リビア

リビア
ليبيا (アラビア語)
Libya (英語)

Flag_of_Libya.png

北アフリカに面する産油国リビアは、16世紀からオスマン帝国、1911年からはイタリアの支配を受けましたが、反植民地支配闘争で知られたサヌーシー教団の長イドリース1世を国王とする立憲君主国として、1951年に独立しました。1969年に陸軍将校ムアンマル・アル=カッダーフィ(カダフィ)率いるクーデターにより共和制に移行し、1977年からは緑一色の国旗が使われたりもしましたが、2011年の同政権崩壊に伴い王政期の国旗が復活しました。

王国時代の国旗が復活したのは、リビアの歴代国旗の中で唯一カッダーフィの意向が入っていないため、反カッダーフィの旗印として適していたことが理由です。旧王家はカッダーフィ政権崩壊を歓迎していますが、この国旗を制定した暫定政権「国民評議会」に王政復古の意図はなく、国名も単に「リビア国」とされています。

国旗には汎アラブ色が使われており、赤は内陸部のフェザーン、黒は東部のキレナイカ、緑は西部のトリポリタニアという、王国を構成していた3地域の象徴でした。また同時に、赤は外国による支配に抵抗したリビア人の血、黒はイスラム教の聖戦(ジハード)、緑は自然豊かな緑地への憧れ(リビアは国土の大半が砂漠地帯のため)と自由とも解釈されます。中央に配された月と星はイスラム教を表します。

縦横比:1対2

【旧国旗】
Libya_1969-1972.png
1969年、カッダーフィ率いるクーデターにより王政は打倒され、リビア・アラブ共和国が成立。国旗もアラブ民族主義の象徴である赤、白、黒の三色旗に変更されました。現在のイエメン国旗と同じ意匠ですが、縦横比が異なります(イエメンは2対3、リビアは1対2)。1972年、アラブ共和国連邦結成に伴い廃止。

アラブ共和国連邦
1972年にエジプト、シリアと共に結成したアラブ共和国連邦の国旗です。3ヶ国は共通の国旗としてこの旗を使用しました。中央にはアラブ世界でよく使われるクライシュの鷹という紋章が配されています。

しかし後述の理由により1977年に連邦は解消され、共通国旗も破棄。リビアは一夜にして下記の特異な国旗を制定しました。

Libyan_Arab_Jamahiriya.png
リビアは1977年に意匠の無い緑一色の国旗を制定しましたが、これには逸話があります。1973年の対イスラエル戦争(第四次中東戦争)の4年後、エジプトが「アラブの敵」であるイスラエルと単独で和平を結んだことにカッダーフィは激怒し、即座にアラブ共和国連邦を解消、共通国旗を即日破棄したのです。そして側近に一晩で新国旗を作成するよう命令しました。

側近は困り果てました。国の象徴の最たる例である国旗を一晩で作成するのはあまりに無茶な命令だったのです。意匠を考える間もありません。結局、イスラム世界では神聖な色として扱われる緑を使い、その他の意匠を一切排除した国旗が作成されたのです。

その後カッダーフィはリビアをアラブ民族主義、社会主義、直接民主制、イスラム教を組み合わせた特異な共同体「ジャマヒリーヤ」と見なし、議会制民主主義や大統領制を否定。1979年に一切の公職を退いてからも「革命指導者」の称号のもとで実質的に国家を支配しました。外交面ではアフリカの連帯に一定の成果をあげ、アフリカ連合(AU)設立の立役者の1人となったものの、反体制派を許容しない独裁体制は国内の地盤を崩し、2011年に42年間続いたカッダーフィ政権は崩壊。珍しい国旗の代名詞だった緑一色の国旗も廃止されました。



リビア国
دولة ليبيا
State of Libya


Map_of_Libya.gif

統計データは原則として2013年時点のもの。

[地理]
位置:アフリカ
面積:約176.0万km² (日本の約4.7倍)
人口:約620万人
首都・最大都市:トリポリ (Tripoli, タラーブルスとも)
主要民族:公式の民族統計は採られていないが、人口の大半が集中する
       北部ではアラブ人が支配的で、他にアラブ化したベルベル人も
       多く住む(総人口の95%以上)。南部に向かうほど人口は希薄
       となり、トゥアレグ族やトゥーブー族といった、アラブ化していな
       いベルベル系遊牧民の生活圏となる。
主要言語:アラビア語が公用語で、国民の大半が母語として話すほか、
       他言語(ほとんどはベルベル語)を母語とする人々も第二言語
       として習得している場合が多い。
主要宗教:イスラム教(スンナ派がほとんど)97%
       キリスト教(コプト正教会とカトリックが混在)2%

[政治・軍事]
独立:1951年12月24日
国連加盟:1955年12月14日
※2014年9月以来、首都トリポリを拠点とする全国国民議会(GNC)と、
  東部の主要都市トブルクを拠点とする代議院グループという2派がそ
  れぞれ政府を樹立し、自身の正統性を主張して内戦中。そのためリビ
  アに一元的な統治機関が存在せず、国家体制を確定的な情報として
  記載することは不可能。

[経済・その他]
中央銀行:リビア中央銀行
通貨:リビア・ディナール (dinar, LYD)
国内総生産(GDP):655億1600万米ドル
1人当たりGDP:1万702米ドル
GDP構成比:農林水産業2.0%
        鉱工業58.3%
        サービス業39.7%
労働人口:不明 (200~300万人前後と推計される)
失業率:不明 (10~20%前後と推計される)
輸出額:384億5000万米ドル
輸出品:原油と石油製品、天然ガス
輸出先:イタリア27%、ドイツ12%、中国11%、フランス10%、スペイン7%
輸入額:271億5000万米ドル
輸入品:自動車、機械類、食料品(特に小麦と魚介類)、鉄鋼、医薬品
輸入元:中国13%、イタリア12%、トルコ12%、エジプト7%、韓国6%
ccTLD:.ly
インターネット利用者数:112万人 (2012年)
車両通行:右側通行
国別電話番号:218


《国名の由来》
アラビア語ではليبيا(リービーヤ)と表記される。古代この地に住んでいたリブ人を古代ギリシャ人がΛίβυες(リブエス)と呼び、やがて「リブ人の国」を意味するリビアに転化したが、リブの語源については不明。古代ギリシャ人がギリシャ神話の海神ポセイドンの妻リュビアにちなんで命名したとする説が長らく有力視されてきたが、現在は俗説として否定される傾向にある。

2011年までの公式国名にあったジャマヒリーヤとは、アラビア語で「共和国」を意味するجمهورية(ジュムフーリーヤ)と「大衆の」を意味するجماهيرية(ジャマーヒール)の合成語。直接民主制の実現を掲げたカッダーフィが、リビアは従来の共和国が採用してきた大統領制や議会制といった間接民主制に依らず、大衆の1人1人の力で運営される共同体である、という自らの理念を強調するために創造した言葉。しかし諸外国からは、リビアの政治体制は革命指導者カッダーフィが全権を握る軍事政権と見なされていた。

旧国名
1951-
1963
 リビア連合王国
(ア)المملكة الليبية المتحدة
(英)United Libyan Kingdom
1963-
1969
 リビア王国
(ア)المملكة الليبية
(英)Libyan Kingdom
1969-
1977
 リビア・アラブ共和国
(ア)الجمهورية العربية الليبية
(英)Libyan Arab Republic
1977-
1986
 リビア・アラブ社会主義人民ジャマヒリーヤ国
(ア)الجماهيرية العربية الليبية الشعبية الإشتراكية
(英)Socialist People's Libyan Arab Jamahiriya
1986-
2011
 大リビア・アラブ社会主義人民ジャマヒリーヤ国
(ア)الجماهيرية العربية الليبية الشعبية الإشتراكية العظمى
(英)Great Socialist People's Libyan Arab Jamahiriya
2011-
2013
 リビア
(ア)ليبيا
(英)Libya

コメント

非公開コメント

リビアの国旗のエピソードは昔トリビアで聞いた気がします。今はリビアとエジプトは仲直りしてるんですか?

Re: タイトルなし

してるよー。1977年にリビアを含むアラブ諸国とアラブ連盟(AL)はエジプトと断交したけど、1989年にエジプトがALに復帰したのに伴ってアラブ諸国も次々とエジプトとの国交を回復させてて、その中にリビアも含まれてるよーe-257
プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

ツイッターやってます。基本的に更新情報はここでつぶやいてます。

カテゴリ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

外部リンク
QRコード
QRコード
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
Flag counter