ギニアビサウ

ギニアビサウ
Guiné-Bissau (ギネー=ビッサウ) (ポルトガル語)
Guinea-Bissau (ギニー=ビッサウ) (英語)

Flag_of_Guinea-Bissau.png

ギニアビサウはアフリカ大陸西部に位置し、大西洋に面する国です。この国は15世紀よりポルトガルの植民地支配下に置かれ、長い間カーボベルデ(同じくポルトガル領)の付属地として扱われてきましたが、1879年にポルトガル領ギニアの名で単独の植民地に昇格しました。独立運動は第二次大戦後から本格化し、1956年になるとカーボベルデ人の主導でギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)が結成され、ポルトガル軍相手に激しい戦闘を展開。戦況はPAIGC優位のまま推移し、更に1974年にそれまで抑圧的な支配体制を敷いていたポルトガル本国で革命が起こると、かたくなに守ってきた植民地主義が放棄され、両地の独立が認められることになりました。ポルトガル領ギニアでは前年の1973年、既にPAIGCがギニアビサウ国の名で暫定政府を組織して独立に向けた準備が進められており、この革命を受けて成立した本国の新政権により正式に独立が承認され、カーボベルデも翌1975年に独立を達成しています。1977年には暫定名称であるギニアビサウ国から、現在のギニアビサウ共和国へと改称しました。

独立後の両国は将来的な統合を前提とし、PAIGCの一党制下で緊密な関係を維持しましたが、1980年にギニアビサウでクーデターが発生すると、両国関係は急速に冷え込みます。というのも、このクーデターで失脚したルイス・カブラルは、カーボベルデ人の両親を持ちながらギニアビサウの初代大統領になったという異色の人物であり、両国の統合計画においては最大の推進者として知られていたのです。クーデターの背景には、カブラルを始めとするカーボベルデ系の政治家がPAIGCの主導権を握っていることに対するギニアビサウ人の強い反発があり、一方のカーボベルデ人は自国にルーツを持つ者が政権から排除されたことを大いに非難しました。これを機に両国は国交を断絶(1982年修復)し、統合計画は白紙化。ギニアビサウとカーボベルデとは別の国として歩むことになりました。しかしカシューナッツを中心とするナッツ類の輸出(総輸出額の約8割)で得られる微々たる収入以外に目立った産業の無いギニアビサウは貧困から抜け出せず、公務員への給与すら支払えない状況が続きました。極端な貧困が生み出す閉塞感は政情不安と社会の混乱を招き、これまで幾度となくクーデターが起こされ、更に教育の不徹底と予算不足、そして汚職が統治機構の脆弱性に拍車をかけています。近年は当局の監視の目が極めて緩いことに目を付けた世界中のマフィアが、麻薬・違法ドラッグの密輸拠点としてこの国の港を利用しており、欧米諸国が政府機関の強化や貧困撲滅に向けた支援を強化しています。観光業を軸に順調な経済発展を遂げ、後に民主化と政局の安定化を実現し、アフリカ諸国の中でも一目置かれているカーボベルデとはかなり様相が異なりますね。

そんなギニアビサウの国旗は、正式な独立に先駆けて樹立された暫定政府の旗として1973年に制定されました。この旗は独立後しばらく一党制のもとで国家を統治し、現在もなお有力政党の1つとして大きな影響力を持っているPAIGCの党旗をモチーフとしたもので、ギニアビサウとの統合を目指していたカーボベルデの初代国旗もこれと似たデザインでした。緑、黄、赤の配色は汎アフリカ色と呼ばれ、アフリカの多くの国が用いており、赤は独立のために流された血、黄は天然資源と太陽の光、緑は農業と希望を表します。ホイスト側に配された黒い星は、国民のほとんどを占めるアフリカ系黒人の団結と統一を意味するとも、首都ビサウの国土における位置を指し示しているともいわれます。

縦横比:1対2


ギニアビサウ共和国
República da Guiné-Bissau (レプーブリカ・ダ・ギネー=ビッサウ)
Republic of Guinea-Bissau (リパブリック・オブ・ギニー=ビッサウ)

Map_of_Guinea-Bissau.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:アフリカ
面積:約3.6万km² (九州とほぼ同じ)
人口:約179万人
都市人口率:49.3%
首都・最大都市:ビサウ (葡・英:Bissau)
主要民族:黒人諸部族がほとんどで、バランタ族が人口の3割、
       フラニ族が同2割を占める二大民族となっているほか、
       マンジャカ、マンディンカ、パペルなど多くの部族が存
       在する。他にムラート(黒人と白人の混血)もわずかに
       おり、その多くはカーボベルデ系である。非黒人は極
       めて少ないが、白人(ほとんどがポルトガル人)も都市
       部に居住している。
主要言語:ポルトガル語が公用語で、政府機関や教育など公共性の高い
       分野で用いられるが、習得者は高等教育を受けられる一部の
       エリート層に限られている。国民の大半は自らの属する部族の
       言語を母語としており、民族をまたぐ共通語(第二言語)として
       は、ポルトガル語に西アフリカ系諸言語が融合したギニアビサ
       ウ・クレオール語を用いる。
主要宗教:イスラム教50%
        スンナ派42%
        シーア派6%
        アフマディーヤ教団2%
       伝統宗教(各部族固有の精霊信仰)40%
       キリスト教10%
        ローマ・カトリック教会9%
        少数のプロテスタント諸派

[政治・軍事]
独立:1973年9月24日(独立宣言)、1974年9月10日(独立承認)
国連加盟:1974年9月17日
政治体制:共和制、半大統領制
元首:大統領
    直接選挙制、任期5年、再選制限なし。
政府:内閣
    首相は議会の協議に基づき、大統領が任命。
    他の閣僚は首相の指名に基づき、大統領が任命。
議会:一院制の国家人民議会
    102議席。直接選挙制(比例代表制)。任期4年。
政党制:ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党と
     社会革新党による緩やかな二大政党制。
国政選挙権:18歳以上の国民全て
兵役制度:徴兵制
国防費:2600万米ドル
軍組織:ギニアビサウ軍
     陸軍4000人
     海軍350人
     空軍100人

[経済・通信・その他]
中央銀行:西アフリカ諸国中央銀行 (注1)
通貨:CFAフラン (franc, XOF, 注1)
国内総生産(GDP):12億900万米ドル
1人当たりGDP:574米ドル
GDP構成比:農林水産業44.7%
        鉱工業13.4%
        サービス業41.9%
労働人口:75万人
失業率:不明 (5~10%と推計される)
輸出額:2億290万米ドル
輸出品:ナッツ類が8割半、他に魚介類、木材、油性種子(胡麻など)
輸出先:インド64%、ナイジェリア20%、中国6%、トーゴ6%、ベトナム3%
輸入額:1億9950万米ドル
輸入品:精製石油、米、酒類、鉄鋼、機械類、有機化合物、パーム油、自動車
輸入元:ポルトガル27%、セネガル13%、中国7%、スペイン6%、キューバ5%
固定電話回線数:不明 (5000~1万回線と推計される)
携帯電話回線数:123万8000回線
国別電話番号:245
ccTLD:.gw
インターネット利用者数:約6.6万人
車両通行:右側通行
平均寿命:50.7歳 (男性48.6歳、女性52.7歳)

[日本との関係]
国交樹立:1974年8月1日
相手公館:無し (駐中国大使館が兼轄)
駐日相手国人数:4人 (永住者1人)
相手輸出額:68万1600米ドル
相手輸出品:油性種子のみ
日本公館:無し (駐セネガル大使館が兼轄)
在留日本人数:1人 (永住者無し)
日本輸出額:23万6800米ドル
日本輸出品:二輪車、自動車部品、機械類、化学薬品、精密機器
現行条約:特に無し

(注1)
アフリカの中部・西部には独自通貨を持たない国が多く、代わってCFAフランが共通通貨として広く流通している。CFAフランはかつてはフランス・フランと、現在はユーロ(euro, EUR)との固定相場制を採っており、1ユーロ=655.957CFAフランとなっている。なお、CFAはフランス語に基づきセーファーと発音される。

CFAフランは西アフリカ諸国中央銀行発行のもの(コードはXOF)と中部アフリカ諸国銀行発行のもの(同XAF)に分かれるが、双方ともに通貨価値は同じである。ただし相互に混合流通しているわけではなく、国際法上はあくまで別通貨扱いで、CFAフラン導入国はいずれかの銀行が発行する貨幣のうち、どちらかを選択して自国通貨に指定する形態をとる。貨幣のデザインも双方で異なり、印字された銀行名で区別される。


《国歌「これぞ我らの最愛の国」》
制定:1974年
作詞・作曲:アミルカル・カブラル
備考:作者は初代大統領ルイス・カブラルの兄。詩人であると同時に、
    弟と共にPAIGCの指導者として独立闘争を率いたが、1973年
    暗殺された。ちなみに作曲者に関しては異説あり。

太陽、汗、緑、そして海。苦しみと希望の数世紀。
これぞ我らの祖先の地。我らが手にした果実。
我らの血の流れし花。これぞ我らの最愛の国。

栄誉ある我が国よ、永久に生きよ!
我らの闘いの旗は、空に翻ってきた。
進め、外国のくびきに抗いながら!
我らは築く。平和と進歩を。この不滅の国に!
平和と進歩を。この不滅の国に!

《国名の由来》
ポルトガル語ではGuiné-Bissau(ギネー=ビッサウ)、英語ではGuinea-Bissau(ギニー=ビッサウ)と表記する。ポルトガルの植民地時代はポルトガル領ギニアと呼ばれていたが、独立に伴い隣国のギニア共和国との区別をつけるべく、首都ビサウの名を付した合成地名を国名として採用した。日本語では稀にギニアビサオという表記も見られる。

ギニアの由来についてはギニアの記事を参照のこと。ビサウの名は王政時代のポルトガルでトップクラスの名門貴族と見られていたビゼウ公家に由来する。ビゼウ公家の名が付けられた理由には諸説あるが、一説にはポルトガル王家がこの地をビゼウ公家に領地として与えたことが起源らしい。

旧国名
1973-
1977
 ギニアビサウ国
(葡)Estado da Guiné-Bissau
  (エスタード・ダ・ギネー=ビッサウ)
(英)State of Guinea-Bissau
  (ステイト・オブ・ギニー=ビッサウ)

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

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