カメルーン

カメルーン
Cameroun (カムルーン) (フランス語)
Cameroon (キャメルーン) (英語)

Flag_of_Cameroon.png

アフリカ中部、ギニア湾に面するカメルーンは、250以上とされる民族と300以上もの多様な言語、特有かつ豊かな生態系、起伏に富んだ地形、北部のサバンナから南部の熱帯まで様々な一面を見せる気候など、アフリカの特徴が凝縮された国です。その厚みのある文化と自然はアフリカのミニチュアと呼ばれることも多いとか。日本ではアフリカ有数のサッカー大国として知られますかね。一方、経済的には豊富な石油資源と安定的な政情、そしてアフリカ有数の高い教育水準が相まって、比較的好調な成長を続けてきました。他にも肥沃な土壌に育まれた農林業が盛んで、食料の自給率は高く、日本にもこの国で生産される木材やカカオ、コーヒーが輸出されています。ただ石油生産は近年減少傾向にあり、農林産品も国際価格によって得られる輸出金が著しく上下するため、カメルーン政府は新たな外貨獲得源として観光業や軽工業、そして豊富な水資源を生かしたアルミニウム精錬業などを推進し、産業の多角化・安定化を図っています。

カメルーンは1884年にドイツの保護領となりましたが、第一次大戦でドイツが敗北し、全ての植民地を放棄させられると、領域の大半を占める東カメルーンがフランス領に、ナイジェリアに食い込んだ西カメルーンがイギリス領として分割されました。第二次大戦以降は次第に独立を求める機運が高まり、1957年にまずフランス領東カメルーンが自治国に昇格し、1960年元日にはカメルーン共和国として正式な独立を達成。翌1961年、イギリス領西カメルーンで住民投票が実施され、その北半分は文化的に近いナイジェリアとの合併を選択、残った南半分はカメルーン共和国と統合しました。こうした経緯で成立したカメルーンは、当初はフランス語圏であり国土の大半を占める東カメルーンと、それに比べて小規模な西カメルーンの英語圏の地位を対等とし、公用語はフランス語と英語の両方が指定されたほか、両地域には連邦政府と別に独自の自治政府が設けられ、国名もカメルーン連邦共和国とされていました。しかし連邦政府の主導権は面積、人口で圧倒的に優位な東カメルーンが握り、その権限は次第に強化され、連邦制は形骸化。1972年には両地域の自治政府を廃止し、国名をカメルーン連合共和国に改称。以後カメルーンはフランス語圏を中心とした強力な中央政府を持つ統一国家として統治され、連邦制時代の最後の名残だった連合共和国という名も、1984年には共和国に戻されています。英語に与えられた公用語の地位は辛うじて維持されましたが、今でもこの決定に反発し、連邦制の復活や独立を求める英語圏の勢力が活動しています。

エチオピア国旗を手本とした緑、黄、赤の配色は汎アフリカ色と呼ばれ、アフリカの多くの国が用いているほか、独立後も引き続き緊密な関係にあるフランスの国旗のように、デザインには縦三色旗が採用されています。現国旗は連邦制が廃止されてから3年後の1975年に制定された3代目のもので、緑は南部の森林と希望を、黄は北部のサバンナ、太陽、そして繁栄を、赤は国家主権と統一を象徴します。「統一の星」と呼ばれる中央の1つ星は、連邦制を廃止して単一国家となったカメルーンの国民が、より団結を強くするという理念を表します。

縦横比:2対3

【旧国旗】
Flag_of_Cameroon_1957-1961.png
フランス領時代の1957年に設立された自治国、カメルーン国の国旗です。この頃はフランス領地域のみを領域としていたため、緑、赤、黄のシンプルな三色旗が使われていました。1960年にカメルーン共和国として独立してからも引き続き国旗として掲げられていましたが、1961年に西カメルーンと統合し、連邦制を敷いたのに伴い、下記の旗に変更されました。

Flag_of_Cameroon_1961-1975.png
1961年に前述の両地域が統合し、カメルーン連邦共和国が成立したのに伴い制定された国旗です。カントン部の2つの星はずばり、フランス語圏の東カメルーンと英語圏の西カメルーンを象徴します。1972年の連邦制廃止後もしばらく用いられましたが、1975年に廃止され、国家の統一性を押し出した現国旗に移行しました。


カメルーン共和国
République du Cameroun (レピュブリック・デュ・カムルーン)
Republic of Cameroon (リパブリック・オブ・キャメルーン)

Map_of_Cameroon.gif

統計データは原則として2015年時点のもの。

[地理]
位置:アフリカ
面積:約47.5万km² (日本の約1.3倍)
人口:約2225万人
都市人口率:54.4%
首都:ヤウンデ (仏:Yaoundé 英:Yaounde)
最大都市:ドゥアラ (仏・英:Douala)
主要民族:黒人諸部族がほとんどで、ファン、フラニなどのバントゥー系と
       バミレケなどのニジェール・コンゴ系に大別される。それぞれの
       部族は居住地域や宗教によって細分化され、総部族数は250
       以上存在すると見られる。非黒人は極めて少ないが、都市部
       にフランス人とインド人の各コミュニティが小規模ながら存在。
主要言語:フランス語と英語が公用語だが、政府はフランス語を優遇
       しており、英語話者は旧イギリス領の西部に偏る。両言語
       ともそれぞれの地域で民族をまたぐ第二言語として用いら
       れるケースが多く、大半の国民はファン語やフラニ語など、
       自らの固有の部族語を母語としている。
主要宗教:キリスト教64%
        ローマ・カトリック教会33%
        プロテスタント諸派31%
       イスラム教18%
        スンナ派14%
        少数のアフマディーヤ教団、シーア派など。
       無宗教6%
       伝統宗教(各部族固有の精霊信仰)3%
       少数のバハーイー教、ヒンドゥー教など。

[政治・軍事]
独立:1957年4月16日(自治国)、1960年1月1日(完全独立)
国連加盟:1960年9月20日
政治体制:共和制、大統領制
元首:大統領
    直接選挙制、任期7年、再選制限なし。
政府:内閣
    首相は大統領が任命。
    他の閣僚は首相の提案に基づき、大統領が任命。
議会:二院制の国会
    ●元老院(上院)
     100議席。70議席は各州議会が選出。30議席は大統領が
     任命。任期5年。
    ●国民議会(下院)
     180議席。直接選挙制(小選挙区と大選挙区を併用)。
     任期5年。
政党制:カメルーン人民民主連合による一党優位制
     (形式上は多党制)
国政選挙権:20歳以上の国民全て
兵役制度:志願制
国防費:3億4000万米ドル
軍組織:カメルーン軍
     陸軍1万2500人
     海軍1300人
     空軍400人

[経済・通信・その他]
中央銀行:中部アフリカ諸国銀行 (注1)
通貨:CFAフラン (franc, XAF, 注1)
国内総生産(GDP):291億9800万米ドル
1人当たりGDP:1251米ドル
GDP構成比:農林水産業22.3%
        鉱工業29.9%
        サービス業47.8%
労働人口:933万人
失業率:不明 (5%前後と推計される)
輸出額:57億5600万米ドル
輸出品:原油、木材、カカオ豆と製品、バナナ、精錬アルミ、綿花、天然ゴム、コーヒー
輸出先:中国17%、インド16%、スペイン6%、ベルギー6%、ポルトガル6%
輸入額:65億1000万米ドル
輸入品:機械類、原油、精製石油、穀物、医薬品、自動車、鉄鋼、魚介類
輸入元:中国28%、ナイジェリア14%、フランス11%、ベルギー5%、インド4%
固定電話回線数:105万5000回線
携帯電話回線数:1680万7000回線
国別電話番号:237
ccTLD:.cm
インターネット利用者数:約431万人
車両通行:右側通行
平均寿命:58.5歳 (男性57.1歳、女性59.9歳)

[日本との関係]
国交樹立:1960年1月1日
相手公館:大使館 (東京)
駐日相手国人数:529人 (永住者72人)
相手輸出額:683万米ドル
相手輸出品:木材、カカオ豆、精錬アルミ、コーヒー豆、綿花
日本公館:大使館 (ヤウンデ)
在留日本人数:79人 (永住者無し)
日本輸出額:3060万米ドル
日本輸出品:自動車と部品、機械類、化学繊維、ゴム製品、有機化合物
現行条約:1962年 貿易取極
       2005年 技術協力協定

(注1)
アフリカの中部・西部には独自通貨を持たない国が多く、代わってCFAフランが共通通貨として広く流通している。CFAフランはかつてはフランス・フランと、現在はユーロ(euro, EUR)との固定相場制を採っており、1ユーロ=655.957CFAフランとなっている。なお、CFAはフランス語に基づきセーファーと発音される。

CFAフランは西アフリカ諸国中央銀行発行のもの(コードはXOF)と中部アフリカ諸国銀行発行のもの(同XAF)に分かれるが、双方ともに通貨価値は同じである。ただし相互に混合流通しているわけではなく、国際法上はあくまで別通貨扱いで、CFAフラン導入国はいずれかの銀行が発行する貨幣のうち、どちらかを選択して自国通貨に指定する形態をとる。貨幣のデザインも双方で異なり、印字された銀行名で区別される。


《国歌「おお、カメルーン。我らが祖先 揺籃の地よ」》
制定:1957年 (1978年に一部改定)
作曲:レネ・ジャム・アファム
作詞:レネ・ジャム・アファム/サムエル・ミンキオ・バンバ/
    モイーズ・ニャッテ・ンコオ
備考:「団結の歌」とも呼ばれる。また、フランス語版と英語版では
    一部の歌詞が異なるため、ここでは双方を併記した。

フランス語版
おお、カメルーン。我らが祖先揺籃(ようらん)の地よ。
行け。立ち上がり、羨望を集める自由を守れ。
そなたの旗は太陽のように誇り高く、
強き信仰と統一の象徴となり、
東西南北全ての地で、そなたの子供たちに愛される。
そなたのために尽くすことは、彼らの唯一の決意であり、
果たされるべき義務である。

親愛なる祖国、親愛なる大地。
そなたは我らの唯一にして真の幸福だ。
我らの歓喜、我らの命。
愛と敬意をそなたに。

英語版
おお、カメルーン。汝、我らが祖先の揺籃の地よ。
彼らの眠るその聖なる祠(ほこら)は、我らの中に。
彼らの涙と血と汗は、汝の地で水となった。
汝の丘と渓谷では、かつて彼らの作物が育てられた。
親愛なる祖国よ、汝の価値は口舌に尽くしがたい。
我々はどうやって、汝に対価を払えようか。
勤労、愛、平和によって、汝の繁栄を勝ち得る。
汝の名が永遠に真なるものとならんことを!

約束の地、輝かしい地!
汝、命と歓喜、我らに唯一必要なもの!
汝の栄誉、汝の献身、そして深き愛情よ、永遠なれ。

《国名の由来》
大航海時代のポルトガル人が、カメルーン北西部を流れるウーリ川を見てRio de Camarões(リオ・デ・カマラオゥンイス)と呼んだことに由来。ポルトガル語でRioは「川」、Camarõesが「海老」を意味する単語で、deは接続詞。当時ウーリ川には海老が大量に生息していたという。

カメルーンはフランス語と英語を公用語に定めているが、フランス語ではCameroun、英語ではCameroonと、微妙に表記が異なるので注意。

旧国名
1957-
1960
 カメルーン国 (フランス領時代の自治国)
(仏)État du Cameroun (エタ・デュ・カムルーン)
(英)State of Cameroon (ステイト・オブ・キャメルーン)
1960-
1961
 カメルーン共和国
(仏)République du Cameroun
(英)Republic of Cameroon
1961-
1972
 カメルーン連邦共和国
(仏)République fédérale du Cameroun
  (レピュブリック・フェデラール・デュ・カムルーン)
(英)Federal Republic of Cameroon
  (フェデラル・リパブリック・オブ・キャメルーン)
1972-
1984
 カメルーン連合共和国
(仏)République unie du Cameroun
  (レピュブリック・ユニー・デュ・カムルーン)
(英)United Republic of Cameroon
  (ユナイテッド・リパブリック・オブ・キャメルーン)

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プロフィール

嫁ドリル

Author:嫁ドリル
国旗と酒をこよなく愛する関西女。
カイロ、ドバイ、カルガリー駐在員を経て、現在は関東で働きながら旦那と1女1男の4人暮らし中。

国旗に関しては、まずは基礎知識カテゴリを熟読して下さい。

ツイッターやってます。基本的に更新情報はここでつぶやいてます。

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