マラウイ

マラウイ
Malaŵi (チェワ語)
Malawi (英語)

Flag_of_Malawi.png

マラウイはアフリカ大陸南東部に位置する内陸国で、国土の約2割をマラウイ湖(ニヤサ湖)が占めます。またその他の湖や川を含めると実に国土の1/5が水域で、更に熱帯ならではの豊かな降水量を持つことから、農耕に適した肥沃な土地を多く抱えます。そのうえ国土の大半は高原で涼しく、人の生活に適した場所として古くから認知されてきました。特に16世紀に建国されたマラヴィ帝国は、最盛期には現在のマラウイを中心にザンビア南東部、モザンビーク北部に至る広大な領土を支配し、交易によって栄えたと伝えられています。しかしこのマラヴィ帝国も19世紀になると周辺の異民族や西洋列強の勢力拡大によって衰退し、1891年にイギリスが保護領化。1907年にはニヤサランドと改名されました。第二次大戦後、アフリカ各地の植民地で独立を求める動きが盛んとなり、この地でもヘイスティングス・バンダ率いるマラウイ会議党(MCP)が同様の主張を広げていましたが、植民地当局はニヤサランドを隣接する南北ローデシア(現在のジンバブエとザンビア)に組み込み、その影響力を相対的に削ぐことで、白人優位の植民地体制の維持を図ります。しかし域内各地に広まった運動はもはや抑えが利かなくなっており、結局イギリスは1962年にバンダを首相とする自治政府の結成に同意。2年後の1964年にはマラウイとして正式に独立を達成しました。

独立当初のマラウイはイギリスの国王がマラウイの元首を兼任する英連邦王国でしたが、1966年には独自の大統領を置くマラウイ共和国となり、バンダが初代大統領に就任。1970年にはMCPを唯一の合法政党とする独裁体制が完成しました。バンダは反対派への弾圧・粛清で強権的に国家を運営しつつ、1971年に自らを終身大統領と宣言し、国民の多くが貧農として苦しんでいるにもかかわらず、3億ドル以上という膨大な不正蓄財を行ったことで悪名高く、1980年代末から急速に反政府活動が活発化。政権側もこれ以上の締め付けは困難と判断し、1993年に複数政党制を導入しました。翌1994年の大統領選ではバンダが敗北し、今ではある程度の民主化が進んでいます。MCPは依然として一定の勢力を維持していますけどね。一方、経済的には植民地時代に白人が葉タバコや茶のプランテーション農業を進め、自給作物の栽培が激減したことから、換金作物を輸出して食糧やその他の物資を輸入する典型的なモノカルチャー経済が続いています。独立後もバンダ政権は豊富な水資源を生かすインフラを整備しなかったため、水資源そのものは豊かな割に干ばつに見舞われることが多く、しばしば飢饉も発生します。また、貿易に極めて不利な内陸国でもあり、わずかな換金作物も主要輸出先である欧州に輸送するために周辺国の港へ持って行かねばならず、コストと時間がかかるため、他国の産品と比べるとどうしても割高になってしまいます。こうした事情が経済の足かせとなり、ただでさえ貧しい財政を一掃悪化させているため、経済成長の速度は非常に緩やかなまま推移しています。

国旗は1964年の独立に伴い制定されたもので、2010年に一度変更されたものの、2012年に再び復活しています。黒、赤、緑の配色はジャマイカ人のマーカス・ガーヴェイという運動家が1914年に設立した世界黒人開発協会(UNIA)の組織旗からとられたもので、他には南スーダンケニアもこの配色を国旗に採り入れています。一般的に汎アフリカ色というと、アフリカ最古の独立国と呼ばれるエチオピアの国旗からとられた緑、黄、赤を指しますが、UNIAの三色はどちらかというとアフリカのみならず世界中の黒人解放運動のシンボルと認識されています。同時にそれぞれの配色にも意味付けが成されており、赤は独立のために流された血、黒はアフリカ人、緑は豊かな自然を表します。また、上部に描かれた日の出はマラウイとアフリカの希望、そして夜明けを象徴します。マラウイの独立当時、アフリカ各地は新国家としての産声を上げたばかりで、将来への希望に満ちていました。そうした状況を反映したマラウイ国旗には、意匠全体でアフリカの団結を呼びかける意味合いもあったといいます。

縦横比:2対3

【旧国旗】
Malawi_(2010-2012).png
2010年、当時第3代大統領を務めていたビング・ワ・ムタリカにより、国旗は上記のように変更されました。現国旗と同じ三色を用いていますが、黒と赤の順番が逆(前述のUNIAの組織旗に合わせるため)で、太陽は中央に白く、また全体が描かれています。これはムタリカ大統領が、「独立から40年以上が経過し、マラウイは既に日の出の段階を終え、次のステップに入った」と考えていたことによるものです。

しかしこの考え方には、今でも人口の6割以上が貧困線以下の生活を強いられていることもあり、当のマラウイ国民自身が懐疑的な意見を持っていました。国のシンボルの最たる例である国旗を、議会や国民とのコンセンサス不在のまま、一方的な考えにより変更したことに反発する市民の声もあり、マラウイ議会もたびたび国旗を元に戻すよう要請してきましたが、ムタリカ大統領はこうした批判を受け入れませんでした。しかし2012年4月、ムタリカが大統領在任のまま突然の心臓発作で亡くなると、2ヶ月後の同年6月に新政権が初代国旗を復活させ、国旗に関する政争はようやく収束に向かいました。


マラウイ共和国
Dziko la Malaŵi
Republic of Malawi


Map_of_Malawi.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:アフリカ
面積:約11.8万km² (北海道のおよそ1.4倍)
人口:1730万人
都市人口率:16.3%
首都・最大都市:リロングウェ (Lilongwe)
主要民族:バントゥー系の黒人諸部族がほとんどで、中南部のチェワ族と
       その親縁民族である南部のニャンジャ族(注1)が最大。他に北
       部のツォンガ族とトゥンブカ族、北中部のンゴニ族、南部のヤオ
       族、南東部のロムウェ族など。総部族数は約40。非黒人は極
       めて少ない。
主要言語:チェワ語(注1)と英語が公用語。各民族はそれぞれ固有の部
       族語を母語として使用するが、チェワ語はチェワ族以外にも民
       族をまたぐ共通語として話され、国民の6割近くが理解可能。
       英語は高等教育、政府機関、報道、ビジネスなど公共性の高
       い分野では優先されるが、ある程度の教育を受けられるエリー
       ト層の言語であり、一般国民の理解率は1割程度かつ都市部
       から離れるほど通用度は低下する。他に北部ではトゥンブカ語
       も広く用いられる。
主要宗教:キリスト教85%
        プロテスタント諸派(長老派が主。他に聖公会など)65%
        ローマ・カトリック教会20%
       イスラム教10%
        スンナ派8%以上
        少数のアフマディーヤ教団など
       伝統宗教(各部族固有の精霊信仰)4%
       極少数のヒンドゥー教、バハーイー教など。

[政治・軍事]
独立:1964年7月6日
国連加盟:1964年12月1日
政治体制:共和制、大統領制
元首:大統領
    直接選挙制。任期5年。3選禁止。
政府:内閣(首相職なし)
    閣僚は大統領が任命。
議会:一院制の国民議会
    193議席。直接選挙制(小選挙区制)。任期5年。
政党制:多党制
国政選挙権:18歳以上の国民全て
兵役制度:志願制
国防費:4100万米ドル
軍組織:マラウイ国防軍
     陸軍5300人(マラウイ湖警備隊と航空隊も含まれる)

[経済・通信・その他]
中央銀行:マラウイ準備銀行
通貨:マラウイ・クワチャ (kwacha, MWK)
国内総生産(GDP):42億5800万米ドル
1人当たりGDP:381米ドル
GDP構成比:農林水産業32.0%
        鉱工業17.5%
        サービス業50.5%
労働人口:不明 (600~700万人前後と推計される)
失業率:不明 (5%前後と推計される)
輸出額:12億7700万米ドル
輸出品:葉タバコ、ウラン鉱、茶、綿花、豆類(ナッツ類を含む)、砂糖、木材
輸出先:ベルギー16%、ジンバブエ12%、インド7%、南アフリカ6%、米国6%
輸入額:25億7800万米ドル
輸入品:石油製品、化学製品(特に医薬品)、機械類、鉄鋼、穀物、自動車
輸入元:南アフリカ26%、中国17%、インド12%、ザンビア10%、タンザニア6%
固定電話回線数:4万6000回線
携帯電話回線数:611万6000回線
国別電話番号:265
ccTLD:.mw
インターネット利用者数:116万人
車両通行:左側通行
平均寿命:61.2歳 (男性59.2歳、女性63.2歳)

[日本との関係]
国交樹立:1964年7月6日
相手公館:大使館 (東京)
駐日相手国人数:93人 (永住者7人)
日本公館:大使館 (リロングウェ)
在留日本人数:181人 (永住者12人)
現行条約:1970年 貿易協定
       1971年 青年海外協力隊派遣取極
       2006年 技術協力協定
(注1)
マラウイではチェワ語と呼ばれるが、アフリカ大陸南東部の内陸地域における共通語として多くの話者を抱えるニャンジャ語のマラウイ方言と見なされる傾向が強く、相互理解性も高いため、両言語はしばしば同一視される。実際、国際標準化機構が発表した言語コード(ISO 639)では2文字コードではny、3文字コードではnyaと表され、ニャンジャ語として扱われている。民族分類においても同様で、チェワ族とニャンジャ族を同一民族とする資料も多い。


《国歌「神よ、マラウイを祝福したまえ」》
制定:1964年
作曲・作詞:マイケル=フレデリック・ポール・サウカ

おお神よ、マラウイを祝福したまえ。
平和の地であり続けさせたまえ。
我らの敵を、餓えを、病を、妬みを、鎮めさせたまえ。
我らを1つとし、恐れることの無き民としたまえ。
我らが指導者、我ら1人1人、そして母なるマラウイを祝福したまえ。

《国名の由来》
チェワ語ではMalaŵi、英語ではMalawiと表記される。読みはどちらもマラウィ。国土の北東部を占めるマラウイ湖に由来する国名で、同湖ではよく陽炎が発生することから、チェワ語で「燃え盛る水」を意味するこの名が付けられた。15世紀から19世紀にかけてアフリカ中東部を支配したマラヴィ(Maravi)帝国の国名もこれに由来する。

イギリス領時代はNyasaland(ニヤサランド)と呼ばれていたが、Nyasaは「湖」を表す。マラウイ湖自体、独立前はニヤサ湖と呼ばれていたこともあり、いずれの名称もこの国と湖との関係の深さをうかがわせる。

旧国名
1964-
1966
  マラウイ
(チ)Malaŵi
(英)Malawi

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

ツイッターやってます。基本的に更新情報はここでつぶやいてます。

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