ベナン

ベナン
Bénin (フランス語)
Benin (英語)

Flag_of_Benin_.png

西アフリカに位置するベナン共和国は、1960年にフランスから独立した南北に細長い国です。国土は人口の大半が集中する南部平野が高温多湿の熱帯気候に属しますが、北上するにつれて標高が上がり、サバンナが広がる乾燥した気候へと変化していきます。主な産業は農業で、自給用のトウモロコシやイモ類が広範に栽培されているほか、輸出用作物として綿花とナッツ類も重要な産品となっています。基本的には貧しい農業国で、国民の3割近くが貧困線以下の生活を余儀なくされているものの、隣の内陸国であるブルキナファソやニジェールにとっては、西アフリカ有数の国際港を抱える最大都市コトヌーは重要な貿易拠点となっており、運輸業とそれに伴う商取引は、低迷を続けてきたベナン経済に新たな活気をもたらしています。2000年にはコトヌーでヨーロッパ連合(EU)ととアフリカ・カリブ海・太平洋諸国(ACP諸国)が新たな通商協力を定めたコトヌー協定を締結し、関税や市場制度など多くの面で特殊な互恵関係を構築することが決まりました。当然、その要衝としてホスト国に選ばれたベナンも、これまで以上に自由貿易体制の恩恵を受けられるようになり、様々な国の船舶が行き交う国際色豊かな国へと変わりつつあります。

そんなベナンの歴史は、17世紀にフォン族(現在のベナンの最大民族)が建国したダホメ王国を中核に推移し、周辺国の脅威にさらされながらも19世紀末まで独自の国家を守り続けました。1904年になると西アフリカに一大拠点を築きつつあったフランスの植民地となり、広大なフランス領西アフリカの一部に組み込まれましたが、第二次大戦後からは自治拡大や独立を求める運動も盛んとなり、1958年にダオメー共和国の名で自治国の地位を獲得。そして2年後の1960年には正式な独立を果たし、新国家の建設が始まりました。しかし他のアフリカ諸国のように、強力なリーダーシップを執る人物が一党制で国を支配するのとは異なり、ベナンでは独立前から活動していた3つの政党が互いに競合し、対立を避けるため輪番制で政権を担当する特異な政治体制が採用されたため、一貫した国家政策が実施できず、経済は低迷。3党迭立政治のもとでは政情もかえって混乱し、これに業を煮やしたマチュー・ケレク少佐によって1972年にクーデターが強行されました。その後、ケレクは自ら大統領に就任し、一党制のもとで社会主義政策の推進を発表。1975年には国名をベナン人民共和国と改め、冷戦下で東側陣営(特に中国)に接近し、数多くの支援を受けることに成功しました。しかし1980年代後半から社会主義圏が動揺し、次第に軟化・民主化していくようになると、支援元を失ったベナンでも同様の改革が行われ、1990年に社会主義路線の放棄を発表。国名もベナン共和国と改称し、複数政党制に基づく民主主義国家として再スタートを切ることとなったのです。現在、ベナンはアフリカでも数少ない、民主的な政治体制が根付いた立憲国家として評価されており、政情も非常に安定しています。

ベナン国旗は自治共和国成立翌年の1959年に制定されたもので、正式な独立を達成した後も引き続き用いられました。ケレク政権下の1975年に一度廃止されましたが、1990年の民主化を受けて復活しています。緑、黄、赤の三色は「アフリカ最古の独立国」と呼ばれるエチオピア国旗に範をとった汎アフリカ色であり、緑は南部の森林と希望を、黄は北部のサバンナと国の富を、赤は独立のために流された血と勇気を象徴します。配色は異なるものの、同じアフリカ連合(AU)の一員であるマダガスカルの国旗と非常に似た意匠ですね。

縦横比:2対3

【旧国旗】
Peoples_Republic_of_Benin_(1975-1990)_.png
ケレク政権下の1975年に制定されたベナン人民共和国時代の国旗です。当時はベナン人民革命党(PRPB)の一党制に基づく社会主義体制が敷かれており、国旗にもPRPBの党旗(赤地に緑の星)の配色を逆にしたものが使用されました。1990年に社会主義体制は終焉を迎え、1959年制定の旗(つまり現国旗)が復活。

緑は基幹産業である農業と豊かな森林資源を、赤い星は社会主義国家の建設を象徴します。


ベナン共和国
République du Bénin
Republic of Benin


Map_of_Benin.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:アフリカ
面積:約11.3万km² (北海道の約1.4倍)
人口:1088万人
都市人口率:44.0%
首都:ポルトノヴォ (Porto-Novo, 注1)
最大都市:コトヌー(Cotonou)
主要民族:黒人諸部族が大半で、最大部族のフォン族が人口の約4割
       を占める。他に南西部のアジャ族と南東部のヨルバ族も1割
       以上を占め、北東部のバリバ族とフラニ族、北中部のディン
       ディ族がそれに次ぐ。部族総数は42。非黒人は極めて少数
       だが、フランス系の白人やレバノン人、中国人が主に南部の
       主要都市(大半は最大都市コトヌー)に居住している。
主要言語:フランス語が公用語で、政府機関や教育、メディアなど
       公共性の高い分野における第一言語になっている。た
       だし国民の大半の母語は自らの属する諸部族語であり、
       初等教育は部族語で行われる。フランス語は高等教育
       を受けたエリート層の言語とされ、都市部以外での通用
       度は低い。
主要宗教:キリスト教(南部中心)43%
        ローマ・カトリック教会27%
        天上教会5%
        メソディスト派3%など。
       イスラム教(北部中心)25%
        スンナ派24%
        極少数のアフマディーヤ教団など。
       ヴードゥー教17%
       伝統宗教(各部族固有の精霊信仰)9%
       無宗教6%

[政治・軍事]
独立:1958年12月4日(自治国)、1960年8月1日(完全独立)
国連加盟:1960年9月20日
政治体制:共和制、大統領制
元首:大統領
    直接選挙制、任期5年、3選禁止。
政府:閣僚評議会(内閣に相当、首相職なし)
    閣僚は大統領が任命。
議会:一院制の国民議会
    83議席。直接選挙制(比例代表制)。任期4年。
政党制:多党制
国政選挙権:18歳以上の国民全て
兵役制度:徴兵制
国防費:1億820万米ドル
軍組織:ベナン軍
     陸軍6500人
     海軍200人
     空軍250人

[経済・通信・その他]
中央銀行:西アフリカ諸国中央銀行 (注2)
通貨:CFAフラン (franc, XOF, 注2)
国内総生産(GDP):95億7500万米ドル
1人当たりGDP:779米ドル
GDP構成比:農林水産業22.9%
        鉱工業24.9%
        サービス業52.2%
労働人口:不明 (400万人前後と推計される)
失業率:不明 (3%未満と推計される)
輸出額:17億1300万米ドル
輸出品:綿花、ナッツ類、金、木材、砂糖、果物、油性種子(胡麻など)
輸出先:インド24%、ガボン15%、中国7%、ニジェール6%、バングラデシュ5%
輸入額:25億9100万米ドル
輸入品:繊維原料、自動車、食料品、原油と石油製品、機械類、鉄鋼
輸入元:中国42%、米国9%、インド6%、マレーシア5%、タイ4%
固定電話回線数:19万5000回線
携帯電話回線数:931万8000回線
国別電話番号:229
ccTLD:..bj
インターネット利用者数:63万人
車両通行:右側通行
平均寿命:61.9歳 (男性60.5歳、女性63.3歳)

[日本との関係]
国交:1960年8月1日
相手公館:大使館 (東京)
駐日相手国人数:89人 (永住者12人)
日本公館:大使館 (コトヌー)
在留日本人数:94人 (永住者2人)
現行条約:1962年 貿易協定
       2003年 青年海外協力隊派遣取極

(注1)
憲法上の首都はポルトノヴォで、国会議事堂が置かれているが、他の政府機関や各国の大使館は最大都市コトヌーに置かれており、実質的にはコトヌーが首都として機能している。

(注2)
アフリカの中部・西部には独自通貨を持たない国が多く、代わってCFAフランが共通通貨として広く流通している。CFAフランはかつてはフランス・フランと、現在はユーロ(euro, EUR)との固定相場制を採っており、1ユーロ=655.957CFAフランとなっている。なお、CFAはフランス語に基づきセーファーと発音される。

CFAフランは西アフリカ諸国中央銀行発行のもの(コードはXOF)と中部アフリカ諸国銀行発行のもの(同XAF)に分かれるが、双方ともに通貨価値は同じである。ただし相互に混合流通しているわけではなく、国際法上はあくまで別通貨扱いで、CFAフラン導入国はいずれかの銀行が発行する貨幣のうち、どちらかを選択して自国通貨に指定する形態をとる。貨幣のデザインも双方で異なり、印字された銀行名で区別される。


《国歌「新たなる夜明け」》
制定:1960年
作曲・作詞:ジルベール・ジャン・ダノン

古き時より我らが祖先は、
猛々しき戦いの在り様を知っていた。
強さ、勇気、熱情を持ち、
喜びに満ちながらも血の対価を払って。
汝も含まれし今日(こんにち)の建設者たちよ、
力を合わせよ。
団結し、日々の務めを果たせ。
後世に絶やすことなく建設せよ。

ベナンの子たちよ、立ち上がれ!
自由の叫びを響かせて。
最初の夜明けの光が差す中で、
ベナンの子たちよ、立ち上がれ!

《国名の由来》
フランス語ではBénin(ベナン)、英語ではBenin(ベニン)と表記される。日本でもかつては英語読みに基づきベニンと表記されていたが、現地呼称主義(日本語表記をなるべく現地での発音に近づけようという主義)が定着した現在ではほとんどのケースでフランス語読みのベナンと書かれる。

ベナンという名称は1975年にダオメーに替わって採用された国名だが、これは15世紀頃から19世紀末に現在のナイジェリア南西部で栄えた王国の名。「ビニ人の国」を意味し、ビニは「息子たち」を意味するアラビア語のبني(バニ)、もしくはヨルバ語で「争いの地」を意味するIle-ibinu(イレ・イビヌ)に由来するという。イレ・イビヌは王国の首都名にも採用されており、現在はナイジェリアのエド州の州都ベニンシティ(ナイジェリアの公用語は英語なのでベニン)という1都市になっている。ちなみにエドはビニ人の伝統的な自称である。

この王国は現在のベナンの領域を支配したことは一度もなく、また歴史的・民族的にも繋がりはないが、Dahomey(フランス語でダオメー、歴史的用語としてはダホメ)が国土の中南部のみを表す名称だったため、国土全体を表す中立的な名称として当時の社会主義政権がベナンを採用した。民主化後の現在もダオメーの名称は復活されず、引き続きベナンが用いられ続けている。ちなみにガーナからトーゴ、ベナン、そしてナイジェリア南西部に至るギニア湾の沿岸海域は英語でベニン湾、フランス語でベナン湾と呼ばれるため、この名称はこの国にとって全く無関係というわけではない。

旧国名
1958-
1975
 ダオメー共和国
(仏)République du Dahomey
(英)Republic of Dahomey
1975-
1990
 ベナン人民共和国
(仏)République populaire du Bénin
(英)People's Republic of Benin

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

ツイッターやってます。基本的に更新情報はここでつぶやいてます。

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