ブランデンブルク

ブランデンブルク
Brandenburg
(ドイツ語、英語)

Brandenburg.png

ドイツ東部の平原地帯に位置するブランデンブルク州は、連邦の首都ベルリン(単独で州と同格)をぐるりと囲んでいます。両地は12世紀以来、神聖ローマ帝国を構成する領邦の1つ、ブランデンブルク辺境伯領を形成し、一体となって発展してきました。辺境伯領の地位は1396年に選帝侯国へと格上げされ、1525年にはプロイセンと同君連合(1618年に完全統合)を結成。このプロイセンのもとで1871年のドイツ統一が成し遂げられたことを考えると、まさにドイツ国家の祖地と言えましょう。こうした経緯もあって、現在でもベルリンとブランデンブルク州の結び付きは強く、1995年にはベルリン=ブランデンブルク州として統合する計画も浮上したものの、翌1996年の住民投票では反対が多数となり、否決されました。ちなみに州都ポツダムにあるツェツィーリエンホーフ宮殿は、第二次大戦においてドイツを降伏させた連合国が、最後まで戦っていた日本に対し、無条件降伏を求める最後通牒を発表した地として有名です。いわゆるポツダム宣言ですね。

第二次大戦後、ドイツは米英仏ソの4ヶ国により分割占領され、この地はソ連の統治下に置かれました。1949年にソ連の占領地区にドイツ民主共和国(東ドイツ)が樹立されると、これを構成する5州の1つとなったものの、東ドイツは米英仏の占領地区に建てられたドイツ連邦共和国(西ドイツ)と違い、社会主義と一党制に基づく中央集権国家。東ドイツ政府は地方分権的で連邦主義的な「州」という区分を嫌い、建国からわずか3年後の1952年にブランデンブルク州を含む国内全ての州を解体。政府の単なる出先機関である「県」に置き換えました。県の大きさは州よりも細分化されており、この州も3県に分割されています。しかし1990年7月、西による東の編入を間近に控えた政府は、連邦国家として州ごとに大きな自治権を認めた西の制度に合わせるため、州制度を復活させました。同年10月3日に東ドイツを構成する州全てが西ドイツに正式加入し、再統一が実現。この地も連邦を構成する1州として再スタートしています。

ブランデンブルク州の旗は赤と白に二分割旗の中央に、州章を配したデザインとなっています。東ドイツ時代は使用が禁じられていましたが、1990年の州復活に伴い解禁されました。赤と白は中世、バルト海沿岸からドイツ北西部にかけての多くの都市が参加し、隆盛を誇ったハンザ同盟の旗の色とされます。この同盟はほとんどが海岸沿いの港湾・貿易都市で構成されていましたが、内陸のこの地でも一部の都市がこれに加盟していた時代があり、その頃からの名残を今に留めています。ベルリンの市旗も地色はこの2色な辺り、やはり両者の繋がりは相当深いようで。一方、中央に置かれた州章はかつてのブランデンブルク辺境伯領時代から使われていたという由緒ある意匠で、赤い体に金色の翼骨と足を持つ鷲が描かれています。

縦横比:3対5

【旧州旗】
Brandenburg_in_East_Germany.png
1945年にソ連の占領下に置かれたブランデンブルク州では、社会主義のイデオロギーのもと、伝統的な王政を彷彿とさせる赤鷲の紋章は禁止されました。かわって導入されたこの州旗は、赤地に白い線というシンプルなデザインとなっており、1949年に州の管轄がソ連軍から東ドイツ政府に移管された後もこの旗が引き続き用いられました。しかし1952年に州そのものが解体されたため、この州旗も廃止されています。


ブランデンブルク州
Land Brandenburg
State of Brandenburg


Location_of_Brandenburg.png

面積:約2.9万km² (ドイツ全土の約8.26%)
人口:約250万人 (2011年推計)
州都・最大都市:ポツダム (Potsdam)

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嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

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