イタリア

イタリア
Italia (イターリア) (イタリア語)
Italy (イタリー) (英語)

Flag_of_Italy.png

イタリアはヨーロッパ南部、地中海に突き出したイタリア半島と、シチリア島、サルデーニャ島といった周辺の島々を領土とする国です。国土の形はブーツ状の靴に例えられ、イタリア語でもLo Stivale(ロ・スティヴァーレ、長靴の意)がしばしば国家そのものを表す代名詞として用いられます。その歴史は大変古く、神話によれば紀元前8世紀にロムルスとレムスという双子が半島中部に築いた街が、現在の首都ローマとなり、長い時を経て政治体制の変化と対外拡張を繰り返しながら、後の欧州世界の文化的基礎を成す強大なローマ帝国へと成長していったといいます。その後の帝国は地中海沿岸全域のほかに、ガリア(フランス)、ブリテン(イギリス)、エジプト、遠くはメソポタミアを含むオリエント世界にまで拡大し、紀元後1世紀から2世紀にかけて最盛期を迎えましたが、次第に統治機構が混乱し、内紛により国力は衰退。395年には帝国が東西に分割され、引き続きローマを抱えた西ローマ帝国は476年にゲルマン人の侵入によって滅ぼされることになります(東ローマ帝国は1453年まで存続)。以後、イタリア半島に統一的な国家機構は成立せず、各地に点在する都市を中核に数多くの国家が築き上げられ、それぞれが特有の文化を育んでいくようになりました。今でもイタリア国民には「イタリア人」という民族意識は薄く、代わりに自らの住む地域の中心都市に強い帰属心がある、と言われるのもこうした歴史的経緯が原因であり、南北間ではかなりの文化的差異が存在します。ただその中でも、諸国間でイタリア語という、唯一と言っていい紐帯が保たれたことが、近代の統一運動における原動力の一つとなりました。

中世のイタリアではルネサンス文化が花開き、数々の芸術のほか、現代にまで影響を与えた発明品も多数生み出され、イタリア諸国は欧州の文化的中心、ならびに地中海貿易の拠点として大いに栄えましたが、16世紀にはじまった大航海時代の到来、そして18世紀頃からの欧州各地の産業革命、それに続く中央集権的な国民国家の形成と時代が移っていくと、イタリアを取り囲む情勢も激変。とりわけナポレオン登場後のフランスはイタリアの獲得に執念を燃やし、イタリア諸国を次々と併合、もしくは衛星国化して、一時はフランスのもとでのイタリア統一も現実味を帯びました。これは結局ナポレオンの失脚により実現しませんでしたが、イタリアでもこの頃になると、フランスから移入された近代思想が広まり、封建的なイタリア諸国の体制への反発が強まったほか、外圧への危機感からイタリア人によるイタリア統一国家の実現による近代化も声高に叫ばれるようになり、これはやがてリソルジメント(Risorgimento, イタリア統一運動)という社会運動に発展しました。特にこれを強硬に推進したのが、サルデーニャ島並びにフランスとの国境を成すトリノ周辺の北部を領土としていたサルデーニャ王国で、北部から南進していく形で各地を手中に収め、イタリア随一の勢力へと成長していきました。一方、南部でもノルマン人が支配していた両シチリア王国がジュゼッペ・ガリバルディ率いる私設軍隊に征服され、北進を敢行。このまま行けば、両勢力が衝突することも懸念されましたが、自身の権力よりもイタリアの統一を人生の悲願とするガリバルディは、征服地をそのままサルデーニャに献上し、自身は隠遁する道を選択。この予想外の出来事により、サルデーニャが想定していたよりも遥かに早く統一事業が進み、1861年3月、サルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世を新たなイタリア王とする国民国家イタリア王国の建国が遂に宣言されることとなったのです。その後も半島にはいくつかの外国支配地や、カトリック教会の第一人者であるローマ教皇が統治する教皇領(防衛はフランスが担当していたため、容易には手を出せなかった)と呼ばれる地域が残存しましたが、1866年にヴェネツィアを併合したのを皮切りに回収が進み、普仏戦争で敗北したフランスが教皇領から撤退すると、1870年には遂に教皇領も併合。1871年には王国の首都がローマへと遷され、現代まで続くイタリア国家の基礎が完成したのです(その後の歴史は下記の旧国旗を参照のこと)。

イタリアの国旗は緑、白、赤の縦三色旗で、Tricolore(トリコローレ、三色の意。フランスのトリコロールのイタリア語読み)と呼ばれます。緑は豊かな土壌を抱えた国土、白は正義と平和、赤は愛国者の熱意と血潮を表すものと解釈されますが、白については統一イタリア国家の起源となった北イタリアのアルプスで見られる雪を表すものと解説される場合もあります。また、イタリア統一の歴史に良くも悪くも深い影響を与えたフランスの国旗がモチーフとなっているのは明白で、フランスの国是となっている自由・平等・友愛(博愛とも)を象徴するものともされます。もとはナポレオン戦争期にフランスの衛星国として北イタリアに建国されたチスパダーナ共和国がこの三色を国旗として取り入れたのが始まりで、以後イタリア統一のシンボルカラーとして急速に広まり、1848年には後にイタリアを統一するサルデーニャ王国も、この旗に王家の紋章を組み込んだ国旗を制定しました。第二次大戦後の1946年の王制廃止と共和制への移行に伴い、王家の紋章は削られ、現在のシンプルな三色旗となっています。

縦横比:2対3

【旧国旗】
Kingdom_of_Italy_(1861-1946).png (★See below)
中央に王家であるサヴォイア家の紋章が組み込まれた、イタリア王国時代の国旗です。この紋章は15世紀に北イタリアで成立したサヴォイア公国の旗に由来し、後にサヴォイア公国がサルデーニャ王国、イタリア王国となった後も、王室の象徴として用いられてきました。赤地に白十字という意匠は、かつての十字軍の名残で、同地がキリスト教圏の、特にカトリック世界の一部としての歴史を刻んできたことを物語っています。統一前の1848年には既にサルデーニャ王国がこの旗を国旗に制定し、1861年のイタリア王国成立後も引き続き用いられ、1946年の王制廃止までイタリア国旗として翻り続けました。

上記のような経緯で建国されたイタリア王国ですが、他国と比べると「遅れて出てきた国」という重いハンデを持ち、工業化に必要な原料の供給地、すなわち植民地も持たないため、経済成長の速度は緩やかにならざるを得ませんでした。それでも歴代政府は熱心に対外拡張を唱え、19世紀末から20世紀初頭にかけて、東アフリカのエリトリアとソマリア南部、そしてオスマン帝国との戦争(伊土戦争)を経て北アフリカのリビアを植民地化しましたが、いずれも交易路としての性格が強く、有益な原料に乏しい、乾燥した不毛な土地で、他国が見向きもしなかった土地にたまたま入り込めただけ、というのが実情でした(リビアの石油開発は1950年代半ばから)。また、教皇領併合を最後にリソルジメントを停止させてしまったことで、イタリア文化圏であると考えられながら編入されていない南チロル、トリエステ、ダルマチア、フィウメといったオーストリア領地域(未回収のイタリア)を奪えなかったという不満がくすぶっていた一方、教皇領の併合により、ローマ教皇との関係が壊滅的と言えるほど悪化したことも、カトリックのお膝元であるイタリア国民から不評で、経済・文化両面で政府への圧力が強まっていました。それに加えて、地域間の差異が大きく、統一国家としての歴史が浅いイタリアでは、小党乱立により内閣そのものが短命で終わることが多く、コロコロと政策が転換され、継続的な成長戦略を実行する能力に欠けていたことも追い打ちとなっていました。

こうした火種は第一次大戦後、イタリアが戦勝国となったにも関わらず、思った通りの領土を獲得できなかったことで爆発し、1922年にベニト・ムッソリーニ率いる国家ファシスト党が私兵軍団を用いてローマへの進軍を開始すると、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(2世の孫)はムッソリーニを首相に任命し、以後イタリアは統帥(Duce, ドゥーチェ)の称号を持つムッソリーニの強力な支配体制のもとで、ファシズムの道を歩むことになります。これは内政的には分裂していた国民意識の統合、大規模公共投資による経済の改善、脆弱な政府に代わって各地を支配していたマフィアの壊滅、教皇庁との関係修復などの効果をもたらし、対外的にも未回収のイタリアの一部であるフィウーメの併合、アルバニアの保護国化、1890年代に一度侵略戦争を実施したものの撃退されたエチオピアの併合(エリトリア、ソマリア南部も合わせたイタリア領東アフリカの成立)といった成果に繋がりましたが、第二次大戦ではナチス・ドイツと日本と同盟を結んだため、地政学的に重要な拠点となるイタリアはいち早く連合国の標的となり、終戦2年前の1943年に降伏。ムッソリーニは命からがらドイツ軍に救出され、降伏したイタリア王国政府と対立するイタリア社会共和国を北部に樹立し、その首班となったものの、1945年に拘束され、略式裁判の末に銃殺された上、ミラノ市内の広場に吊るされるという末路を遂げました。その後、イタリアは再び王国政府が統一しましたが、ムッソリーニを首相に任命した国王への責任問題を問う声が相次ぎ、終戦後の1946年に王制の存続か、共和制への移行かを問う国民投票を実施。結果は共和制移行派が辛勝し、同年を持ってイタリア王国は廃止。サヴォイア家は国外に追放され、現在に続くイタリア共和国が成立したのです。


イタリア共和国
Repubblica italiana (レプッブリカ・イタリアーナ)
Italian Republic (イターリアン・リパブリック)

Map_of_Italy.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:ヨーロッパ
面積:約30.1万km² (日本の約80%)
人口:約6114万人
都市人口率:69.0%
首都・最大都市:ローマ (伊:Roma 英:Rome)
主要民族:ヨーロッパ系白人95%
        イタリア人(ラテン系を軸とした混血民族)92%
        ルーマニア人2%
        アルバニア人1%
        他にウクライナ人、EU諸国からの移民など。
       アラブ人(モロッコ人など北アフリカ系が大半)1%
       アジア系(中国系とインド系が主)1%
       他に少数のアフリカ系黒人、南米系など。
主要言語:イタリア語が公用語で、国民のほとんどが母語として使用。
       南北の方言差が大きく、ガロ・イタリア語と呼ばれる北部方
       言はフランス語の影響を強く受けて変化しているため、イタ
       リア系であることは認めつつも別の言語と考える説もある。
       標準語は中部のトスカーナ州の言葉を基軸に整備されたも
       の。他にフランス語、ドイツ語、スロベニア語といった少数言
       語も、州や自治体によってはイタリア語と並んで地域公用語
       の地位が与えられている。
主要宗教:キリスト教83%
        ローマ・カトリック教会81%
        正教会1~2%
        他に聖公会、ペンテコステ派などのプロテスタント諸派。
       無宗教14%
       イスラム教2%
       少数のシク教、ヒンドゥー教、仏教など。

[政治・軍事]
建国:1861年3月17日 (リソルジメントによりイタリア王国成立)
国連加盟年:1955年12月14日
政治体制:共和制、議院内閣制
元首:大統領
    上下両院議員と各州代表で構成される「選挙人団」が選出。
    任期7年。再選制限なし。
政府:閣僚評議会(内閣に相当)
    大統領が下院最大会派の指導者を首相に任命。
    他の閣僚は首相の指名に基づき、大統領が任命。
議会:二院制の国会
    ●元老院(上院)
     315議席。直接選挙制(比例代表制)。任期5年。ただし北西部の
     ヴァッレ・ダオスタ州のみ小選挙区制で選出される。このほか、
     大統領経験者や国家への功労のあった有識者には、終身制の
     上院議員となる資格が与えられる。
   ●代議院(下院)
     630議席。直接選挙制(比例代表制)。任期5年。ただし北西部の
     部のヴァッレ・ダオスタ州のみ小選挙区制で選出される。
政党制:多党制。小党乱立の傾向が強い。
国政選挙権:下院は18歳以上の国民全て。
        上院は25歳以上の国民全て。
兵役制度:志願制
国防費:238億2000万米ドル
軍組織:イタリア軍 (米軍の核兵器共有国)
     陸軍10万3000人
     海軍3万1000人
     空軍4万3000人
     国家憲兵隊(カラビニエリ)10万4000人

[経済・通信・その他]
中央銀行:イタリア銀行 (注1)
通貨:ユーロ (euro, EUR, 注1)
国内総生産(GDP):1兆8147億6300万米ドル
1人当たりGDP:2万9848米ドル
GDP構成比:農林水産業2.2%
        鉱工業23.6%
        サービス業74.2%
労働人口:2554万人
失業率:12.2%
輸出額:4501億米ドル
輸出品:機械類、医薬品、自動車と部品、鉄鋼、衣類、家具、宝飾品、ワイン
輸出先:ドイツ12%、フランス10%、米国9%、英国5%、スペイン5%
輸入額:3912億米ドル
輸入品:原油、機械類、天然ガス、自動車と部品、医薬品、有機化合物
輸入元:ドイツ15%、フランス9%、中国8%、オランダ6%、スペイン5%
固定電話回線数:2023万7000回線
携帯電話回線数:9252万1000回線
国別電話番号:39
ccTLD:.it
インターネット利用者数:約3921万人
車両通行:右側通行
平均寿命:82.3歳 (男性79.6歳、女性85.0歳)

[日本との関係]
国交樹立:1866年8月25日
相手公館:大使館 (東京)
       総領事館 (大阪)
駐日相手国人数:8561人 (永住者911人、特別永住者13人)
相手輸出額:88億4600万米ドル
相手輸出品:医薬品、自動車と部品、衣類、家具、トランク類、機械類、ワイン
日本公館:大使館 (ローマ)
       総領事館 (ミラノ)
在留日本人数:1万3299人 (永住者2081人)
日本輸出額:42億2200万米ドル
日本輸出品:機械類、自動車と部品、二輪車、鉄鋼、有機化合物、ゴム製品
現行条約:1913年 通商航海条約
       1932年 原産地証明手数料相互免除取極
       1937年 司法共助取極
       1954年 文化協定
       1955年 通商議定書及び取極
       1956年 一部旅券査証(ビザ)及び査証料相互免除取極
       1962年 航空協定
       1963年 査証(ビザ)相互免除取極
       1969年 租税条約及び議定書
       1972年 請求権解決に関する取極
       1973年 原子力平和的利用協力取極
       1988年 科学技術協力協定
       2012年 税関相互支援協定
       2016年 情報保護協定
       (2009年に社会保障協定に署名したが、未発効)

(注1)
ヨーロッパ連合(EU)が統一通貨としてユーロを導入して以降、通貨発行権や金融政策の方針決定権はヨーロッパ中央銀行が担うようになり、ユーロ導入国が本来設置していた中央銀行はその傘下にある執行組織に改組された。ユーロ導入国の各中央銀行総裁はヨーロッパ中央銀行政策理事会の一員となり、連携してヨーロッパ中央銀行の政策を決定し、それに基づいて各国内での業務執行に当たることとされる。

なお、ユーロ導入前にイタリア銀行が発行していた通貨はイタリア・リラ(lira, ITL)である。


《国歌「イタリア人の歌 (マメーリの賛歌)」》
制定:2005年 (1946年より事実上の国歌。2005年に法制化)
作曲:ミケーレ・ノヴァーロ
作詞:ゴッフレード・マメーリ

イタリアの兄弟たちよ、
イタリアは目覚めた。
その頭にスキピオ(注2)の兜を戴いて。
勝利の女神は何処におられるのだろうか?
その髪をイタリアに捧げたまえ。
神はそなたを、
ローマの僕(しもべ)として創りたもうたのだから。

さぁ隊列を組め。
死ぬ覚悟は出来ている。死ぬ覚悟は出来ている。
イタリアが我らを呼んでいるぞ。
さぁ隊列を組め。
死ぬ覚悟は出来ている。死ぬ覚悟は出来ている。
イタリアが我らを呼んでいるぞ、おお!

《国名の由来》
古代ギリシャ語で「牛」を意味するἰταλός(イタロス)、もしくは古代ラテン語で「子牛」を表すvitulus(ウィトゥルス)から。当時のイタリア半島南部では子牛の放牧が広く行われており、ギリシャ人がこの地をVitelia(ウィテリア)と名付け、それが転訛してイタリアとなった。

英語ではItaly(イタリー)と表記するが、これはItaliaをフランス語にするとItalie(イタリー)となり、それが更に英語風の表記に変化したため。余談だが、同様の変化を経た単語にSicilia(シチリア)があり、これは英語でSicily(シシリー)という。

旧国名
1861-
1946
 イタリア王国
(伊)Regno d'Italia (レーニョ・ディターリア)
(英)Kingdom of Italy (キングダム・オブ・イタリー)


(注2)
本名はスキピオ・アフリカヌス。共和政ローマ期の軍人かつ政治家で、義理の孫に当たるスキピオ・アエミリアヌス(小スキピオ)との区別により大スキピオとも呼ばれる。紀元前3世紀末期、当時ローマと地中海の覇権を争っていたハンニバル率いるカルタゴを相手に第二次ポエニ戦争を戦い、ローマを勝利に導いたことから、現在でもイタリア史上屈指の英雄として尊敬を集めている。


★(c) 2009 F l a n k e r CC BY-SA 2.5 外枠追加

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

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