行
通貨:兌換マルク (mark, BAM, 注2)
国内総生産(GDP):165億6000万米ドル
1人当たりGDP:4709米ドル
GDP構成比:農林水産業7.8%
      鉱工業26.8%
      サービス業65.4%
労働人口:151万人
失業率:25.4%
輸出額:50億3000万米ドル
輸出品:鉄鋼、アルミ製品、家具、衣類と靴、木材、機械部品、電力、果物
輸出先:ドイツ17%、イタリア13%、クロアチア11%、セルビア9%、スロベニア9%
輸入額:90億2000万米ドル
輸入品:機械類、精製石油、自動車、医薬品、原油、繊維原料、皮革
輸入元:ドイツ12%、イタリア12%、セルビア11%、クロアチア10%、中国7%
発電量:149億7000万kWh
    (火力42%、水力48%)
電力消費量:114億4000万kWh (1人当たり2964kWh)
電力輸出量:60億700万kWh
電力輸入量:38億7200万kWh

[通信・その他]
固定電話回線数:74万5000回線
携帯電話回線数:340万4000回線
国別電話番号:387
ccTLD:.ba
インターネット利用者数:234万人
車両通行:右側通行
平均寿命:77.1歳 (男性73.9歳、女性80.2歳)

[日本との関係]
国交樹立:1996年2月9日
相手公館:大使館 (東京)
駐日相手国人数:36人 (永住者6人)
相手輸出額:680万米ドル
相手輸出品:衣類と靴が4割ずつ、他に木材、皮革製品、家具
日本公館:大使館 (サラエヴォ)
在留日本人数:30人 (永住者2人)
日本輸出額:410万米ドル
日本輸出品:機械類、精密機器(特に医療機器)、自動車、ゴム製品
現行条約:2005年 技術協力協定
     (旧ユーゴと締結した通商航海条約、文化協定、科学技術
      協力協定が旧構成国であるボスニア・ヘルツェゴビナに
      も適用され、現在も有効とされる)

(注1)
海岸線は南部にわずか20kmほど存在し、ネウムという小都市を形成しているものの、大規模な港湾施設は無く、海洋貿易は主にクロアチアのプロチェという港湾都市を経由して行われている。

(注2)
国内ではコンヴェルティビルナ・マルカと呼ばれ、KMと略されることが多い。かつてのドイツ・マルク(mark, DEM)の兌換貨幣として1998年に導入された。発券は中央銀行が行うが、ボスニア連邦向けとスルプスカ共和国向けで紙幣のデザインが異なる(硬貨は同じ)。双方はあくまで同一通貨という扱いであり、価値は等価である。


《国歌「ボスニア・ヘルツェゴビナ国歌」》
制定:1998年
作曲:ドゥシャン・シェスティッチ
作詞:無し
備考:公式の歌詞は存在しない。

《国名の由来》
ボスニア語とクロアチア語ではBosna i Hercegovina、セルビア語ではБосна и Херцеговинаと表記される。読みはいずれの言語でもボスナ・イ・ヘルツェゴヴィナで、BiH(БиХ)と略される場合も多い。国土の北部を占めるボスニアと南部のヘルツェゴビナの合成地名。

ボスナ(英語ではボスニア)は国の中西部を南北に流れるボスナ川に由来。古代ローマ時代にはBosona(ボソナ)と呼ばれたが、これは古イリュリア語で「清らかな」を表す言葉とされる。ヘルツェゴビナはドイツ語で「公爵」を意味するHerzog(ヘルツォーク)が転訛した地名で、1448年に神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世によりこの地の領主に任命されたスチェパン・ヴクチッチが「聖サヴァ公」と称したことに由来する。

旧国名
1945-
1963
 ボスニア・ヘルツェゴビナ人民共和国
(ボ・ク)Narodna Republika Bosna i Hercegovina
(セ)Народна Република Босна и Херцеговина
(英)People's Republic of Bosnia and Herzegovina
1963-
1990
 ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国
(ボ・ク)Socijalistička Republika
    Bosna i Hercegovina
(セ)Социjалистичка Pепублика
   Босна и Херцеговина
(英)Socialist Republic of Bosnia and Herzegovina
1990-
1996
 ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国
(ボ・ク)Republika Bosna i Hercegovina
(セ)Република Босна и Херцеговина
(英)Republic of Bosnia and Herzegovina



【おまけ1:ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦
Federacija Bosne i Hercegovine (FBiH)
Федерациjа Босне и Херцеговине (ФБиХ)
Federation of Bosnia and Herzegovina

Map_of_the_Federation_of_BiH.gif
ボスニア・ヘルツェゴビナを構成する2国家の1つで、3大民族のうちボシュニャク人とクロアチア人が主体となっています。内戦中の1994年に成立し、和平後の1995年より正式に構成体として承認されました。2国家で構成される主権国家ボスニア・ヘルツェゴビナとの混同を防ぐため、その構成体であるこちらは単に「連邦」と呼ばれることも多いようです。

連邦の国旗は1996年に一旦制定されましたが、2007年に憲法裁判所の判断で「違憲」とされ、廃止されました。その旗は緑がボシュニャク人を、赤がクロアチア人を、白が平和を表し、中央の紋章にも両民族の象徴(百合はボシュニャク人、チェック柄はクロアチア人)が使われ、それをヨーロッパ連合(EU)旗をモチーフとした青地と星のデザインが支えるデザインでした。EU旗と違い星の数は10個ですが、これは連邦が10県から構成されることに由来します。廃止後は暫定的に国家全体のシンボルである中央政府の国旗が使われていますが、新たな連邦国旗を制定しようという動きも一部にあります。

後述のスルプスカ共和国に比べると、連邦はボスニア・ヘルツェゴビナの一員としての意識は高いほうですが、それでもクロアチア人がボシュニャク人とは別の独自の構成体創設をしばしば求めており、依然として民族間の境界線の引き方など、問題は残っているようです。

[地理]
面積:約2.6万km² (ボスニア・ヘルツェゴビナの約51%)
人口:約237万人
首都:サラエヴォ (Sarajevo, Сарајево)
民族:ボシュニャク人70%
   クロアチア人22%
   セルビア人3%
言語:ボスニア語、クロアチア語、セルビア語の3公用語。キリル
   文字表記のセルビア語が使われることは稀だが、3言語は相
   互理解性が極めて高く、日常的に問題となることはほとんど
   ない。
宗教:ボシュニャク人はイスラム教、クロアチア人はローマ・カト
   リック教会のキリスト教徒であることが多い。一部にキリス
   ト教の正教会を信仰するセルビア人や、無宗教者も存在。

[政治]
連邦成立:1994年3月18日
元首:連邦大統領
   議会が選出。任期4年。3選禁止。
政府:連邦政府(内閣に相当)
   連邦大統領は下院最大会派の指導者を連邦首相が任命。
   他の閣僚は連邦首相との協議に基づき、連邦大統領が任命。
   ただしいずれの任命権行使にも、下院の承認が必要。
議会:二院制の国会
   ●民族院(上院)
    58議席。連邦を構成する10県の県議会が選出。3大民族が
    17議席ずつ、残る少数派が8議席を占める。任期4年。
   ●代議院(下院)
    98議席。直接選挙制(大選挙区比例代表並立制)。70議席は
    大選挙区から、28議席は比例代表制に基づき選出される。
    任期4年。
政党制:多党制


【おまけ2:スルプスカ共和国 (セルビア人共和国)
Република Српска (РС)
Republika Srpska (RS)
Republika Srpska (Serbian Republic)

Srpska.png   Map_of_the_Republika_Srpska.gif
ボスニア・ヘルツェゴビナを構成する2国家の1つで、3大民族のうちセルビア人が主体となっています。もとは分離独立とセルビアへの併合を目指して1992年に樹立され、内戦勃発の要因の1つとなりましたが、和平後はボスニア・ヘルツェゴビナの構成体として留まることに同意しています。隣の主権国家セルビア共和国との混同を防ぐため、セルビア人共和国と訳さず、敢えて原語のままスルプスカ共和国と表記されることが多いようです。

スルプスカ国旗は1992年の建国と同時に制定されたものであり、赤、青、白の当時のセルビアの国旗をそのまま流用しています。セルビアは2004年にこの三色旗に国章を配しましたが、スルプスカではシンプルな三色旗を使い続けています。それぞれの色に個別の意味があるわけではなく、全体でスラヴ人の連帯意識を表します。

このスルプスカ、今でこそ国際社会の監視もあってなんとかボスニア・ヘルツェゴビナに留まっていますが、分離独立を諦めたわけではないようで、近い位置にあるコソボが2008年に独立を宣言した際には、スルプスカ共和国の大統領が「コソボが認められるなら我々も独立して良いはずだ」と述べて物議をかもしたそうな。ボスニア・ヘルツェゴビナへの帰属心も薄く、公的機関以外ではほとんどボスニア・ヘルツェゴビナ国旗を見ることもありません。スルプスカ国旗とセルビア国旗は至る所にあるんですけどね。

[地理]
面積:約2.5万km² (ボスニア・ヘルツェゴビナの約49%)
人口:約122万人
首都:バニャ・ルカ (Бања Лука, Banja Luka, 注3)
民族:セルビア人82%
   ボシュニャク人14%
   クロアチア人2%
言語:セルビア語、ボスニア語、クロアチア語の3公用語。ラテン
   文字表記のボスニア語、クロアチア語が使われることは稀だ
   が、3言語は相互理解性が極めて高く、日常的に問題となる
   ことはほとんどない。
宗教:セルビア人が信仰するキリスト教の正教会が大半。一部にボ
   シュニャク人のイスラム教徒や、クロアチア人のローマ・カ
   トリック教会信徒が存在。無宗教者も一定数存在する。

[政治]
共和国成立:1992年1月9日
元首:共和国大統領
   直接選挙制。任期4年。3選禁止。
政府:共和国政府(内閣に相当)
   首相と閣僚は議会が任命するが、首相の任命は共和国大統領
   の、他の閣僚の任命は首相の指名に基づくものとされる。
議会:一院制の国民議会
   83議席。直接選挙制(比例代表制)。任期4年。議席の大半は
   セルビア人政党が占めるが、憲法上、少なくとも4議席はボ
   シュニャク人かクロアチア人に割り振ると規定されている。
政党制:多党制

(注3)
スルプスカ共和国憲法は公式の首都をサラエヴォとしているが、サラエヴォ市街のほとんどは連邦側に属しており、スルプスカ共和国はイストチノ・サラエヴォ(東サラエヴォ)と呼ばれる市街の一角のみを有する。市域の狭さから、スルプスカ共和国の政府機関は実際には北部のバニャ・ルカに置かれており、事実上の首都機能を果たす。

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と2女1男の5人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

ツイッターやってます。基本的に更新情報はここでつぶやいてます。

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