アラブ連盟

アラブ連盟
الجامعة العربية (アラビア語)
Arab League (英語)

Flag_of_the_Arab_League.png

アラブ連盟は西アジア、北アフリカを中核とする広大なアラブ世界の協力・連帯を目的とした国際機関です。域内に存在する諸国家に協議の場を提供し、政策調整を促す機能を持ち、「アラブの国連」と呼ばれることもある巨大機関で、アラブ民族主義が隆盛を誇っていた1950年代から70年代にかけては、中東情勢(特にイスラエル・パレスチナ問題)の動向に多大な影響を与えていました。そんなこの組織は1944年10月、エジプト、イラク、トランスヨルダン(現ヨルダン)、レバノン、シリアの5ヶ国がエジプト第二の都市アレクサンドリアで出した共同声明に基づき、翌1945年3月にサウジアラビアを加えて正式に設立され、アラブ諸国初の国際機関として活動を開始。設立直後の同年5月に加盟した北イエメン(1990年に南北統一)を入れた計7ヶ国が原加盟国とされます。その後も欧州諸国の植民地支配を受けていた国々が次々と独立し、随時加盟していったことを受け、現在では22ヶ国(うち1国は未承認国家パレスチナ)を正式メンバーとする広範な機関へと成長しました。中にはアラブ人国家ではないもののアラブ世界と貿易や文化、宗教(イスラム教)などで深い繋がりがあるソマリアなどの国も加盟しています。

かつてはアラブの声を世界に発信し、国際情勢に反映させるうえで大きな役割を担っていたアラブ連盟ですが、組織の巨大化・肥大化に伴って、各国の主導権争いや内紛が頻発。近年は影響力を著しく低下させており、それぞれの利害関係に基づいた行動が目立つようになった加盟国に共同歩調を採らせることが難しくなっています。湾岸戦争では加盟国であるイラクへの姿勢をめぐり、各国の意見がバラバラのまま有効な手立てが採れず、連盟として何も動けない状況となるなど、組織の存在意義すら危ぶまれました。加盟国も各地域ごとに、より小規模でまとまりやすい組織を結成(西アジアの湾岸協力会議、北西アフリカのアラブ=マグレブ連合など)し、各々の近隣で地域統合を活発化させる傾向を強くしているため、アラブ連盟は組織の形骸化に悩まされています。しかし、そんな中でも加盟国首脳会議は定期的に開かれ、各国の立場を表明し、話し合いの場を持たせることには今なお一定の意義が認められるのも確かであり、アラブ世界が決定的な亀裂と断絶に陥らないための、ある種の安全弁としての機能が期待されています。また、政治色の強い議題に関してはまとまりを欠くものの、アラブ文化の振興や社会制度の改善といったソフト・パワーでは依然として高い水準の協力関係が維持されています。

アラブ連盟の旗は1945年の組織設立と同時に制定されたもので、加盟国全てで多数派を構成するイスラム教の聖なる色である緑(預言者ムハンマドのターバンの色)を地色としています。中央に置かれた紋章は、アラビア文字で「アラブ諸国連盟」という組織の正式名が白く書かれ、それを22の加盟国を意味する黄色の鎖と、イスラム教のシンボルである月が囲み、更に白いレース(花輪)とリボンで装飾されたデザインとなっています。この白は、イスラム教徒の純粋な信仰心を象徴する色でもありますが、70年代頃まではイスラム教において戦いにおける勝利を表す黒で書かれることも多かったようです(ここでの戦いとは四次にわたってイスラエルを相手に戦われた中東戦争のこと)。

縦横比:規定なし (慣例的に2対3が用いられることが多い)


アラブ諸国連盟
جامعة الدول العربية
League of Arab States


【加盟国】
Members_of_the_Arab_League.gif
22ヶ国
エジプトイラクヨルダンレバノンシリアサウジアラビア
イエメン(注1) 以上、原加盟国
リビア(1953年)
スーダン(1956年)
チュニジアモロッコ(1958年)
クウェート(1961年)
アルジェリア(1962年)
バーレーンカタールアラブ首長国連邦オマーン(1971年)
モーリタニア(1973年)
ソマリア(1974年)
パレスチナ(1976年、注2)
ジブチ(1977年)
コモロ(1993年)

本部:エジプトのカイロ (Cairo, Egypt, 注3)
公用語:アラビア語

(注1)
加盟当初は北イエメン。1990年に南北が統一され、新たな統一政府は北イエメンの加盟資格を継承した。なお、南イエメンは社会主義体制のもとでアラブ民族運動とは距離を置いていたため、アラブ連盟には加盟していなかった。

(注2)
パレスチナ国家の樹立を目指し、対イスラエル闘争を戦ってきたパレスチナ解放機構(PLO)が、長らくパレスチナ人を代表する組織として国際的に認められてきた。しかし1994年のパレスチナ自治政府発足を受け、自治政府要人が必ずしもPLOメンバーと一致するわけではなくなり、自治政府は国際機関における加盟名をパレスチナ国(State of Palestine)に改めるよう各機関に要請。アラブ連盟では2011年にパレスチナの議席がPLOからパレスチナ国に移動し、国連総会でもオブザーバー組織からオブザーバー国家への昇格が2012年に認められた。ただしパレスチナ国は自治政府を国家と見なした場合の名称であり、国際的な承認は欧米諸国や日本などの先進国を中心に成されておらず、主権国家としての法人格はまだ持たない暫定的な存在とされる。

(注3)
1979年にエジプトがイスラエルと単独和平に合意したことにアラブ連盟諸国は猛反発し、エジプトを連盟から追放。本部もチュニジアの首都チュニスに移った。しかし1989年にエジプトの連盟復帰が認められ、本部も再びカイロに戻った。

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嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

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