モロッコ

モロッコ
المغرب (アラビア語)
ⵍⵎⴰⵖⵔⵉⴱ (ベルベル語)
Maroc (フランス語)
Morocco (英語)

Flag_of_Morocco_.png

モロッコはアフリカ大陸の北西部に位置し、伝統的な王政が現在まで残っているアフリカでは数少ない国の1つです。国土は北西アフリカの背骨となるアトラス山脈を境界として南北に分類され、北部はアラブ人、南部はベルベル人の領域となっています。土地の多くはサハラ砂漠の周縁地ということもあって不毛なものの、農業の生産性は悪くなく、地中海沿岸部で栽培されるオレンジやオリーブなど輸出用の特産品も存在します。周辺の海も寒流と暖流が混じり合う世界有数の好漁場で、この海域で獲れるタコはほとんどが日本に輸出されており、遠く離れた両国関係を結ぶ重要産品となっています。しかし、モロッコ経済を支える最大の産業は、なんといっても埋蔵量世界一とされる膨大なリン鉱石とその関連業。多くの農業国が肥料として必要としているリン酸を豊富に含有したこの鉱石をそのまま、あるいは加工して輸出する一連の産業体系は、モロッコの近代化に大きな役割を果たしてきました。近年は観光業も大きな飛躍を見せており、非産油国ながら多方面の産業を育成することで、堅調な経済成長を続けています。

モロッコで最初にまとまった政権を築き上げたのは、788年に建国したイドリス朝だったとされます。この王朝は西方のアッバース朝での内紛に敗れた勢力が、現在のメクネス近郊に移り住んで樹立した政権で、約200年間にわたって存続しましたが、その後は後ウマイヤ朝、ムラービト朝、ムワッヒド朝、マリーン朝、ワッタース朝、そしてサアド朝と、多くの王朝が支配者として君臨しては滅ぼされる時代が続きました。これらの王朝は初期こそ周辺地域の付属地としてモロッコを統治したに過ぎませんでしたが、やがてマラケシュやフェスといった、現在も古都として存続している都市が建設され、繁栄するようになると、次第に支配拠点をモロッコに移し、アラブ世界の西端における地域大国を築くに至りました。1666年になると、現在まで続くアラウィー朝が成立し、鎖国政策のもとで独自の王権を保持する路線を採っていたものの、後に帝国主義の勃発で急速に海外進出を推進したフランスがアフリカ北西部の植民地化に着手し、1830年にアルジェリアを征服した頃から、急展開を見せた国際情勢に対応できなくなっていきました。結局、1912年にモロッコはフランスと保護条約を結び、王権の存続と一定の内政権保持を条件に、国土の大半をフランスの保護領とすることに同意。また北部沿岸地域(注1)がフランスと手を組んだスペインの植民地になり、国土は欧州列強の支配下に入ることになります。この状態は第二次大戦後、フランスが植民地を維持する力を喪失すると大きく変化し、独立を求める運動が各地で勃発。1956年には遂に保護条約が破棄され、この地はモロッコ王国として再び独立を回復することとなりました。また北部を支配していたスペインも、条約前から支配していたセウタとメリリャという2つの街以外の地域をモロッコ独立に伴い割譲しています。

赤地に緑の五芒星を描いたモロッコの国旗は、フランスの保護領時代の1915年に制定されました。もともとモロッコでは国王の権威の象徴である赤が王朝のシンボルとして採用されることが多く、1121年から1269年まで存続したムワッヒド朝という大変古い時代から赤が地色として取り込まれてきたことが判明しているのですが、アラウィー朝は全く意匠の無い赤単色の旗を王朝の旗として掲げていたため、当時まだアラブ世界に多く存在した他国の赤単色旗(オマーンなど)と見分けが付きませんでした。そのため、これらの国々と区別する必要上、星が配置されたといいます。この星はソロモン(アラビア語でスライマーン)の星と呼ばれ、旧約聖書に登場し、イスラム教の聖典クルアーン(コーラン)においても預言者の1人として記述されるソロモンを象徴すると同時に、神の加護を得るための護符として扱われる神聖な意匠でもあります。緑で描かれているのは、緑が預言者ムハンマドのターバンの色としてイスラム教の聖なる色とされているためで、5つの頂点はイスラム教徒が守るべきとされる五行(注2)を表します。

縦横比:2対3


モロッコ王国
المملكة المغربية
ⵜⴰⴳⵍⴷⵉⵜ ⵏ ⵍⵎⵖⵔⵉⴱ
Royaume du Maroc
Kingdom of Morocco


Map_of_Morocco.gif

統計データは原則として2013年時点のもの。未承認国家のサハラ・アラブ民主共和国と領有権を争う西サハラに関しては、統計データから除く。

[地理]
位置:アフリカ
面積:約44.7万km² (日本の約1.2倍)
人口:3301万人
首都:ラバト (Rabat)
最大都市:カサブランカ (Casablanca)
主要民族:アラブ人65% (北部・沿岸部中心)
       ベルベル人30% (南部・内陸部中心)
       他に少数のアフリカ系黒人など。
主要言語:アラビア語とベルベル語が公用語。国家の事実上の共通語は
       アラビア語であり、国民のほとんどが母語としているか、第二
       言語として習得している。フランス語もメディアやビジネスなど
       の場では広く用いられる一方、ベルベル語の使用域は限られ
       ている。
主要宗教:イスラム教(スンナ派が大半。一部にシーア派)98%
       キリスト教1%
       極少数のユダヤ教など。

[政治・軍事]
建国:788年(イドリス朝成立)、1666年(現アラウィー朝成立)
独立:1956年3月2日(外交権の回復。内政権はそれ以前より保持)
国連加盟:1956年11月12日
政治体制:立憲君主制、議院内閣制 (国王権限も依然強い)
元首:国王
    アラウィー家による世襲制。原則として終身制。
政府:閣僚評議会(内閣に相当)
    国王が下院最大会派の指導者を首相に任命。
    他の閣僚は首相の指名に基づき、国王が任命。
議会:二院制の国会
    ●参議院(上院)
     270議席。162議席は各地方議会による間接選挙制。91議席は
     職能団体の、27議席は労働組合の代表者が占める。任期6年。
    ●代議院(下院)
     395議席。直接選挙制(比例代表制)。任期5年。
政党制:多党制
国政選挙権:18歳以上の国民全て
兵役制度:志願制
国防費:34億200万米ドル (2012年)
軍組織:王立モロッコ軍
     陸軍17万5000人
     海軍7800人
     空軍1万3000人
     王室近衛隊6000人

[経済・その他]
中央銀行:モロッコ銀行 (アル=マグリーブ銀行)
通貨:モロッコ・ディルハム (dirham, MAD)
国内総生産(GDP):1038億2400万米ドル
1人当たりGDP:3160米ドル
GDP構成比:農林水産業15.1%
        鉱工業31.7%
        サービス業53.2%
労働人口:1173万人
失業率:9.5%
輸出額:167億8000万米ドル
輸出品:リン鉱石とリン酸肥料、衣類、魚介類、果物、金属製品、機械部品
輸出先:フランス19%、スペイン16%、ブラジル5%、インド5%、米国4%
輸入額:386億6000万米ドル
輸入品:原油と石油製品、天然ガス、自動車、機械類、食料品(主に穀物)
輸入元:スペイン13%、フランス12%、中国7%、米国7%、サウジアラビア6%
ccTLD:.ma
インターネット利用者数:約1777万人 (2012年)
車両通行:右側通行
国別電話番号:212

(注1)
モロッコ北部のスペイン植民地はスペイン領モロッコと呼ばれたが、北西端のタンジェ(タンジールとも)は当時から国際的な重要港湾と見なされ、植民地化を進めるフランス(およびその支援を受けたスペイン)と、フランスの動きを牽制したいドイツの係争地ともなったため、スペイン領モロッコには含まれず、国際管理地域とする解決策が採られた。この統治形態は1956年末日まで続いたが、現在はモロッコに返還されている。

なお、スペインはモロッコ南西部のイフニという小さな漁村も飛び地として保護条約締結前から支配していたが、これもスペイン領モロッコの管轄ではなく、地理的に近い南方のスペイン領サハラ(現在の西サハラ)の付属地として統治された。ただしスペイン領サハラは1975年の放棄まで維持されたが、イフニに関してはそれに先んじて1969年にモロッコに返還されていた。

(注2)
シャハーダ(شهادة, 信仰告白)、サラート(صلاة, 礼拝)、ザカート(زكاة, 喜捨)、サウム(صوم, 断食)、ハッジ(حج, 巡礼)という5つの行為。イスラム教徒が守らなければならないとされる義務。

シャハーダは「アッラーの他に神は無く、ムハンマドはアッラーの使徒である」と述べること。サラートはメッカのカーバ神殿の方角に向かって祈ること。ザカートは貧困に苦しむ者に収入の一部を与えること。サウムはラマダン期間の間、日中の飲食や性行為を断つこと。ハッジは実際にカーバ神殿に赴くこと。


《国歌「モロッコ国歌」》
制定:1956年(曲)、1970年(歌詞)
作曲:レオ・モルガン (フランス軍人)
作詞:アリー・アル=スカリー・アル=ホサイニー

(歌詞翻訳中)

《国名の由来》
アラビア語ではالمغرب(アル=マグリーブ)と表記される。マグリーブとはもともと「日が没する地」を意味し、転じてエジプトより西にあるアラブ諸国の総称となった。特にチュニジア、アルジェリア、モロッコ、西サハラの3ヶ国・1地域を指す場合が多いが、この国はマグリーブという地域名をそのまま自国の名称として採用している。アルはアラビア語で地名を表す際の定冠詞。

モロッコという呼び方は英語名に由来する。国の中部にある古都マラケシュがスペイン語でMarruecos(マルェコス)と呼ばれ、やがて国全体の名称としてヨーロッパに伝えられた結果、フランス語でMaroc(マロク)、英語でMorocco(モロッコゥ)と転化したという。

マラケシュはもともと先住民ベルベル人が住むムラクシュ(ベルベル語で「神の地」を意味する)という集落だったが、アラブ人の侵入に伴い現在の名称となった。11世紀頃から人口の流入によりマラケシュの都市化が進み、ムワッヒド朝のヤクブ・アル・マンスールが12世紀後期にラバトに遷都するまでは王都として栄えたため、ヨーロッパ人はその後もこの地に存在する王朝を「マラケシュの王国」と呼び続けたという。

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

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