ビアフラ

ビアフラ
Biafra (英語)

Biafra.png

1960年にイギリスから独立したナイジェリアは、世界有数の石油輸出国であり、アフリカで唯一1億人以上の人口を持つ地域大国として知られます。国の主要民族は北部のハウサ、西部のヨルバ、東部のイボに分かれ、それぞれ独自の文化圏を形成していますが、その中でもイボ人はイギリス人がナイジェリアに進出した頃から、西洋式の教育や生活様式を積極的に取り入れ、信仰面でもキリスト教に改宗しました。その結果、後に同地の支配者となったイギリス人はイボ人を好意的に捉えるようになり、植民地時代には海外留学の機会や植民地政府の官吏への採用枠が与えられるなど、ナイジェリアの諸民族の中でも抜きん出た存在になったのです。一方、他の民族(特に最大民族でイスラム教徒のハウサ人)からすれば、イボ人は「異教徒である支配者に迎合した裏切り者」と映ることになり、独立が差し迫ってきた1950年代になると民族対立が表面化しました。それでも何とか1960年に独立を達成し、ハウサ地域に北部州、ヨルバ地域に西部州、イボ地域に東部州を設置してそれぞれに自治権を与えることで、混乱は一時的に収束。ナイジェリアは1つの連邦国家としてスタートしたのです。

独立後、ナイジェリアの初代大統領に就任したのはンナムディ・アジキウェという人物で、彼もやはりイボ人でしたが、1966年にハウサ人によるクーデターで失脚すると、それまで溜まってきた鬱憤を晴らすかのように、イボ人に対する迫害・虐殺が始まります。また、それまで民族単位でまとまっていた各州が細分化されるなど、イボ人の結集を意図的に妨害するような政策が採られたため、耐えかねたイボ人は翌1967年に旧東部州の分離独立とビアフラ共和国の樹立を宣言。ナイジェリア連邦軍との間で内戦状態に入りました。旧東部州に相当する地域には経済の要である油田が集中しており、ナイジェリアにとっても断じて手放すわけにはいかない土地でしたが、親英のナイジェリアが混乱している隙をついて石油利権を獲得したいフランスや、周辺の親仏国からの支援により、ビアフラ軍は初期の戦況を優位に展開しました。しかし1968年に海岸部をナイジェリア軍が占領すると一転し、補給路を断たれて劣勢となったビアフラ軍は内陸の僻地へと追いやられ、1970年に最後の拠点だったオウェリが陥落したことで完全に崩壊しています。その後、旧東部州は再びナイジェリアの施政下に入り、現在に至りますが、戦争の過程で200万人という膨大な人口が失われ、その大半が子供を含む餓死者だっただったことを考慮すると、いかにこの内戦が凄惨なものだったかがうかがい知れます。

ビアフラ共和国の国旗は1967年の独立宣言と同時に制定され、1970年のオウェリ陥落まで用いられました。赤、黒、緑の配色はジャマイカ人のマーカス・ガーヴェイという運動家が1914年に設立した世界黒人開発協会(UNIA)の組織旗からとられたもので、他にマラウイケニアなどもこの配色を国旗に採り入れています。一般的に汎アフリカ色というと、アフリカ最古の独立国と呼ばれるエチオピアの国旗からとられた緑、黄、赤を指しますが、UNIAの三色はどちらかというとアフリカのみならず世界中の黒人解放運動のシンボルと認識されています。ビアフラ共和国はそれぞれの色に対する公式な意味付けをすることなく消滅しましたが、赤はビアフラの解放とそのために流される血を、黒は黒人であるビアフラ国民を、緑は豊かな自然を持つ国土を象徴するものと解釈されます。また、中央に置かれた黄色(金色)の太陽は希望と明るい未来を意味し、そこから放たれる11本の光はビアフラ政府が独立宣言に際して新たに設置した11州を表すといいます。

縦横比:1対2


ビアフラ共和国
Republic of Biafra

Map_of_Biafra.png

現在の領域:ナイジェリア南東部
首都:エヌグ (Enugu, 注1)
公用語:英語

《国歌「日の昇る地」》
使用期間:1967-1970年
作曲:ジャン・シベリウス
作詞:不明
備考:曲はスウェーデン系フィンランド人の作曲家シベリウスの
    「フィンランディア」が流用された。困難な状況から独立
    を勝ち取ったフィンランドに対する羨望からという。

日の昇る地。
我らが愛し、慈しむ地。
勇敢なる英雄の、最愛の故郷。
我らは祖国を守らねばならない。さもなくば死ぬ。
全ての敵から、我らの心を守ろう。
我らが貴ぶもの全てが壊されてしまうぐらいなら、
恐れることなく死を選ぼう。

《国名の由来》
ニジェール川下流のデルタ地帯(現在のナイジェリア南東部)を指す言葉として古くから用いられてきたが、語源については圧倒的に資料が少なく、詳細は判明していない。一説では、Biaとはイボ語で「来る」を意味する言葉とされている。

(注1)
1967年の独立宣言に伴い、東部州の州都だったエヌグを首都に定めたが、同年末にエヌグがナイジェリア軍の進撃によって陥落したため、ウムアヒアに首都機能が移った。しかし1969年には同地も陥落し、以後は共和国崩壊までオウェリが臨時首都となった。ビアフラ政府は首都機能の移転を戦時体制下の一時的な措置としており、公式の首都はあくまでエヌグであると主張し続けた。

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嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

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