ケニア

ケニア
Kenya (ケニャ) (スワヒリ語)
Kenya (ケンニャ) (英語)

Kenya.png

東アフリカの赤道直下に位置する山岳国ケニアは、1963年にイギリスから独立した国です。領土の大半は標高1500m程度の高原で、熱帯性の高温多湿気候が多い同緯度の中では比較的過ごしやすい気候を持っています。そのうえヴィクトリア湖やトゥルカナ湖といった巨大な水源と、それに付随する多くの河川が国土を潤しているため、古くから農耕や牧畜に適した地として知られてきました。首都ナイロビはマサイ族の言葉で「冷たい水」を意味するぐらいですしね。また、穏やかな気候と豊かな水資源は動植物の生育に最適な土壌をこの地に作り出しており、高層ビルが建ち並ぶ大都市のすぐ外に環境保護区が設定されるなど、人の生活と自然が隣り合う珍しい光景が見られます。このような特色ある国土を生かしたサファリ・ツアーはケニア観光の最大の目玉であり、今では国家最大の外貨獲得源に成長しました。そもそもサファリという言葉自体、東アフリカ諸国の共通語であるスワヒリ語で「旅」を表すとのこと。

その一方で、豊かな土壌と快適な気候という自然の恵みは、外国からも目を付けられやすいという弱点を抱えていました。帝国主義全盛の19世紀になると、農産物と畜産品の供給地を求めるイギリスとドイツが領有を目指して東アフリカに進出し、1886年に同地域を分割。北部に相当するケニアはイギリスの保護領となり、1920年に直轄植民地へと地位が変更されたのに伴い、多くの白人が入植を行いました。その結果、豊かな農地は入植者に奪われ、換金作物(茶やコーヒー豆など)を栽培する大規模なプランテーション農業が行われましたが、現地の黒人は痩せた土地に押し込められたり、白人所有の農地で低賃金労働を強いられます。こうした状況に不満を持つ黒人(特に最大民族であるキクユ人)は、第二次大戦後から徐々に反英運動を強化し、1950年代にはマウマウ団の乱と呼ばれる大規模な反乱が発生。これは結果的に鎮圧されてしまったものの、独立を求める動きはこの頃から格段に強まり、1960年にはケニア・アフリカ民族同盟(KANU)という黒人政党が立ち上げられました。結局、こうした動きを抑えきれなくなったイギリスは植民地の維持を断念し、1963年6月にはKANUを中核とする自治政府が発足。半年後の同年12月には正式に独立を勝ち取りました。ちなみに独立当初の国名は単にケニアで、政治体制は英連邦王国(独立後も元首の地位をイギリス国王が兼ねている国)でしたが、翌1964年に独自の大統領職を設置して共和制に移行。それに伴い、国名も現在のケニア共和国へと改称しています。

ケニアの国旗は1963年の独立時に制定されました。黒、赤、緑の配色はジャマイカ人のマーカス・ガーヴェイという運動家が1914年に設立した世界黒人開発協会(UNIA)の組織旗に使われていたもので、ケニアの他には同じく黒人国であるマラウイ南スーダンが国旗に使用しています。一般的に汎アフリカ色というと、アフリカ最古の独立国と呼ばれるエチオピアの国旗からとられた緑、黄、赤を指しますが、UNIAの三色はどちらかというとアフリカのみならず世界中の黒人解放運動のシンボルと認識されており、後に独立運動を主導したKANUも党旗として採用していました。ケニアの場合、黒はアフリカ系黒人であるケニア国民、赤は独立のために流された血、緑は豊かな農業と自然、そして国土を象徴します。また、それぞれの色の間に組み込まれた白帯は、平和と国民の統一を象徴します。中央には気高く勇猛果敢な民族として知られ、「草原の貴族」の異名を持つマサイ族の盾と槍が配されています。これを配することで、ケニアの自由、国土、国民を防衛するという意思を国旗の中で表明しています。

縦横比:2対3


ケニア共和国
Jamhuri ya Kenya (ジャムフリ・ヤ・ケニャ)
Republic of Kenya (リパブリック・オブ・ケンニャ)

Map_of_Kenya_.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:アフリカ
面積:約58.0万km² (日本の約1.5倍)
人口:約4675万人
都市人口率:25.6%
首都・最大都市:ナイロビ (ス・英:Nairobi)
主要民族:黒人諸民族が99%を占める。
       以下の2系統に大別される。
       ●バントゥー系 (69%)
        キクユ人20%
        ルヒヤ人14%
        カンバ人10%
        グシイ人6%
        ミジケンダ人5%
        メル人4%など。
       ●ナイル系 (30%)
        カレンジン人13%
        ルオ人10%
        トゥルカナ人3%
        マサイ人2%など。
      他に少数のアラブ系、インド系、白人など。
主要言語:スワヒリ語と英語が公用語。英語は政府機関、教育、ビジネス
       など幅広い分野で用いられ、民族をまたぐ共通語として機能し
       ているが、沿岸部を中心にスワヒリ語の話者も多く、都市部で
       は両言語の併用者も多い。ただし国民のほとんどは自らの属
       する部族の固有語を母語としており、キクユ語、ルヒヤ語など
       約70の部族語が話される。
主要宗教:キリスト教83%
        プロテスタント諸派48%
        ローマ・カトリック教会24%
        正教会1%
        少数のクエーカー(キリスト友会)など。
       イスラム教11%
        スンナ派10%
        少数のアフマディーヤ教団、シーア派など。
       無宗教2%
       伝統宗教2%
       他にヒンドゥー教、バハーイー教など。

[政治・軍事]
独立:1963年12月12日
国連加盟:1963年12月16日
政治体制:共和制、大統領制
元首:大統領
    直接選挙制、任期5年、3選禁止。
政府:内閣(首相職なし)
    閣僚は大統領が任命。
議会:二院制の国会
    ●元老院(上院)
     67議席。47議席は国家を構成する各県から1名ずつ選出。
     残る20議席は総選挙後の上位政党が指名する女性議員枠、
     青年層枠、障害者枠に分かれる。任期5年。
    ●国民議会(下院)
     349議席。290議席は直接選挙(小選挙区制)によって選出。
     47議席は各県から1名ずつ選出される女性議員枠。残る12
     議席は総選挙後の上位政党が指名する。任期5年。
政党制:多党制
国政選挙権:18歳以上の国民全て
兵役制度:志願制
国防費:10億220万米ドル
軍組織:ケニア国防軍
     陸軍2万人
     海軍1600人
     空軍2500人

[経済・通信・その他]
中央銀行:ケニア中央銀行
通貨:ケニア・シリング (shilling, KES)
国内総生産(GDP):633億9800万米ドル
1人当たりGDP:1377米ドル
GDP構成比:農林水産業29.9%
        鉱工業19.5%
        サービス業50.6%
労働人口:1821万人
失業率:不明
     2014年の国連推計では9.2%とされるが、CIA The World
     Factbookの推計による2013年のデータでは40%となってお
     り、統計を採る側によって大きく数字が異なる。
輸出額:59億8200万米ドル
輸出品:茶、切り花、精製石油、コーヒー豆、衣類、果物、ナッツ類、魚介類、豆類
輸出先:ウガンダ11%、米国8%、タンザニア8%、オランダ7%、英国6%
輸入額:155億6000万米ドル
輸入品:機械類、精製石油、衣類、自動車、鉄鋼、医薬品、穀物、砂糖、履物
輸入元:中国30%、インド16%、UAE6%、日本6%、米国5%
固定電話回線数:8万6000回線
携帯電話回線数:3771万6000回線
国別電話番号:254
ccTLD:.ke
インターネット利用者数:約2125万人
車両通行:左側通行
平均寿命:64.1歳 (男性62.6歳、女性65.5歳)

[日本との関係]
国交樹立:1963年12月
相手公館:大使館 (東京)
駐日相手国人数:760人 (永住者158人)
相手輸出額:6720万米ドル
相手輸出品:チタン鉱、茶、切り花、コーヒー豆、銅くず、葉タバコ、魚介類、ナッツ類
日本公館:大使館 (ナイロビ)
在留日本人数:804人 (永住者16人)
日本輸出額:9億5500万米ドル
日本輸出品:自動車と部品、鉄鋼、機械類、化学繊維、セメント、ゴム製品
現行条約:1966年 青年海外協力隊派遣取極 (1984年、一部改正)
       2004年 技術協力協定


《国歌「おお、万物の神よ」》
制定:1963年
作詞:グラハム・ヒスロップ
    G.W.セノガ=ザケ
    トーマス・カルメ
    ピーター・キブコシャ
    ワシントン・オモンディ
作曲:ケニア国立国歌委員会

おお、万物の神よ。
我らの土地と民を祝福したまえ。
正義は我らの盾であり、防衛者である。
我々は統一された1つの民として暮らす。
平和と自由が、国の至る所で溢れんことを。

《国名の由来》
国土のほぼ中央部に位置するケニア山(標高5199m、アフリカ大陸第2位)に由来する国名。ケニアとは先住民のカンバ族の言葉で「縞模様」を意味するkiinya(キイニャ)、もしくは最大民族キクユ族の言葉で「白い山」を意味するkere-Nyaga(ケレ=ニャガ)が英語に転訛したものとされる。

いずれの名前もケニア山に残る万年雪を見た人々の印象から付けられており、前者は白い雪が残る部分と雪が解けた山肌が縞模様に見えたこと、すなわち山全体に着目しているのに対し、後者はその中でも白い雪の部分に特化した言葉である。

旧国名
1963-
1964
 ケニア
(ス・英)Kenya

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

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