オーストリア

オーストリア
Österreich (エースターライヒ) (ドイツ語)
Austria (オーストゥリア) (英語)

Flag_of_Austria.png

ヨーロッパ中央部に位置する内陸国オーストリアは、ドイツ文化圏の一部を構成しています。中世から近代にかけてはヨーロッパ屈指の勢力を誇り、ドイツ人以外にも様々な民族を内包する多民族帝国として知られました。第一次大戦後、帝国を構成していた諸民族は次々と独立し、オーストリアには首都ウィーンなどドイツ人地区のみが残されましたが、これはおおむね現在の国土と一致します。また政治体制も、これまで地位と名誉を共にしてきた皇帝が廃位され、民選の大統領を元首とするオーストリア共和国に移行しました。しかし強大な帝国に慣れ親しんだ国民が新体制を受け入れることは難しく、こんな状況ならもはや独立している意味が無いとしてドイツとの一体化を主張、また政界でも政党間の対立が激しくしばしば政治が停滞したため、戦間期の共和国政府は絶えず不安定な国情に悩まされることとなります。一方、1933年にドイツで政権を獲得したヒトラー率いるナチス党は、ヒトラーの出身地がオーストリアであることも作用して、オーストリアとの合併を急速に推進。共和国政府は独立を守ろうと抵抗したものの、強大な軍事力を背景としたドイツの勢いは凄まじく、また国民の多くはドイツとの合併を悲願としていたため、結局1938年に独墺合併(Anschluß, アンシュルス)が実現しました。

第二次大戦後、オーストリアは改めてドイツから切り離されたものの、戦時期においてその一部だったことから米英仏ソの4ヶ国による分割占領を受けました。しかしドイツの事例とは認識が異なり、オーストリアは「ドイツに侵略された被害者」と定義されたため、東西に分断されるようなこともなく、1955年には「オーストリア国家条約」の締結にこぎつけました。これは永久にドイツと合併しないこと、そして戦時においていかなる国・組織にも加担しない(永世中立国になる)ことを条件に、オーストリアが統一国家として主権を回復することを認めるという内容です。以後、オーストリア国民の間には自らをドイツ人の一派であることは認めつつも、独立した「オーストリア人」と見なす風潮が確立され、ドイツとは別の国という意識も浸透。国内政治も民主的な二大政党制のもとで安定し、東西冷戦という国際情勢の中では資本主義国として西側寄りの姿勢は採りつつも、その軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)には現在に至るまで加盟しないなど、条約はかなりの程度遵守されています。ドイツとの再合併を求める声も無いわけではありませんが、1992年に発足したヨーロッパ連合(EU)のもとでドイツとの国境が開放され、様々な面で統合が進んだ今、既に地図上だけの存在と化しつつある国境線を変更することに大きな意味は見いだせず、多くの国民が現状維持派となっています。

オーストリアの国旗は、12世紀末の第3回十字軍に参加したオーストリア公レオポルト5世が戦いの中で敵の返り血を浴びた際、体中が赤く染まったもののベルトに隠れた腰の部分だけは白く残った、という故事が由来と言われています。この逸話はあくまで伝説の域を出ないもので、実際には13世紀にオーストリアが神聖ローマ帝国に反乱を企てた際、反乱旗として使用されたことが起源とのこと。伝説を除外しても、かなり古くから用いられてきた旗だということがわかりますね。その後、後述するハプスブルク家が支配権を確立したことにより、そのシンボルである黒と黄の旗が国旗とされましたが、この旗も1787年より軍旗として復活。第一次大戦での敗北を受けて1918年に帝国が崩壊し、新共和国が成立したのに伴い、帝国旗に替わって国旗として採用されました。赤、白、赤のシンプルな意匠は民間で用いられるもので、政府専用旗には中央に鷲をあしらった国章が付加されます。ちなみに1938年のアンシュルスから1945年の第二次大戦終結までは、ナチス政権によって掲揚禁止の措置が採られていました。

縦横比:2対3

【旧国旗】
Austrian_Empire_.png
オーストリアの歴史は古く、976年には東フランク王国(現在のドイツの基礎となった国)からこの地を与えられたバーベンベルク家が、オーストリア辺境伯の名のもとで支配権を確立し、1156年に公国に昇格したことを国家の起源としています。1246年に同家が断絶すると支配者の交代が相次ぎましたが、1278年には神聖ローマ帝国の名家ハプスブルク家が平定し、君主の座を獲得します。15世紀以降、神聖ローマ皇帝の座はハプスブルク家の世襲体制となったため、その本拠地であるオーストリアは大いに発展と拡大を続け、中世においてはヨーロッパ屈指の勢力を誇る多民族帝国を実現。近代に至ってもその権威は衰えず、とりわけその文化的栄華はヨーロッパ中に計り知れない影響力を持ち、近代国家の中でもとりわけ強大な国に与えられる「列強」の称号を獲得しています。

オーストリア帝国時代の国旗は、もとは支配者であるハプスブルク家のシンボルです。中央・東ヨーロッパで権威の象徴とされた「双頭の鷲」が黄色地の中に黒く描かれた家紋が1686年に制定され、これが1720年に旗として作成しやすい黒と黄の二分割旗となりました。それぞれの配色の意味については定められていません。1918年の帝政崩壊を受けて廃止され、現国旗に移行。


オーストリア共和国
Republik Österreich (レプブリーク・エースターライヒ)
Republic of Austria (リパブリック・オブ・オーストゥリア)

Map_of_Austria.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:ヨーロッパ
面積:約8.4万km² (北海道の約1.1倍)
人口:約856万人
都市人口率:66.0%
首都・最大都市:ウィーン (独:Wien 英:Vienna)
主要民族:ドイツ系オーストリア人81%
       南スラヴ系(旧ユーゴ諸国)5%
       ドイツ人3%
       トルコ人(トルコ国籍のクルド人を含む)2%
       少数のマジャール(ハンガリー)人、スロベニア人、アラブ系、アジア系など。
主要言語:ドイツ語が公用語で、9割近くの住民が母語としている
       ほか、他の言語の話者も生活上必要な言語として習得
       している。他に南部ではスロベニア語、南東部から東部
       にかけてはマジャール(ハンガリー)語とクロアチア語を母
       語とする地域もある。移民系言語ではトルコ語とセルビア
       語の話者が多い。
主要宗教:キリスト教70%
        ローマ・カトリック教会60%
        正教会6%
        プロテスタント諸派4%
       無宗教18%
       イスラム教(スンナ派が大半)7%
       少数のユダヤ教、仏教など。

[政治・軍事]
建国:976年(オーストリア辺境伯領成立)
    1156年(公国に昇格)
国連加盟:1955年12月14日
政治体制:共和制、議院内閣制、連邦国家
元首:連邦大統領
    直接選挙制。任期6年。3選禁止。
政府:閣僚評議会(内閣に相当)
    大統領が下院最大会派の指導者を連邦首相に任命。
    他の閣僚は連邦首相の指名に基づき、大統領が任命。
議会:二院制の連邦集会(連邦総会とも)
    ●連邦議会(上院)
     62議席。州の人口に応じて議席が定められ、各州議会が
     選出。任期は5年だが、オーバーエースターライヒ州議会の
     代表議員のみ6年。
    ●国民議会(下院)
     183議席。直接選挙制(比例代表制)。任期5年。
政党制:オーストリア国民党とオーストリア社会民主党による
     緩やかな二大政党制だが、オーストリア自由党も第
     三党に相当する勢力を持つ。
国政選挙権:16歳以上の国民全て
兵役制度:徴兵制
国防費:22億8700万米ドル
軍組織:オーストリア連邦軍
     陸軍1万2000人
     空軍4300人
     特殊部隊(ヤークトコマンド)9000人

[経済・通信・その他]
中央銀行:オーストリア国立銀行 (注1)
通貨:ユーロ (euro, EUR, 注1)
国内総生産(GDP):3740億5600万米ドル
1人当たりGDP:4万3251米ドル
GDP構成比:農林水産業1.4%
        鉱工業27.9%
        サービス業70.7%
労働人口:345万人
失業率:5.8%
輸出額:1429億米ドル
輸出品:機械類、医薬品、鉄鋼、アルミ製品、自動車と部品、紙類、プラスチック類
輸出先:ドイツ29%、米国6%、イタリア6%、スイス6%、フランス4%
輸入額:1400億米ドル
輸入品:機械類、自動車、有機化合物、医薬品、精錬アルミ、精製石油、衣類
輸入元:ドイツ41%、イタリア6%、スイス6%、中国5%、チェコ4%
固定電話回線数:360万9000回線
携帯電話回線数:1347万1000回線
国別電話番号:43
ccTLD:.at
インターネット利用者数:約695万人
車両通行:右側通行
平均寿命:81.6歳 (男性78.9歳、女性84.3歳)

[日本との関係]
国交樹立:1869年10月18日
相手公館:大使館 (東京)
駐日相手国人数:1093人 (永住者201人、特別永住者1人)
相手輸出額:18億2200万米ドル
相手輸出品:自動車、保線車両、機械類、木材、精密機器、家具、医薬品
日本公館:大使館 (ウィーン)
在留日本人数:3078人 (永住者1109人)
日本輸出額:12億1400万米ドル
日本輸出品:機械類、自動車と部品、化学薬品、精密機器、鉄鋼、ゴム製品
現行条約:1955年 オーストリア永世中立承認取極
       1958年 査証(ビザ)相互免除取極
       1963年 司法共助取極
       1966年 オーストリア請求権解決取極
       1976年 繊維製品貿易取極
       1989年 航空協定
       2016年 ワーキング・ホリデー査証協定
       2017年 租税条約
            (1961年の旧租税条約を置き換える形で締結)

(注1)
ヨーロッパ連合(EU)が統一通貨としてユーロを導入して以降、通貨発行権や金融政策の方針決定権はヨーロッパ中央銀行が担うようになり、ユーロ導入国が本来設置していた中央銀行はその傘下にある執行組織に改組された。ユーロ導入国の各中央銀行総裁はヨーロッパ中央銀行政策理事会の一員となり、連携してヨーロッパ中央銀行の政策を決定し、それに基づいて各国内での業務執行に当たることとされる。

なお、ユーロ導入前にオーストリア国立銀行が発行していた通貨はオーストリア・シリング(schilling, ATS)である。


《国歌「山岳の国、河川の国」》
制定:1946年 (2011年に一部歌詞を変更)
作曲:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
作詞:パウラ・フォン・プレラドヴィッチ

山岳の国、河川の国。
田園の国、聖堂の国。
豊かな未来を約束された槌の国。
偉大なる娘たち、息子たちの故郷。
その美を盛大に祝福される国民。
大いなる称賛を受けるオーストリア!
大いなる称賛を受けるオーストリア!

《国名の由来》
ドイツ語ではÖsterreich(エースターライヒ)といい、「東の国」もしくは「東の辺境地」を表す。中世、この地がかつてのフランク王国の東端に位置していたことから。これがフランス語でAutriche(オートリッシュ)となり、更に現在の英語名になった。

旧国名
1156-
1453
 オーストリア公国
(独)Herzogtum Österreich
  (ヘルツォークトゥム・エースターライヒ)
(英)Duchy of Austria (ダチィ・オブ・オーストゥリア)
1453-
1804
 オーストリア大公国
(独)Erzherzogtum Österreich
  (エルツェルツォークトム・エースターライヒ)
(英)Archduchy of Austria (アーチュダチィ・オブ・オーストゥリア)
1804-
1918
 オーストリア帝国
(独)Kaisertum Österreich (カイザートゥム・エースターライヒ)
(英)Empire of Austria (エンパイア・オブ・オーストゥリア)
1918-
1919
 ドイツ・オーストリア共和国
(独)Republik Deutsch-Österreich
  (レプブリーク・ドイッチュ=エースターライヒ)
(英)Republic of German-Austria
  (リパブリック・オブ・ジャーマン=オーストゥリア)
1919-
1934
 オーストリア共和国
(独)Republik Österreich
(英)Republic of Austria
1934-
1938
 オーストリア連邦国
(独)Bundesstaat Österreich
  (ブンデスシュタート・エースターライヒ)
(英)Federal State of Austria
  (フェデラル・ステイト・オブ・オーストゥリア)

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

ツイッターやってます。基本的に更新情報はここでつぶやいてます。

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