アンゴラ

アンゴラ
Angola (ポルトガル語、英語)
Ngola (ムブンドゥ語)

Flag_of_Angola.png

アフリカ南部、大西洋に面するアンゴラは、1975年にポルトガルから独立した国です。国土は概して山がちで、中西部のモコ山(標高2620m)を最高点とする高原から、周辺に向かうにつれてなだらかな丘陵地となりますが、平地は沿岸部に限られます。その気候は熱帯雨林が広がる北部と、湿地帯が多い南部、そして乾燥した沿岸部に大別されるものの、高地が多く、近海に寒流が流れる影響から、気温そのものは同緯度の他国に比べて高くなく、過ごしやすいのが特徴です。そのため古くからバントゥー系黒人諸部族による定住が進み、14世紀末にコンゴ族がコンゴ王国を建国すると、アンゴラ北部もその支配下に入り、またその王都ンバンザ・コンゴの所在地として、アフリカ中南部の政治的・文化的拠点として栄えました。このンバンザ・コンゴは現在もアンゴラを構成する州の1つ、ザイーレ州の州都として現存し、往年の伝統を現在に伝えています。しかしコンゴ王国も、16世紀から欧州諸国(特にこの地ではポルトガル)が奴隷貿易を開始したことで弱体化し、それまで従えてきた周辺の属国が次々と独立。アンゴラもその1つであるンドンゴ王国の支配地となりました。ンドンゴの独立には、アフリカの大国コンゴを弱体化させたいポルトガルが積極的に関与し、時には支援も受けましたが、独立後はポルトガルが領土的野心を隠さなくなり、ンドンゴも次第に態度を硬化させ、両国関係は敵対的となっていきます。これは後に両国間で戦争にまで発展し、緒戦はンドンゴが優勢だったものの、ポルトガル軍は徐々に勢力を拡大し、1610年代後半には王都まで侵入。ここにきてンドンゴの抵抗も弱まり、1623年にンドンゴはポルトガルの属国となり、奴隷を捧げるなどの条件で和平が成立しました。その後もンドンゴは形式的に存続し、時には反ポルトガル運動が盛り上がる時期もありましたが、その都度ポルトガルは軍事力によって弾圧を行い、支配体制を強化。1660年代の大反抗時には王都の包囲の末、1671年には遂にンドンゴ王国の廃止を決定し、この地はポルトガルの植民地として長い間、苛烈な搾取にさらされていくことになります。

アンゴラの独立運動は第二次大戦後、植民地主義への批判が高まると急速に拡大し、1956年にアゴスティニョ・ネトを中核として結成された社会主義組織アンゴラ解放人民運動(MPLA)、独立とコンゴ族の復興を目指して勢力を拡大していたアンゴラ民族解放戦線(FNLA)、そしてFNLAから非コンゴ族が離脱して結成されたアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)の3勢力が互いに抗争を繰り広げながら、ポルトガルに対する武装闘争を展開しました。これに対して、権威主義的な体制が続いていたポルトガルは強硬に独立を認めない路線を貫いていたものの、1974年のいわゆるカーネーション革命によって植民地主義を放棄し、3勢力と和平を結んで翌年の独立を承認。宗主国という重荷が外れた各派は独立後の支配権をめぐって戦闘を繰り返し、FNLAは北の隣国で同じコンゴ族が多数を占めるザイール(現コンゴ民主共和国)の、UNITAは当時アパルトヘイト政策で国際的に孤立していた南アフリカの支援を得ながら、共同戦線を構築して、首都ルアンダを含む沿岸部を支配するMPLAに大攻勢を仕掛けました。しかしMPLAは同じ社会主義勢力であるキューバの支援を受け、実際にキューバ軍がアンゴラに派遣され、両派を撃退。この勝利が決め手となり、新国家の主導権はMPLAが握ることが確定し、ポルトガルとの合意で独立日と定められた1975年11月11日、首都ルアンダで社会主義国家アンゴラ人民共和国の独立が宣言され、MPLAのネトが初代大統領に就任することとなったのです(その後FNLAは急速に勢力を減退させ、UNITAも内陸部への撤退を余儀なくされます)。ネト自身は1979年に大統領在職のまま死去し、後継者のジョゼ・エドゥアルド・ドスサントスが第2代大統領として権力を引き継ぎましたが、MPLA政権自体はその後も一党制の社会主義国の一角として、キューバ、ソ連、東ドイツなどの支援を受けながら存続し、内陸部で反体制闘争を継続していたUNITAと内戦を繰り広げました。この内戦はやがて東西冷戦の代理戦争の色彩を帯び、東側諸国が動揺した1980年代後半からはUNITAが優勢になる場面も多く、1988年にはアンゴラ全土の1/3がUNITAの支配域になったこともありましたが、冷戦後は双方共に有力な支援元を失うこととなり、継戦能力を喪失。1991年には和平に至り、翌1992年には新憲法のもとで一党制が放棄され、両派を含む複数政党制のもとでの大統領選・議会選が実施されました(国名もアンゴラ共和国に改称)。ただ、創設以来一貫してUNITA議長の座を維持してきたジョナス・サヴィンビは、この選挙でMPLAが勝利したことを不服とし、再び泥沼の内戦を展開したため、内情は新憲法下でも安定化の兆しは見えませんでした。結局、このような状況は2002年にサヴィンビが暗殺され、UNITAそのものが衰退するまで続き、現在のアンゴラは豊富な石油とダイヤモンドの輸出をテコに、長い闘いの歴史から復興していく途上にあります。

このような状況下で独立したアンゴラの国旗は、内戦で新国家の主導権を握ったMPLAの主張を全面的に押し出した国旗とならざるを得ませんでした。1975年の独立と同時に国旗として制定されたこの旗は、独立のために流された血を意味する赤と、アンゴラがアフリカ諸国の一員であることを象徴する黒の二分割旗に、社会主義革命のシンボルである星を配したMPLAの党旗のデザインを踏襲したもので、そこに農民を表すマチェーテ(山刀)と、労働者を意味する歯車が組み込まれています。1992年の新憲法制定により、MPLA政権は公式には一党制と社会主義路線を放棄したものの、権力から退くことはなく、またUNITAとの内戦が継続したため、長らくMPLA体制の象徴と言うべきこの旗は変更されてきませんでした。UNITAとの内戦が終息し、ようやく平和を取り戻した2003年には、MPLAのみならず国家全体を象徴する新国旗の制定も議論され、ある1つの案が国民議会(国会)の憲法委員会で取り上げられるまでになりましたが、そもそも新体制下とはいえ、国民議会は今も昔もMPLAが圧倒的多数を占めており、MPLA所属議員の反対によって程なくしてお蔵入り。その後は新国旗議論そのものが自然消滅し、現在に至るまでこの旗がアンゴラの国旗として引き続き翻り続けています。

縦横比:2対3


アンゴラ共和国
República de Angola
Repubilika ya Ngola
Republic of Angola

Map_of_Angola.gif

統計データは原則として2016年時点のもの。

[地理]
位置:アフリカ
面積:約124.7万km² (日本の約3.3倍)
人口:約2881万人
都市人口率:45.6%
首都・最大都市:ルアンダ (葡・ム・英:Luanda)
民族:人口の96%はバントゥー系の黒人。最大民族ムブンドゥ族は
   約6割を占めるが、南部のオヴィンブンドゥ族(3割半)と北部
   のアンブンドゥ族(2割半)に大別され、別の民族として扱わ
   れることも多い。他にコンゴ族(約1割)、チョクウェ族、オ
   ヴァンボ族、ヘレロ族など。非バントゥー系黒人としてはサ
   ン族が存在する。
   黒人以外ではムラート(黒人と白人の混血)が2%、中国系と
   白人が1%ずつを占める。白人のほとんどはポルトガル系。
言語:ポルトガル語が公用語。母語率は5%以下だが、第二言語と
   して話せる国民は半数程度おり、都市部においては民族をま
   たぐ共通語として機能している。多くの部族語が存在し、ム
   ブンドゥ語(これも南北に分かれる)、コンゴ語などの使用規
   模の大きな言語に関しては、公用語とは別に「国語」として
   一定の保護が与えられる。なお、飛び地であるカビンダ州で
   はポルトガル語よりもフランス語の通用度が高い。
宗教:正式な統計は無いが、キリスト教が国民の半数近くに信仰さ
   れ、うちローマ・カトリック教会の信徒が国民の4割前後を
   占めると見られている。もう半数は各部族固有の精霊信仰と
   される。その他に少数のイスラム教徒も存在する。

[政治・軍事]
独立:1975年11月11日
国連加盟年:1976年12月1日
政治体制:共和制、大統領制
元首:大統領
   議会が選出。任期5年。連続しての3選は禁止。
政府:閣僚評議会(内閣に相当、首相職なし)
   閣僚は大統領が任命。
議会:一院制の国民議会
   220議席。直接選挙制(比例代表制)。任期5年。
政党制:アンゴラ解放人民運動による一党優位制
     (形式上は多党制)
国政選挙権:18歳以上の国民全て
兵役制度:徴兵制
国防費:32億3200万米ドル
軍組織:アンゴラ軍
    陸軍9万1000人
    海軍1000人
    空軍8000人

[経済・エネルギー]
中央銀行:アンゴラ国立銀行
通貨:クワンザ (kwanza, AOA)
国内総生産(GDP):896億3300万米ドル
1人当たりGDP:3111米ドル
GDP構成比:農林水産業10~15%
      鉱工業60~65%
      サービス業25~30% (詳細値不明)
労働人口:1210万人
失業率:不明 (25%前後と推計される)
輸出額:310億3000万米ドル
輸出品:原油が約9割、他にダイヤ原石と天然ガス
輸出先:中国54%、インド8%、米国6%、南アフリカ5%、フランス4%
輸入額:192億5000万米ドル
輸入品:機械類、船舶、鉄鋼、自動車、穀物、肉類、精製石油、医薬品
輸入元:ポルトガル16%、米国13%、中国12%、南アフリカ7%、ベルギー6%
発電量:94億3800万kWh
    (火力45%、水力54%、再生可能エネルギー1%)
電力消費量:83億3800万kWh (1人当たり289kWh)
電力輸出量:0kWh
電力輸入量:0kWh

[通信・その他]
固定電話回線数:30万5000回線
携帯電話回線数:1300万1000回線
国別電話番号:244
ccTLD:.ao
インターネット利用者数:約595万人
車両通行:右側通行
平均寿命:60.3歳 (男性58.2歳、女性62.3歳)

[日本との関係]
国交樹立:1976年9月9日
相手公館:大使館 (東京)
駐日相手国人数:36人 (永住者1人)
相手輸出額:2億6200万米ドル (2015年)
相手輸出品:原油が8割以上、他に精製石油、天然ガス、魚介類
日本公館:大使館 (ルアンダ)
在留日本人数:43人 (永住者無し)
日本輸出額:1億7300万米ドル (2015年)
日本輸出品:自動車と部品、鉄鋼、機械類、ゴム製品、繊維原料
現行条約:特に無し


《国歌「進めアンゴラ!」》
制定:1975年
作曲:ルイ・ミンガス
作詞:マヌエル・ルイ・モンテイロ

おお、祖国よ。
我らは決して忘れない。
2月4日(注1)の英雄たちを。
おお、祖国よ。
我らはそなたの子たちを称える。
独立のために死んでいった彼らを。
我らは過去と自らの歴史を尊ぶ。
「新しい人」の創造のために。
我らは過去と自らの歴史を尊ぶ。
「新しい人」の創造のために。

進めアンゴラ!
人民の力による革命!
統一された祖国、自由、一つの人民、一つの国家!
進めアンゴラ!
人民の力による革命!
統一された祖国、自由、一つの人民、一つの国家!

《国名の由来》
1500年代から1671年のポルトガル進出までこの地に存在したンドンゴ王国の国王の尊称Ngola(ンゴラ)に由来。ンゴラとは「大王」を意味するバントゥー系言語の単語であり、後にポルトガル人がこの地一帯をンゴラの支配地と見なした際、定冠詞aを付けてアンゴラ(ンゴラの地)と呼んだ。

旧国名
1975-
1992
 アンゴラ人民共和国
(葡)República Popular de Angola
(英)People's Republic of Angola


(注1)
MPLAがポルトガルに対する独立闘争を開始したのが1961年2月4日であることから。この日はアンゴラの祝日となっており、首都ルアンダにある国内最大の空港は2月4日国際空港と名付けられるなど、特別な日として扱われる(11月11日の独立記念日とは異なる祝日なので注意)。

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と2女1男の5人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

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