ブータン

ブータン
འབྲུག་ཡུལ་ (ドゥク・ユル) (ゾンカ語、※)
Bhutan (ブーターン) (英語)

Flag_of_Bhutan.png
※チベット文字フォントが無いと文字化けします。こちらへどうぞ。

南アジアに位置する内陸国ブータンは、世界屈指の高山帯として知られるヒマラヤ山脈の南東部を領土とする山岳王国です。その国土はヒマラヤ山脈の本体が東西に走る北部の中国・チベット自治区との境界を頂点とし、南下してインド国境に近づくほど標高が低くなりますが、標高1200m以上の高地が国土の8割以上を占め、7000m以上の山を4つも抱えるなど、概して山がちなことで知られます。そのためヒマラヤの雪解け水から発生する河川はどれも急流であり、たびたび洪水に悩まされてきた土地でもありますが、一方で流れの速い水流を生かした水力発電が盛んで、経済成長により電力需要が伸びているインドに輸出して貴重な外貨を獲得するなど、国土の特徴を生かした産業が国の経済を支えています。とはいっても、そうした近代産業に従事するブータン国民はごく一部であり、また都市らしい都市も少ない(首都かつ最大都市のティンプーでも人口は10万人に満たない)ため、多くの地域では農村文化の中で自給自足の生活が営まれ、昔ながらの牧歌的な伝統を現代まで色濃く残しています。また、世界で唯一チベット仏教を国教に指定した国でもあり、敬虔な仏教徒が多く、「ゾン(རྫོང Dzong)」と呼ばれる僧院が地方の行政・司法機関を兼ねるなど、仏教が日々の生活に深く浸透していることでも知られます。

そんなブータンの建国は1616年、チベット仏教界の派閥争いに敗れたシャブドゥン・ガワン・ナムギャルという人物が、チベット本土から逃れ、この地に自身の新たな政権を築いたのが最初とされます。その後も異端者を認めないチベットからの攻撃は続きましたが、1714年のダライ・ラマ6世軍の攻撃を退けた後は介入も無くなり、チベット本土とは別の国という認識が次第に定着していきました。以後のブータンでは新政権の指導権争いによる内戦が勃発する中で、インドに進出してきたイギリスとの戦争で南部の国土が削られていくなど、2世紀にわたる戦乱と苦難の時代が続きましたが、1907年に東部を拠点としたウゲン・ワンチュクが国土の平定を完了させ、初代国王に即位しました。1910年には内政不干渉と補助金の給付を条件にイギリスの保護国(インド独立後はインドが保護体制を引き継ぐ)となり、事実上の鎖国体制に入ったものの、後に「ブータン近代化の父」と呼ばれることになるジグミ・ドルジ・ワンチュクが1952年に第3代国王に即位してからは、国内改革を通じて徐々に自立の動きを見せ始め、1971年には国連への加盟を果たしました。その開放政策は後の国王にも引き継がれ、王権の縮小や民主化・近代化を推進しつつ、国民の多くを占めるチベット系の伝統文化を保護し、南部に多いネパール系移民を牽制(シッキムの記事も参照のこと)するなど、硬軟織り交ぜた改革を次々と断行。2008年には遂に新憲法が制定され、多党制のもとで国民の選挙を通じて組織される議会と、議会が選出する内閣を国家機関の中枢に置いた立憲君主制への移行が完了しました。もちろん、新憲法下でも国家統合のシンボルとしての国王の役割は非常に大きいものがあり、王家が普及を推進する「国民総幸福量(GNH, 注1)」の概念は国策として世界にも広く知れ渡るなど、一定のリーダーシップは現在も採り続けていますが、少なくとも日々の政治に深く干渉することは無くなり、民意をくみ取る巧みな政治手腕を発揮しています。

ブータンの国旗は、母語であるゾンカ語の国名で「龍の国」を表すその名の通り、国旗の中央部に大きく龍を描いた意匠となっています。現存の独立国の国旗としては唯一、龍という架空の生き物を採り入れた特異なデザイン(他に龍を描いた国旗は清朝末期の黄色旗と、イギリスの構成国の1つであるウェールズの旗のみ)は、うろこや表情までしっかりと描き込まれた複雑な模様で構成されますが、これは古くからブータン人が、山岳地にとどろく雷鳴がまるで龍の鳴き声のようであり、その地に住む自分たちは龍の子孫に違いないと考え、龍そのものが国家のシンボルとして崇め奉られていることを象徴しています。国王の称号も正式には「龍王」を意味する འབྲུག་རྒྱལ་པོ(ドゥク・ギャルポ、英語でDragon King)であることからも、その信仰が見てとれますね。この龍を配置した旗は19世紀より既に一部で使われていましたが、1960年に現在のデザインとなり、正式に国旗として採用されました。地色のサフラン色は国王の権威を、オレンジ色はブータンの国教であるチベット仏教を、白は高潔さと忠誠を象徴します。また、龍が握っている4つの宝玉は、ブータンで産み出される富を表します。

縦横比:2対3


ブータン王国
འབྲུག་རྒྱལ་ཁབ་ (ドゥク・ギャルカップ)
Kingdom of Bhutan (キングダム・オブ・ブーターン)


Map_of_Bhutan.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:アジア
面積:約3.8万km² (九州より少し大きい)
人口:約78万人
都市人口率:38.6%
首都・最大都市:ティンプー (ゾ:ཐིམ་ཕུ 英:Thimphu)
主要民族:人口の65%をチベット系ブータン人が占め、中でも首都ティン
       プーを抱える西部のガロップ族が突出しているほか、東部のブ
       ムタン族やツァンラ族などの諸部族に分かれる。ローツァンパと
       呼ばれるネパール系住民も南部には多く、人口の34%を占め
       る。極少数だが、チベット系やネパール系がこの地に移住する
       前から住んでいた住民の子孫も存在する。
主要言語:チベット系のゾンカ語が公用語で、首都ティンプーを中核とする
       西部では大半の住民が母語として使用するが、東部ではツァ
       ンラ語など他のチベット系言語が主流であり、ゾンカ語の話者
       は少なくなる。また、南部ではネパール語の非常に多い。各民
       族をまたぐ共通語としては英語が広く使用されている。
主要宗教:仏教75%
        チベット仏教(国教)74%以上
       ヒンドゥー教(南部のネパール系住民の大半が信仰)22%
       伝統宗教(少数部族固有の土着信仰)2%
       極少数のキリスト教、イスラム教など。

[政治・軍事]
建国:1616年(チベットからの分離、初期国家の樹立)
    1907年12月17日(現ワンチュク王朝の成立)
国連加盟:1971年9月21日
政治体制:立憲君主制、議院内閣制
元首:国王
    ワンチュク家による世襲制、65歳までの定年制。
    議会の2/3の議決により退位させることが出来る。
政府:閣僚評議会(内閣に相当)
    国王が下院最大会派の指導者を首相に任命。
    他の閣僚は首相の指名に基づき、国王が任命。
    (国王の任命権行使には議会の承認が必要)
議会:二院制の国会
    ●国家評議会(上院)
     25議席。20議席は国家を構成する20県からの代表で構成。
     5議席は国王が有識者の中から任命。任期は県代表議員は
     4年と定められているが、任命枠は国王が任意に交代させる
     ことが出来る。
    ●国民議会(下院)
     47議席。直接選挙制(小選挙区制)。任期5年。
政党制:人民民主党とブータン調和党による二大政党制
国政選挙権:18歳以上の国民全て
兵役制度:志願制
国防費:不明 (1000万~2000米ドル前後と推計される)
軍組織:王立ブータン軍
     陸軍8000人
     (訓練、装備供給、有事の防空などはインドが責任を負う)

[経済・通信・その他]
中央銀行:王立ブータン通貨庁
通貨:ニュルタム (ngultrum, BTN, 注2)
国内総生産(GDP):19億5900万米ドル
1人当たりGDP:2515米ドル
GDP構成比:農林水産業16.4%
        鉱工業42.1%
        サービス業41.5%
労働人口:35万人
失業率:2.6%
輸出額:2億1500万米ドル
輸出品:電力、鉄鋼、銅製品、有機化合物(特にカーバイド)、木材、石材、石膏
輸出先:インド85%、ドイツ4%、フランス2%、イタリア2%、ネパール1%
輸入額:4億6600万米ドル
輸入品:精製石油、航空機、機械類、自動車、鉄鋼、精錬アルミ、化学薬品
輸入元:インド72%、ドイツ13%、日本3%、タイ2%、シンガポール2%
固定電話回線数:2万2000回線
携帯電話回線数:67万6000回線
国別電話番号:975
ccTLD:.bt
インターネット利用者数:約29万人
車両通行:左側通行
平均寿命:70.1歳 (男性69.1歳、女性71.1歳)

[日本との関係]
国交樹立:1986年3月28日
相手公館:無し (駐インド大使館が兼轄)
駐日相手国人数:87人 (永住者11人)
相手輸出額:16万5000米ドル
相手輸出品:野菜類、家具、切手、種蒔き用種子、繊維類
日本公館:無し (駐インド大使館が兼轄)
在留日本人数:98人 (永住者9人)
日本輸出額:1530万米ドル
日本輸出品:自動車、機械類、鉄鋼、化学薬品、精密機器
現行条約:1987年 青年海外協力隊派遣取極

(注1)
国民総幸福量(Gross National Happiness, GNH)は、古くから重視されてきた金銭的・物質的な豊かさよりも、心の豊かさ、すなわち国民の幸福感を数値化し、その増幅を国策とするブータン発祥の概念。第4代国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクにより提唱されたもので、日々の生活に心理的幸福を感じるか、健康な生活を送ることが出来るか、満足な教育を受けているか、自らの文化に触れる機会はあるか、環境が破壊されていないか、共同体(コミュニティ)内で良好な関係を築けているか、良き政治が行われているか、生活水準を高く維持出来ているか、自分の時間を持つ余裕はあるか、の9つの要素から個々人の幸福量を計るもの。消費財と所得、そして利潤をめぐり争い合う不寛容な資本主義的政策への警鐘として近年にわかに注目を集め、先進国では次世代のあるべき社会モデルの指標として研究されている。

(注2)
インド・ルピー(rupee, INR)も併用されている。ニュルタムとインド・ルピーは等価で固定されている。


《国歌「雷龍の王国」》
制定:1966年 (1953年から事実上の国歌)
作曲:アク・トンミ
作詞:ギャルドゥン・ティンレイ

イトスギに覆われし雷龍の王国。
聖俗を司りし守護者。
それこそが雷龍の王、尊き支配者なり。
変わることなき存在にして、栄えある統治者。
ブッダの教えが花咲き、導き給わば、
平和と幸福の光が人々を照らすだろう。

《国名の由来》
ゾンカ語ではドゥク・ユル、もしくはドゥルッ・キュルと呼ばれる。前述のようにブータン人には自らを雷鳴轟く地に住む龍の子孫とする文化があるが、ゾンカ語での国名も「雷龍の国」を意味する。英語では雅称としてLand of the Thunder Dragonと紹介されることもある。

他称であるブータンは、この国がチベット系民族を主流とし、歴史的にチベットの一部と見なされてきたことに由来する。チベットはかつてサンスクリット語でBotもしくはBodと書かれたが、その南端に位置するこの地は「チベットの端」を意味するBhota-anta(ボータンタ)と呼ばれた。それが英語に転化してブータンとなった。

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

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