南アフリカ

南アフリカ
South Africa (英語)
Suid-Afrika (アフリカーンス語)
Ningizimu Afrika (ズールー語)
Zantsi Afrika (コサ語)

Flag_of_South_Africa.png

南アフリカ共和国は、その名の通りアフリカ大陸最南端に位置する国です。南西部の喜望峰を境に大西洋とインド洋が分かれ、スエズ運河開通前の大航海時代にはインドやアジア各地に向かう主要航路として、数々の西洋船が近隣の海を渡りました。17世紀に入ると当時海洋帝国として栄えていたオランダが進出し、喜望峰を中心に植民地を設立。時を経て現地のオランダ系白人はボーア人と呼ばれる民族集団を形成し、土着の黒人と争いながら次第に領地を拡大していきました。しかし18世紀からはイギリスもこの地に目を付け、同世紀末に喜望峰を制圧。内陸に追いやられたボーア人は自分たちこそこの地の正統な支配者と位置づけ、アフリカーナー(アフリカ人)を自称して二度にわたる対英紛争を戦いましたが、本来のアフリカ人である黒人勢力の抵抗運動をいち早く抑えて勢い付いたイギリスは、1902年に南アフリカに存在した全ての植民地を手中に収め、支配権を確立しています。その後、この地に存在した4つの植民地は1910年に統合され、自治権を与えられたうえで南アフリカ連邦となり、1934年には本国から主権国家としての地位を承認されました。

南アフリカが名実共に独立国となると、植民地時代から続いていた黒人や有色人種に対する差別は更に激しさを増し、居住地、教育、給与、選挙権、インフラなどあらゆる面で白人のみが潤う制度作りが進められ、やがてこれは悪名高いアパルトヘイト(人種隔離)政策として国際社会から非難の的になります。これに対し、南アフリカの白人政府は莫大な地下資源の禁輸などを通じて対抗しますが、さすがに支配層の精神的な拠り所であった旧宗主国イギリスからの非難は衝撃が大きかったらしく、1961年にはそれまでの英連邦王国(独立後も引き続きイギリス王を自国の元首としている国)体制から離脱し、南アフリカ共和国として独自の大統領を設置して、より一層分断統治を加速させていきました。こうした体制に対し、植民地時代の1912年から抵抗運動を繰り広げていたのがアフリカ民族会議(ANC)で、武装闘争を含めた様々な手段で黒人の権利回復を訴えていきます。更に国際社会も、国際会議やスポーツ大会などあらゆる面で南アフリカを締め出し、白人政府に経済制裁を課すことで間接的にANCを支援。このような動きの中で徐々に孤立していった白人達の間にも、これ以上の政権延命は不可能だとする意見が広まり、1989年に大統領に就任したフレデリック・デクラークはANC指導者ネルソン・マンデラと対話を重ねる方針にシフトしていきます。そして1991年、遂に白人政府はアパルトヘイトの放棄を公式に明言し、3年間の移行期間を経て、1994年にマンデラを大統領とする新たな南アフリカ共和国が誕生。新体制は黒人が主導権を握りつつも、全ての人種を1つの「南アフリカ国民」として平等に扱うことをモットーとし、融和主義を掲げて国家建設を行っています。依然として様々な問題が山積しているものの、近年はアフリカを代表する地域大国として、また世界トップクラスの資源大国として注目され、新興経済国の一角を占めるまでになりました。

通称Rainbow Flag(虹の旗)と呼ばれる南アフリカの国旗は、アパルトヘイト政策廃止に伴い1994年に制定されました。当時、政府直任の国家紋章官を務めていたフレデリック・ブラウンウェルが考案したこの旗は、南アフリカが人種主義に基づかない多文化社会を築くことを念頭に置いたものとなっており、赤は人種対立で流された血、青は空と海、緑は農業と自然、黄は豊かな鉱産資源、黒は黒人、白は白人をそれぞれ表します。また同時に、黒、緑、黄の三色はアパルトヘイト政策に対して一貫して抵抗していたANCの党旗の色でもあります。緑の帯はY字に伸びていますが、これは南アフリカが多様な文化を内包しながらも、1つの国としてのまとまりも持ち、団結に向けて同じ道を歩むことを象徴しています。ちなみにこの旗、制定当初の構想では新憲法が出来るまでの移行期間のみに限った暫定国旗の予定であり、本来ならば数年で消えていくはずでしたが、その色鮮やかさと革新的な意匠が人種・民族を問わず幅広い支持を集めたため、1996年に制定された新たな南アフリカ共和国憲法内で改めて恒久的な国旗に再指定された経緯を持ちます。

縦横比:2対3

【旧国旗】
Flag_of_South_Africa_(1910-1928).png
1910年、この地に存在した4つのイギリス植民地(喜望峰を含む西部のケープ、中部やや東寄りのオレンジ、北東のトランスバール、南西のナタール)が統合し、南アフリカ連邦として自治領に昇格したことを受け、上記のような国旗が制定されました。この頃はあくまで自治領であり、外交や国防など主権の多くをイギリスに依存していたため、国旗にはユニオン・ジャックがあしらわれたレッド・エンサインが使われています。

フライ側の紋章は国章の一部であり、ケープを表す希望の像、ナタールの象徴であるヌー、オレンジ地域を意味する橙(だいだい)の木、そしてトランスバールを表す荷馬車で構成されています。これら全体で、連邦を構成する4つの植民地が表されているんですね。制定当初はこの紋章がそのまま置かれていましたが、見栄えを考慮して1912年に周辺を白い円で囲む修正が成されました。1928年廃止。

Flag_of_South_Africa_(1928-1994).png
現在の南アフリカが多文化社会の共生をテーマとしている一方、アパルトヘイト政策下で翻った南アフリカ国旗は、白人の歴史のみを押し出したものでした。

1928年に制定されたこの国旗は、ボーア人やアフリカーナーと呼ばれるオランダ系白人を象徴するオレンジ、白、青の配色(オランダの旧国旗を参照)が用いられ、白帯には旧宗主国イギリスのユニオン・ジャックと、かつてボーア人が建国した2つの国の国旗(中央がオレンジ自由国、右がトランスバール共和国)が配されています。多数派の黒人の意匠は一切入っておらず、「白人によって開拓された南アフリカ」というテーマが全面に出ていますね。なおオレンジ自由国の国旗のみ、全体のバランスを考慮して縦向けに配置されています。前述の理由で1961年に共和制に移行した後も、イギリス国旗があしらわれたこの旗は廃止されなかった辺り、やはり南アフリカの支配層を構成していたイギリス系白人の「心の故郷」は南アフリカではなくイギリス本国だったようで。

国連に「人類に対する犯罪」として糾弾され、32年間にわたってオリンピック大会から追放される原因ともなったアパルトヘイト政策は、1994年にようやく廃止。これに伴い、国旗も多文化主義に基づいた現国旗に移行しました。またオリンピックでも、同政策廃止が確約された1991年より加盟資格が復活し、翌1992年のバルセロナ夏季大会から復帰が認められています。


南アフリカ共和国
Republic of South Africa
Republiek van Suid-Afrika
iRiphabhuliki yaseNingizimu Afrika
iRiphabliki yomZantsi Afrika


Map_of_South_Africa.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:アフリカ
面積:約121.9万km² (日本の約3.2倍)
人口:5349万人
都市人口率:64.8%
首都:プレトリア (Pretoria, 注1)
最大都市:ヨハネスブルグ (Johannesburg)
主要民族:黒人諸部族が人口の約8割を占め、その大半はバントゥー系。
       うちズールー族が2割、コサ族が1割を占め、ソト族、ツワナ族、
       ツォンガ族、スワジ族などがこれに続く。白人は人口の1割を
       占め、その多くはイギリス系とオランダ系(ボーア人)で構成さ
       れる。他にカラードと呼ばれる混血集団や、インド系を中核とす
       るアジア系住民も多い。国家全体の傾向として、黒人は東部、
       それ以外の人種は西部に集中している。
主要言語:11言語(注2)が公用語に指定されている。うち9言語は現地
       の部族語で、ズールー語とコサ語は使用率が人口の10%を
       超える。アフリカーンス語はオランダ語が英語や他の言語と融
       合して生まれた言語で、アパルトヘイト時代は英語と並ぶ支配
       層の言語として優遇されたが、現在は黒人に忌避され、減少
       傾向にある。現在、公的な場ではもっぱら英語が第一言語とな
       っており、高等教育、ビジネス、政府機関、メディアなど様々な
       場で用いられる。
主要宗教:キリスト教74%
        シオン教会11%
        ペンテコステ派8%
        ローマ・カトリック教会7%
        メソディスト派7%
        オランダ改革派教会7%
        聖公会4%など。
       無宗教16%
       イスラム教1~2%
       ヒンドゥー教1%
       少数のバハーイー教、ユダヤ教、仏教など。

[政治・軍事]
独立:1910年5月31日(連邦結成)、1934年1月22日(主権国家化)
国連加盟:1945年11月7日 (原加盟国、注3)
政治体制:共和制、大統領制、事実上の連邦制
元首:大統領
    議会が選出、任期5年、3選禁止。
政府:内閣(首相職無し)
    閣僚は大統領が任命する。
議会:二院制の国会
    ●全州評議会(国家州評議会とも、上院)
     90議席。国家を構成する全9州に10名ずつ枠が与えられ、
     6名の常任議員と4名の特別議員が派遣される。常任議員
     はその州の州議会が選出し、特別議員は州政府の閣僚が
     兼任する。任期5年。
    ●国民議会(下院)
     400議席。直接選挙制(比例代表制)。任期5年。
政党制:アフリカ民族会議による一党優位制
     (形式上は多党制)
国政選挙権:18歳以上の国民全て
兵役制度:志願制
国防費:38億8100万米ドル
軍組織:南アフリカ国防軍
     陸軍3万7000人
     海軍6000人
     空軍1万1000人
     医療部隊8000人

[経済・通信・その他]
中央銀行:南アフリカ準備銀行
通貨:ランド (rand, ZAR)
国内総生産(GDP):3127億9800万米ドル
1人当たりGDP:5724米ドル
GDP構成比:農林水産業2.2%
        鉱工業29.2%
        サービス業68.6%
労働人口:2170万人
失業率:26.8%
輸出額:831億6000万米ドル
輸出品:鉱石(プラチナ、金、ダイヤ、鉄など多種)、石炭、鉄鋼と合金、自動車
輸出先:中国11%、米国7%、ドイツ6%、ナミビア5%、ボツワナ5%
輸入額:850億3000万米ドル
輸入品:機械類、原油と石油製品、自動車と部品、繊維製品、化学製品
輸入元:中国18%、ドイツ11%、米国7%、ナイジェリア5%、インド5%
固定電話回線数:413万1000回線
携帯電話回線数:8519万7000回線
国別電話番号:27
ccTLD:.za
インターネット利用者数:2858万人
車両通行:左側通行
平均寿命:63.1歳 (男性61.6歳、女性64.6歳)

[日本との関係]
国交樹立:1910年4月21日の駐ケープタウン名誉領事の任命を以って
       両国の国交樹立とする場合が多いが、詳細な年月は不明。
相手公館:大使館 (東京)
駐日相手国人数:1021人 (永住者111人)
日本公館:大使館 (プレトリア)
       ※他にケープタウンに領事事務所があるが、独立した公館の
        地位は持たず、駐プレトリア大使館の管轄下で領事事務の
        みを担う。
在留日本人数:1471人 (永住者266人)
現行条約:1963年 小包郵便約定
       1994年 航空協定
       1997年 租税条約
       2001年 青年海外協力隊派遣取極
       2003年 科学技術協力協定
       2011年 技術協力協定
       2012年 税関相互支援協定

(注1)
複都制を採っており、行政府(政府)はプレトリア、立法府(国会)はケープタウン、司法府(最高裁判所)はブルームフォンテーンに置かれ、権限が分散されている。一般的には行政府の所在地であるプレトリアが首都として扱われる。

(注2)
英語、アフリカーンス語、ズールー語、コサ語、南ンデベレ語、スワジ語、ツワナ語、ツォンガ語、ヴェンダ語、ソト語、北ソト語の11言語。そのうち、母語率が総人口の10%を超える言語はアフリカーンス語、ズールー語、コサ語の3言語のみ。英語は母語とする人口こそ9%程度だが、各地域・民族・人種をまたぐ共通語(第二言語)として教育、ビジネス、報道など様々な方面で幅広く使用されており、実質的には公用語の筆頭格として扱われる。

(注3)
アパルトヘイト政策に対する制裁として、1974年に国連総会は南アフリカの加盟資格を事実上停止。同政策廃止後の1994年、全人種が参加する民主的な総選挙が実施されたのに伴い、20年ぶりに復帰が認められた。


《国歌「南アフリカ国歌」》
制定:1997年
作曲:イーノック・ソントンガ(前半)
    マルティン・リヌイス・デ・フィラース(後半)
作詞:イーノック・ソントンガ(前半)
    コルネリス・ランヘンホーフェン(後半)
備考:1897年に完成し、アフリカの黒人賛歌として親しまれてきた
    「神よ、アフリカを祝福したまえ」と、 前国歌「南アフリカの
    呼び声」
を組み合わせた国歌。アパルトヘイト時代の国歌を
    排除しなかったのは、黒人政権の成立に対して白人が反発
    しないよう、考慮したためという。

尊き神よ、アフリカに祝福を。
その精神を高めんことを。
我らの祈りを聞き届けたまえ。
神よ、我らに祝福を。
我らはこの地の兄弟なり。
神よ、我らが祖国を祝福したまえ。
戦いも争いも鎮め、
護りたまえ、護りたまえ、我らが祖国を。
南アフリカという国を、南アフリカを。

我らが青き天より、我らが深き海より、
永久にそびえし我らが山々より、岩々を通じて、
その声はこだまする。
共に来たれという呼び声、
団結し、立ち上がれと。
自由のために生き、励もう。
南アフリカ、我らが祖国で。

《国名の由来》
英語ではSouth Africa(サウス・アフリカ)と表記される。文字通り国土がアフリカの最南端に位置することから。オリンピックにおける3コードなど一部ではRepublic of South Africa(南アフリカ共和国)の略であるRSAと表記される場合もある。日本語では南アという略称も見られる。

アフリカの語源は、古代のアフリカ大陸北部(現在のチュニジア周辺)がローマ帝国によって「アフリの地」を意味するAfrica terra(アフリカ・テラ)と呼ばれていたことに由来する。アフリとは「砂塵」を意味するAfer(アフェル)の複数形とする説や、かつて北アフリカに存在したアフリディと呼ばれる部族に由来するという説があり、定まっていない。

旧国名
1910-
1961
 南アフリカ連邦
(ア)Unie van Suid-Afrika
(英)Union of South Africa

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

ツイッターやってます。基本的に更新情報はここでつぶやいてます。

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